第58話 性格の悪い子
文字数 1,961文字
「圭太ならもう帰ったよ」
「へえ、そっかあ」
相槌を打つあゆみの表情が、なぜだか引っかかった。この子は本当は、全然きれいじゃないのかもしれない。
次の瞬間、祥吾は思い至った。
先週のことだ。あゆみが圭太に嫌味を放った。恋人同士の時間を邪魔するな、少しは気を利かせたらどうか、といったことを言外に含め、圭太が席を外すよう仕向けたのだ。
圭太の不在を、あゆみは自分の言葉が効果を発揮したからだと考えているのかもしれない。
「圭太は悪い奴じゃないからな」
「え、何どうしたの急に。うん、知ってるよ。だって祥吾の友達でしょ?」
「そう、友達」
「でも、ただの友達のわりに最近やたらと祥吾にべったりだったじゃない? 先週なんて放課後ずっと祥吾と八幡くん一緒にいなかった?」
「だったら何?」
「別に。ただちょっと異常かなって」
ぴくりと、祥吾は頬を引きつらせた。
(異常なんて、そう簡単に口にするなよ)
もっと異常なことが、自分の周りで起きている。
かつて一緒に夏休みを過ごした仲間のうち、ひとりは亡くなり、ひとりは病院のベッドの上。呪いの牙を母親に向けられた者がいて、今日もまたひとり、家族が不幸に見舞われた。
いよいよ次は、自分か望の番だ。異常がもうそこまで差し迫っている。
「圭太んとこのおばあさん具合が良くなくて、今日から入院することになったんだ」
言葉にしてから、こんなこと勝手に話してしまっていいのだろうかと不安になった。
だからなんだとあゆみから問われれば、何も答えられない。
ただ、どうしても伝えたかった。圭太が今大変な状況にあることを、あゆみにもわかってほしかった。
それで少しでも、圭太に対するあゆみの態度がやさしくなればいい。
「心配だからって、大急ぎでおばあさんの入院する病院に行った」
「ふうん」
あゆみは気のない返事をして、そっぽを向いた。口元が奇妙に歪んでいる。「いい気味……」そうつぶやいたのを、祥吾は確かに聞いた。
「なあ、いい加減にしろよ」
勢いよく立ち上がると、座っていたパイプ椅子が倒れ、棚にぶつかった。構わず、祥吾はあゆみに詰め寄った。
「友達が大変なときに、いい気味ってなんだよ。どういう神経してるんだよ」
「え? 別にあゆみ、八幡くんとは友達じゃないし」
「そういうことを言ってるんじゃねえよ! 他人の不幸を喜ぶみたいな態度はどうかって話だよ!」
祥吾は真剣に訴えた。しかしあゆみはまともに取り合おうとせず、面倒くさそうに顔をしかめると、「うざっ」と吐き捨てた。
「ていうかさあ、いきなりマジなトーンで言われても反応に困るんだけど。おばあさんってことは年寄りでしょ? それなら病気するのも死ぬのも当たり前のことじゃん。何をそんなに心配することがあるの?」
「お前……頭おかしいよ」
怒りのあまり、祥吾はわなないた。
「いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるだろう。そういう区別もつかないのかよ!」
「何? もしかしてあゆみ怒られてる? なんで? あゆみ何も悪いこと言ってないじゃん! 年寄りから先に死ぬって普通でしょ。なんで祥吾、さっきから八幡くんに肩入れしてるの? ちょっとはあゆみの気持ちも考えてよ。祥吾のほうこそ神経疑っちゃう。彼女に寂しい思いさせる彼氏なんて最低だよ」
「ああ、もう全然わっかんねえ……」
祥吾は頭を抱えた。
少女マンガに登場する彼氏なら、こんなときやさしくヒロインを抱き寄せ、「寂しくさせてごめん」と詫びるのだろうか。少し前の自分なら、そうしていたかもしれない。
だけど、今はできない。したくない。
あゆみには他者への思いやりというものがない。いつだって、優先させるべきは己の都合ばかりだ。
「俺、もう無理だわ」
前々から、漠然とだが考えていたことがあった。祥吾はそれを口にする。
「俺たちさあ、しばらく距離置こうか」
「え? なんで?」
途端に、あゆみの顔色が変わった。
「なんでって、わからないの?」
「わかんないよ。どうして? あゆみたち別れるってこと?」
「それは今ここで決められることじゃないけど、もしかしたら……」
「何それひっどい。あゆみフラれるの? じゃあなんであゆみが告ったとき、祥吾オッケーしたの? あゆみ遊ばれてたの?」
どうしてそんな発想になるんだ。呆れると同時に、かすかな笑いがこみ上げてきた。
何十回と、あゆみの長電話に付き合ってきた。放課後に、休日に、たくさん話をした。あの時間は一体なんだったのだろう。
自分たちは本当に、今まで会話というものをしていたのだろうか。こんなにも言葉が通じないことがあるものなのか。
「何笑ってんの? ふざけないでよ。あーあ、祥吾って実はすっごい性格悪かったんだね。もういいよ。大っ嫌い!」
荒々しい足音を立てて、あゆみは祥吾の元から去って行った。
「へえ、そっかあ」
