第5話

文字数 826文字

 「…で、その後あの事故が起きたわけか」
「うん。海を好きになれたと思ったんだけどね。まさかすぐに裏切られるとは」
そう、急な悪天候による事故で妹は海に連れ去られたのだ。そしてそれから俺は彼女を取り戻すためだけに生きている。まあ取り戻そうにも海の底に沈んだ彼女の肉体を拾い上げるのは非現実的なので彼女の新たな身体を用意しようとしているのだが。
「例えば機械の身体じゃ駄目だったのか?電子工学研究科では人形に高性能AIを搭載しまるで人間のように振る舞う機械が普及しているじゃないか」
「それじゃ”あの子”が戻ったことにはならないでしょ。まったく、人間のことばかり考えているくせには人間を生み出す術は未だ解明できていないんだから…」
「研究室に転がるキメラの数々を見てまさかマッドサイエンティストの目的は亡くした妹の再現などと誰が思うだろうか…。私も上に報告する義務があるんだ…それが事実なのはわかるが、その…」
「なに、説明が難しい人間の扱いには慣れているだろう?」
「瑞希さんのことか?私もあの人については何もわからないままだったが」
「そうなの?あれだけ崇拝していたのに?」
「海も自然保護的思想も”瑞希さんが言うから”素晴らしいものだと思っていただけで、私自身はその価値について理解できていなかった」
「それで海に飛び込めるのもすごいなぁ」
「…その件については忘れてくれ。まあ、ある意味あの出来事があの人の亡霊と決別するきっかけにはなったのだが」
 過去との決別ねぇ…、そういえば御門を亡霊から解放したのって俺だったか。”君はもう自由だ”、なんて言ってたっけ…。実際過去を水底に置き捨ててきた彼女は今じゃ真っ当な道を歩んでいる。それに対して俺は…

 この施設にいる以上外の景色は見えない。捨てられない過去も美しい思い出も憎しみも全て抱えた青色をこの目に映すことはできない。だがどんな因縁だろうか、あの子の名前を呼ぶたびに嫌でも思い起こされるのだ。
「…ねぇ、真凛(マリン)」
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登場人物紹介

麝香憲嗣

科学者の国理研特区にて違法研究が発覚し拘束されている囚人。数多のキメラを生み出すマッドサイエンティスト。

御門智華

麝香の古い知り合い。かつて(『蝶、燃ゆ』)は復讐のために動くロボットだったが今では違法研究を取り締まる捜査官に。

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