噤み人形の言うことには。「噤み読み.2」

文字数 804文字

店員に注文をして、客席のテーブルに置かれたコーヒーカップ。カップに注がれた黒色のコーヒーを、じっと見つめる。

結婚はできなかったけれど、それはそれで、良かった。それはそれで、良いこともあると思う。いろいろ考えてみて、そう思う。

コーヒーにクリームを少し入れて、スプーンでかるく混ぜる。クリームの白色がゆっくりと渦巻いて、黒色と混ざり合っていく。そして、コーヒーは褐色(かっしょく)になった。

自分ひとりでも、手一杯なんだ。誰かと一緒に生活しても、きっと楽にはならない。もっと大変になる。助けてはくれない。助けないといけない。身体だって、そんなに丈夫じゃないんだ。

コーヒーに砂糖を入れて、ゆっくりとかき混ぜる。スプーンがカップの内側に当たる感触がして、小さく音が鳴った。スプーンをソーサーに置いて、またコーヒーを見つめる。

(ほが)らかな家庭を築いてみたかった、散々だったから。でも、やっと築いて、頑張って支え続けて、そんなことができるなんて思えない。今のままでも、こんなに疲れているのに、もっと疲れながら、先々までずっと。

コーヒーを一口、飲む。もっと砂糖を入れよう。コーヒーは、甘苦い味がいい。他の客たちがどんな味を好むのかはわからないけれど、甘くて苦いコーヒーが好きなんだ。好きでいさせて。

入店する客、退店する客。いろんな人たちが行き交って、客席に座る自分の後ろを通り過ぎていく。自分も、いろんな人たちの後ろを、通り過ぎてきた。

今までずっと、ひとりでやってきたから。これから先も、身の回りのことなら、なんとかできると思う、健康を気遣(きづか)いながら。親のことも、準備はしているから。

結婚できなかったから。せっかくだから、気兼ねしないで、好きなことをして生きよう。好きなこと、なんだろう、たとえば、そう。


──崩れた(やしろ)暗蔵(あんぐら)の、朽壇(くだん)(うつむ)く古人形。着物は()せているけれど、奥ゆかしくて、たおやかで。抱くこころを語って聞かす、(つぐ)み人形の言うことには。
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