第9話 若い刑事との出会い

文字数 1,904文字

 私の名前は伊美 昌宏(いみ まさひろ)、法医学者だ。
 法医学者とは、解剖や薬毒物検査などを行うことにより、犯罪捜査や裁判の証拠を収集する医者だ。ちなみに、法医学とは犯罪捜査や裁判の過程で用いられる医学のことを指す。

 刑事ドラマで被害者を解剖している医師をイメージしてもらえばいい。死体と向き合い、犯罪の証拠を集めるのが私の仕事。だから、私は常に死体に触れながら暮らしている。

 死後の時間の経過に伴って、死体は徐々に腐敗していく。つまり、新鮮な肉が時間の経過とともに腐っていき、その過程で死体は匂いを発するようになる。だから、私の職場は大なり小なり死臭が漂っている。ただ、人間の嗅覚は疲労しやすくて、死臭にもすぐに慣れる。私は死体から発する匂いに気にならないのだが、慣れていない人からすれば私に染みついている匂いに不快感を抱くかもしれない。

 ある小説を読んでいたら登場人物に法医学者がいた。この法医学者は自分の身体に死臭が染み付いていると思っていて、匂いを消すために香水を必要以上に付けていた。自分は気付かない死臭でも、他人には不快な匂いがするのでは?と気にしていたみたいだ。私は香水を付けないが、その法医学者の気持ちは理解できる。

 さて、私の仕事は人が死んでからスタートする。死体の状況を確認して、犯行に利用された凶器や薬物を特定することが私の仕事だ。刑事と同じ目的を共有しつつも、刑事とは違った観点から事件を解決する。私はこの仕事に誇りを持っている。

 日々死体と接していた私が、死について興味を持ったのは自然なことだったかもしれない。私は証拠収集の過程で、故人が生前どのような生活を送ってきたか、どのような状況で殺害されたかをいつも考えている。

 法医学者の仕事は証拠だけで全てが解決する訳ではない。証拠は犯人が殺害に至った仮説を検証するための手段だ。これが法医学の真相だと私は理解している。

 犯人の殺害動機の推測、殺害方法に関する仮説と検証・・・殺害時の被害者の状況、これが私の興味の根底にある。

――殺害された瞬間、故人は何を考えていたのだろう?

 私はこの疑問を解くために何人かの殺人犯にインタビューしてみた。だが、被害者の最後についてはほとんど覚えていなかった。犯人は興奮状態にあるし、死体(被害者)に興味のある犯人は少ない。だから、私は自分で確かめることにした。

 これが後の『小指フェチ連続殺人事件』の始まりだ。
 ちなみに、私は小指フェチではない。殺害時の被害者に対する仮説と検証を行う、ただの法医学者。

 小指フェチの刑事と出会ったのは、ある殺人事件の検視の時だ。殺人事件の証拠の確認をしたいと若い刑事が私の作業部屋にやってきた。
 作業部屋には作業途中であった女性の死体が置いてあったのだが、私が少し部屋から離れて戻ってくるまでの間、その刑事はその死体をずっと見ていた。正確にいうと、女性の死体の一部分、手をずっと見ていた。

 私が「死体に興味が?」と聞いたら、その刑事は「興味があるのは女性の小指です。変ですか?」と逆に聞き返してきた。

「そこまで変じゃない。特にこの女性は綺麗な指をしている。美しい小指だと思うよ」
 私がそう言うと、若い刑事は嬉しそうな顔をした。
 オタクが同じ趣味の人間に出会ったような感じだ。「小指のどこが好き?」と話したそうにしている。

「先生も小指に興味があるんですか?」
「いや、私は仕事だからね。ただ、見慣れているとは言っても、汚い死体よりも美しい死体の方が好きだよ。解剖する時もなるべく傷をつけないようにしているしね」
「へー、興味深いですね。死者の尊厳を守る、そんな感じですか?」
「まぁ、そうだね」

 その時の会話はこれだけだったと思う。その後も何度かその若い刑事と雑談したのだが、ある時、若い刑事に質問された。

「検査の際に死体の一部が損壊してしまうことはありますか?」
「無くはない。でも意図的に傷つけようとは思わない」
「もし、もしですよ・・・」

 若い刑事は言うべきか迷っていた。

「どうしたの?」
「もし、僕がこの死体の小指を切り取って、持ち帰ったとしますよね・・・」
「君が小指を持ち帰る?」

 若い刑事は間をおいて言った。

「この場合、先生が何かの罪に問われますか?」
「うーん、どうだろうな? 死体の一部が完全に消失しているのだから、死体損壊罪に問われるかもしれない」
「そうですか・・・」

 その若い刑事は寂しそうな顔をしていたから、私は彼に尋ねた。

「ひょっとして、小指が欲しいの?」

「えぇ、まぁ・・・」その刑事は歯切れ悪そうに答えた。

 それが私と若い刑事の利害が一致した瞬間だった。
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