2 梶井とマルクス

文字数 5,660文字

2 梶井とマルクス
 梶井の作品は小説、と言うよりも、むしろ散文詩であると定義できよう。『冬の蠅』(一九二八)や『愛撫』(一九三〇)、『交尾』(一九三一)などは、フランス象徴派に影響を受けたとされる詩人たちの作品以上に、ある時期、彼が読み耽っていたボードレールを思い起こさせる。「悲劇的アイロニーの局面を代表するのは憂欝の詩、それも無感動、倦怠という極端な形をとったものである。ここでは個人の孤立はあまりに大きいので、自分の生も生きながらの死と感じてしまう。ボードレールの『巨女』で、高慢な貴婦人の姿はより深く不吉な色を帯びるし、また詩の主題は端的に肉体の分解という点から見られている--中世のある詩の表現では『泥土の上に泥土』である。この局面に応ずるエポス形式は『死の舞踏』、死滅してゆく共同社会の詩である」(ノースロップ・フライ『批評の解剖』)。

 しかし、梶井の作品を詩であると断定することは適切ではない。『檸檬』のモチーフは、『瀬山の話』(一九二四)にも含まれているが、『秘やかな楽しみ』(一九二二)という詩においても、表現されている。けれども、確かに、習作ではあるが、『檸檬』と比較すると、あの強烈な色彩に欠けている。それゆえ、梶井の小説は散文と詩の区別を超えていると考えざるを得ない。梶井の作品が散文詩であるかどうかは議論がわかれるところである。

 なるほど梶井は小説的形態や手法を採用することはあったが、彼の作品は、小説にしては、テンポが速く、リズミカルで、運動量は少なく、小説の根本原理たる持続はともなっていない。梶井の作品は散文においてだけでも、詩においてだけでも不可能なものを表現している。梶井が散文詩と見なせるような短編小説を書いたのは、「AはAであり、BはBである」という同一性に対する抵抗だ。梶井の作品の世界は素朴な文学ジャンルによって分類することは困難である。

 柄谷行人は、『批評とポスト・モダン』所収の「梶井基次郎と『資本論』」において、梶井の作品の独自性及び日本近代文学との関連を次のように説明している。

 また、たとえば、安岡章太郎、小島信夫、島尾敏雄、植谷雄高、古井由吉といった、それぞれ異質な作家たちのなかに、明らかに梶井の影を見いだすことができる。つまり、今日の作家たちは、ある意味で梶井のテクストの“可能性”のなかに見定められるはずである。のみならず、国木田独歩、志賀直哉、芥川龍之介といった先行者、すなわち「近代文学」の流れの意味も、梶井からふりかえると逆にはっきりするように思われる。時が経つにつれて、梶井の短いテクストは、ますます多義的な様相を呈しはじめている。

 ここで柄谷があげている「今日の作家たち」に「明らかに梶井の影を見いだすことができる」かは議論の余地があるとしても、日本近代文学から梶井を見るのではなく、梶井から日本近代文学を見るとき、「多義的な様相」を呈しはじめている梶井の作品をめぐる奇妙な事態の理由が明らかになることは確かであろう。と言うのも、日本近代文学を考える際に、梶井の作品を考慮すると、前述したように、日本近代文学における文学ジャンルや文学流派などについての既存の枠組みや規定、すなわち同一律が曖昧にならざるを得なくなってしまうからである。

 その上で、柄谷はそうした梶井の作品の読解の鍵として梶井の『資本論』との関連に着目している。マルクスが『資本論』の註の一つで「人間は、鏡を持って生まれてくるのではなく、また、われはわれなりというフィヒテ的哲学者として生まれてくるのでもないから、人間はまず、他の人間という鏡に自分を映してみる」と述べているように、書き手が保持し続けてきた問題意識は、他の書き手の作品を読解・注釈することによって、前にも増して明確に照らしだされる。同一の原理を存在の原理として理解することは同語反復である。梶井の『資本論』読解を通じて彼の作品を見ることは、『のんきな患者』に限定されず、それ以前の作品においても存在している彼の問題意識をはっきりと顕在化させる。

 梶井の『資本論』読解は、日本近代文学における梶井の作品の地位と同様、奇妙な違和感を漂わせている。彼は、当時の知識人たちと同様に、『資本論』から影響を受けていたが、多くのプロレタリア文学の作家たちと違って、資本主義におけるブルジョアジーの搾取とプロレタリアートの解放という主題から読んでいない。それは、梶井が『資本論』を読んでも、決して、プロレタリア文学のような小説を書くことはなかったことや、彼がプロレタリア文学をまったく認めることがなかったこと、共産主義や社会主義運動に参加しなかったことからも明らかであろう。