相槌を打つあゆみの表情が、なぜだか引っかかった。この子は本当は、全然きれいじゃないのかもしれない。
次の瞬間、祥吾は思い至った。
先週のことだ。あゆみが圭太に嫌味を放った。恋人同士の時間を邪魔するな、少しは気を利かせたらどうか、といったことを言外に含め、圭太が席を外すよう仕向けたのだ。
圭太の不在を、あゆみは自分の言葉が効果を発揮したからだと考えているのかもしれない。
「圭太は悪い奴じゃないからな」
「え、何どうしたの急に。うん、知ってるよ。だって祥吾の友達でしょ?」
「そう、友達」
「でも、ただの友達のわりに最近やたらと祥吾にべったりだったじゃない? 先週なんて放課後ずっと祥吾と八幡くん一緒にいなかった?」
「だったら何?」
「別に。ただちょっと異常かなって」
ぴくりと、祥吾は頬を引きつらせた。
(異常なんて、そう簡単に口にするなよ)
もっと異常なことが、自分の周りで起きている。
かつて一緒に夏休みを過ごした仲間のうち、ひとりは亡くなり、ひとりは病院のベッドの上。呪いの牙を母親に向けられた者がいて、今日もまたひとり、家族が不幸に見舞われた。
いよいよ次は、自分か望の番だ。異常がもうそこまで差し迫っている。
「圭太んとこのおばあさん具合が良くなくて、今日から入院することになったんだ」
言葉にしてから、こんなこと勝手に話してしまっていいのだろうかと不安になった。
だからなんだとあゆみから問われれば、何も答えられない。
ただ、どうしても伝えたかった。圭太が今大変な状況にあることを、あゆみにもわかってほしかった。
それで少しでも、圭太に対するあゆみの態度がやさしくなればいい。
「心配だからって、大急ぎでおばあさんの入院する病院に行った」
「ふうん」
あゆみは気のない返事をして、そっぽを向いた。口元が奇妙に歪んでいる。「いい気味……」そうつぶやいたのを、祥吾は確かに聞いた。
「なあ、いい加減にしろよ」
勢いよく立ち上がると、座っていたパイプ椅子が倒れ、棚にぶつかった。構わず、祥吾はあゆみに詰め寄った。
「友達が大変なときに、いい気味ってなんだよ。どういう神経してるんだよ」
「え? 別にあゆみ、八幡くんとは友達じゃないし」
「そういうことを言ってるんじゃねえよ! 他人の不幸を喜ぶみたいな態度はどうかって話だよ!」
祥吾は真剣に訴えた。しかしあゆみはまともに取り合おうとせず、面倒くさそうに顔をしかめると、「うざっ」と吐き捨てた。
「ていうかさあ、いきなりマジなトーンで言われても反応に困るんだけど。おばあさんってことは年寄りでしょ? それなら病気するのも死ぬのも当たり前のことじゃん。何をそんなに心配することがあるの?」
「お前……頭おかしいよ」
怒りのあまり、祥吾はわなないた。
「いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるだろう。そういう区別もつかないのかよ!」
「何? もしかしてあゆみ怒られてる? なんで? あゆみ何も悪いこと言ってないじゃん! 年寄りから先に死ぬって普通でしょ。なんで祥吾、さっきから八幡くんに肩入れしてるの? ちょっとはあゆみの気持ちも考えてよ。祥吾のほうこそ神経疑っちゃう。彼女に寂しい思いさせる彼氏なんて最低だよ」
「ああ、もう全然わっかんねえ……」
祥吾は頭を抱えた。
少女マンガに登場する彼氏なら、こんなときやさしくヒロインを抱き寄せ、「寂しくさせてごめん」と詫びるのだろうか。少し前の自分なら、そうしていたかもしれない。
だけど、今はできない。したくない。
あゆみには他者への思いやりというものがない。いつだって、優先させるべきは己の都合ばかりだ。
「俺、もう無理だわ」
前々から、漠然とだが考えていたことがあった。祥吾はそれを口にする。
「俺たちさあ、しばらく距離置こうか」
「え? なんで?」
途端に、あゆみの顔色が変わった。
「なんでって、わからないの?」
「わかんないよ。どうして? あゆみたち別れるってこと?」
「それは今ここで決められることじゃないけど、もしかしたら……」
「何それひっどい。あゆみフラれるの? じゃあなんであゆみが告ったとき、祥吾オッケーしたの? あゆみ遊ばれてたの?」
どうしてそんな発想になるんだ。呆れると同時に、かすかな笑いがこみ上げてきた。
何十回と、あゆみの長電話に付き合ってきた。放課後に、休日に、たくさん話をした。あの時間は一体なんだったのだろう。
自分たちは本当に、今まで会話というものをしていたのだろうか。こんなにも言葉が通じないことがあるものなのか。
「何笑ってんの? ふざけないでよ。あーあ、祥吾って実はすっごい性格悪かったんだね。もういいよ。大っ嫌い!」
荒々しい足音を立てて、あゆみは祥吾の元から去って行った。
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