寝台列車とアランフェス協奏曲

文字数 1,075文字



 旅を計画する際には、目的地までの移動手段を、各種の交通機関の比較検討を行い、選び上げるものだ。空の旅、船の旅、鉄道の旅、バスの旅、またはマイカーやオートバイでの旅など、それぞれの移動手段に別々の旅の魅力が含まれている。
 それらの中で最も身近でポピュラーな選択肢として、鉄道の旅を挙げることができるであろう。そして、鉄道の旅の中には「寝台列車」というアイテムがある。
 私は、過去にたった一度だけ、寝台列車の旅を経験したことがある。それは我が国でのものではなく、スペインのマドリード~バルセロナ間を運行する寝台列車であった。
 マドリードのアトーチャ駅を夜更けに出発。個室から味わう別国の暗闇の車窓の外の風情を楽しみながら、滅多に味わうことのできない時間の中にいることだけでも、たまらない歓びに包まれていた。
 そして、途中こんな名称の駅にも停車した。
 「Aranjuez?・・・あ、アランフェスだ!」
 ロドリーゴの名曲『アランフェス協奏曲』に関する説明は、ここで改めて行う必要はないだろう。クラシック音楽というカテゴリーのみならず、ジャズの帝王マイルス・デイビスによる演奏など、ジャンルを超えて世界中で愛し讃えられてきたスペインを代表する楽曲であるこの作品の旋律が、「Aranjuez」という文字列が視界に入ってきたと同時に脳内で奏でられた。
 深夜の停車であり、ほんのわずかな時間であったのだが、ロドリーゴを至近距離に感じることができた瞬間が嬉しくてたまらないものだった。
 「いつかはこの駅に降りて、王宮を望める場所に行ってみたい」
 そう思いながら、バルセロナへと急ぐ列車とともにその場を立ち去っていった。

 夜の闇の中を走る寝台列車。
 生まれて初めての体験というものは、車窓の景色が闇であっても、異文化の外国で、いつともは違う日常感が高揚感を大いに促してくれ、就寝する時間さえも惜しみながらその魅力の中に包まれている時間を堪能することに熱中していた。
 朝目覚めると、列車の車窓の向こうには、初めて目にする地中海が広がっていた。車窓が、映画のスクリーンのように連続で流れてくれている。
 なんて美しい世界なのだろう。アランフェス協奏曲の旋律が、まだ脳内でリフレインし続けている。
 このまま、ずっとずっとこの車窓から流れる風景の時間の中にいたい。目的地よ、まだまだ先にあってくれという懇願の想いが派生してきてしまう。
 旅には、「旅情」というものがある。
 寝台列車という箱の中の空間は、旅への想いをより豊かなものに付加させてくれる、心憎く、希少で貴重な夢の箱だ。
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