 梶井の作品のうち、『のんきな患者』が『資本論』から影響を受けた作品だと見なされている。確かに、『のんきな患者』には肺結核で死ぬものを階級的に分類した統計に関する記述が出てくる。だが、こうしたことを『資本論』からの衝撃の結果だと短絡的に認定することはできない。マルクスは意識的な革命行動を呼び起こさせるような文章を何度か書いているが、『資本論』の主眼は分析である。『資本論』は言語学や文学理論などさまざまな分野に多くの可能性を示唆してきたのであって、そのような見解は『資本論』の可能性を限定してしまう。梶井が『資本論』を経済学書として、あるいは政治思想書としてのみ読んでいたと決めつけて考えるべきではない。

 マルクスは、『資本論』を通じて、アダム・スミスらの古典派経済学の理論を踏まえつつ、ヘーゲルが主張した人間の自由な自意識としての労働力を離れて、人間は労働というものをしてしまうことが、資本の経済を支える剰余価値を生み出すことになることを分析している。

 マルクスは、『資本論』において、労働と労働力の関係を次のように言っている。

 だから、人々が彼らの労働諸生産物を諸価値として相互に連関させるのは、これらの物象が、彼らにとって同等な種類の、人間的な労働のたんなる物象的外被として意義をもつからではない。その逆である。彼らは、彼らの相異なる種類の諸生産物を交換において諸価値として相互に等置することにより、彼らの相異なる諸労働を人間的労働として相互に等置する。彼らはそれを意識していないが、しかしそう行うのである。
 だから、価値なるものの額には、それが何であるかということは書かれていない。むしろ価値が、どの労働生産物をも一つの社会的象形文字に転化する。のちに至って、ひとびとは、この象形文字の意味を解こうとし、彼ら自身の社会的産物--けだし、価値としての諸使用対象の規定は言語と同じように彼らの社会的産物である--の秘密を探ろうとする。
 労働諸生産物は、それらが価値であるかぎりでは、それらの生産に支出された人間的労働のたんに物象的な表現である、という後代の科学的発見は、人類の発達史において労働を劃するものだが、しかしけっして労働の社会的性格の対象的仮象を追いはらいはしない。

 『ルカによる福音書』二三章三四節の「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」を思い起こさせるように、マルクスは何度もいわゆる「虚偽意識」に対する注意を促す。

 自明として顧みない同一性は、よくよく考察してみると、イデオロギーにすぎない。具体的なものの成立過程、すなわち、アルチュセールの言う「実在的対象」と概念を生産する思考過程、すなわち「認識の対象」を一つの統一した過程に収束させることは不可能である。資本主義的生産のメカニズムの根源は、人間が近代認識論的な意識によって考えているにもかかわらず、それとはまったく別のあり方をしてしまうという乖離から派生しているという自己完結性である。マルクスはここからこのシステムそのものを変えることに向かう。

 マルクスの試みは批判であって、批判的なものではない。人間の労働が真に個々人の社会的存在の認識により投げ返されるような構造をつくり出す方向性を導き出すことをマルクスは課題にしたが、それはブルジョア経済学にプロレタリア経済学を対置することではない。経済学そのものの存立意義を問い直すことである。彼はそれまでの経済学の対象と認識にとどまらず、経済学というものの同一性を批判する。

 梶井の『資本論』に関する読解も、彼の作品に表面的に顕在化していない以上、こうした部分にあるように思われる。梶井は『檸檬』の時点ではまだ『資本論』を読んでいなかったが、『のんきな患者』は『資本論』を読んだあとで書かれた作品である。『のんきな患者』は梶井がそれまで抱いていた認識を、『資本論』の読解を通じて、とらえなおしていることを表わしていると言うこともできよう。

 『のんきな患者』において、主人公吉田は自分が肺結核だと知った上で、さまざまな迷信や民間療法をもって近よってくる人たちに困惑したのち、次のように言っている。

 吉田はそんな話を聞くにつけても、そういう迷信を信じる人間の無智に馬鹿馬鹿しさを感じない訳には行かなかったけれども、考えてみれば人間の無智というのはみな程度の差で、そう思って馬鹿馬鹿しさの感じを取除いてしまえば、あとに残るのはそれらの人間の感じている肺病に対する手段の絶望と、病人達の何としても自分のよくなりつつあるという暗示を得たいという二つの事柄なのであった。

 吉田が「病院へ来て以来最もしみじみした印象」を受けたのは、経済的な貧困によるだけでなく、救いようのない「絶望」にうちひしがれた人たち、「みな単なる生活の必要というだけでなしに、夫に死別れたとか年が寄って養い手がないとか、どこかにそうした人生の不幸を烙印されている人達」である。しかし、吉田はそうした人たちに同情しているわけではない。彼はただ現実を認識しているだけである。こうした考え方は百科全書的な知識を与えてやれば宗教や迷信を信じることをやめるであろうというオプティミスティックな啓蒙主義に対する批判であるが、太宰治の『斜陽』に見られるようなショーペンハウアー流のペシミズムではない。

 ヘーゲルを究極のぺてん師と罵倒し、哲学の名に値するのは自分自身とカント、それにプラトンだけであるとうそぶいたショーペンハウアーは、『意志と表象としての世界』において、人間の意識は生きようとする盲目的な意志の表象であると定義した上で、現実の制約によって欲求は達成されることはほとんどないため、その欲求が満たされないことにより人間は必然的に苦悩することになると言っている。

 往年の日本の学生諸君に「デカンショ」と唱われ、カントはともかく、デカルトと並べられているのは、彼にはまったく不本意であろう。さらに、ショーペンハウアーによると、人間の理性の能力はこの苦悩を軽減することはできず、それは本質的事態をよりよく理解することにのみ役立つにすぎない。宗教・芸術・道徳がそれぞれ独自の方法で人間の生きることにともなう苦悩を解脱し得る可能性を与えられる。ショーペンハウアーの示したことは通俗的にはかなり流通し、体現されている。

 しかし、梶井は、自分自身において、宗教・芸術・道徳が「病気」の苦悩をとりはらってくれるとは信じておらず、梶井の作品はそうした思考の下にはない。

 むしろ、この部分に限っての認識は、柄谷行人が指摘するように、マルクスの『ヘーゲル法哲学批判序説』における次の言葉を思い起こさせる。「宗教上の悲惨は、現実的な悲惨の表現でもあるし、現実的な悲惨にたいする抗議でもある。宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である。民衆の幻想的な幸福である宗教を揚棄することは、民衆の現実的な幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてもつ幻想を棄てるよう要求することは、それらの幻想を必要とするような状態を棄てるよう要求することである。したがって、宗教への批判は、宗教を後光とするこの涙の谷への批判の萌しをはらんでいる」。

 マルクスは宗教を非科学的・非合理的な思考として斥けていない。彼は、今日麻薬問題を個人的領域のみに限定せず、社会的矛盾の表出として対処しているように、宗教がある現実に根差した不可避的なものであると見なしている。マルクスの作品は、アルチュセールや廣松渉らによって、『ドイツ・イデオロギー』を境にして「認識論的転回」が起こっていると指摘され、初期と後期にわけられているが、彼の認識は初期も後期も現実改革に向かうことでは一致している。

 梶井は、プロレタリア文学者たちのように、民衆は経済的に貧しいから「病気」にかかり、そして無知であるから救いを求めるために宗教や迷信を信じてしまうのだということで、宗教や迷信に対して素朴に批判的態度をとらない。民衆の現実的な幸福への希求が、矛盾に満ちた現実によって、歪められ、宗教や迷信の信仰へと至ってしまう。たとえ知識と教養をつんで、宗教や迷信を幻想だと非難しても、そうした幻想に救いを求めざるをえない現実の悲惨さをとりはらうことにつながらなければ、それこそ幻想にすぎない。知識だけではなく、それを用いて創意工夫することのできる知恵を持たなければ、真の批判にはならない。

 知性とはたんに知識を所有していることではなく、臨機応変に、知恵を働かせることができることだ。知恵に関する認識の欠けた多くの啓蒙主義批判は、それを知識至上主義として断罪・糾弾するだけで、その結果、神秘主義に帰着することになってしまう。梶井の視線は、「人間の感じている肺病に対する手段の絶望と、病人達の何としても自分のよくなりつつあるという暗示を得たいという二つの事柄」と述べているように、マルクスと同様、こうした「迷信」を生み出してしまう現実にまで届いている。

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