第5話 フェロモン狼煙

文字数 2,130文字

地味子は、東京近県の地元進学校に通う高校二年生である。勿論、本名は別にあるのだか、厚底気味の眼鏡と今時の女子高生にしては長めのスカート、口下手ときては周囲から地味子の通称をもらっても仕方ないと内心諦めているところがある。

地味子は勉強はできる方である。予習復習は毎日するので、成績は中の上、都内の六大学はおろか、もう少し頑張れば国公立さえ狙える位置にいる。

そんな地味子にも青春の疼きがある。恋である。恋がしたい、地味子は初夏の鯉のぼりを観ながら切実に思い、それは切ない空想へと転化した。

地味子には、他人が知らない意中の人があった。同じクラスにいる野球部のエースJ君である。彼は、身長180cm近い痩身から快速球を投げ込む本格派のイケメンで、クラスの女子はおろか全校女子の憧れの的であった。

ああ。J君がわたしの恋人になってくれたら、地味子はJ君と手を繋いで桜並木を連れ添って歩き、春の時雨の相合傘の中で唇を奪われるシーンを何度も想像しては胸をときめかした。

ああ、どうしたらどうしたらJ君の心をこっちに振り向けることができるのかしら、でもライバルが多い、多すぎる、J子は鏡の前で地味な自分の顔を見ながら熱い溜息をつくのであった。

地味子はまた勤勉な娘でもあった。週に三、四回は近所のスーパーで、レジや棚卸しを任されて働いている。「やあ、君よく働いてくれるねえ。でも惜しいな、もうちょい可愛いかったら看板娘になるんだけどな。ま、いいや俺が気に入ってるんだから」。

頭の禿げた中年の店主にこう言われると地味子は複雑な想いになる。違う、私が想われたいのは、こんな中年じゃなくJ君、J君が好き、でもこれは私の片思い、店の前にある一方通行の交通標識を見ては地味子は寂しい想いに駆られた。

地味子が店の事務室でパソコンを見ていると、ある商品が目に止まった。「フェロモン狼煙...これで貴女も意中の人をゲット」、地味子は商品の掴みを思わず音読してしまった。価格もセール中とあって、1980円と手頃である。

地味子は、J君に好かれたい一心、藁にも縋る想いで早速にこれを購入した。

到着した商品は、虫除けのバルサ○のような金属製の円形で、これの蓋をとると紐状の導火線がある。これに火を付けて発煙、そしてその煙をスカートの中に篭り入れて、意中の相手にいい加減想いを込めてから、空に煙を解放する。これを繰り返すのである。

J子は、早速に深夜の公園でこれを試すことにした。公園には勿論人気などあろうはずもなく、隣接した雑木林から時折山鳥の鳴き声が聞こえてくるだけである。

地味子は、スカートの中に篭った煙りにJ君への渾身の想いを込めて夜空に放った。空は、満天の星空である。
「これで、J君と一緒になれる」、地味子は幸せな達成感に酔った。

翌朝。野球部の男子から次々とメールが入ってきた。

「今度、ウチに来ませんか?一緒にコタツでニャンニャンしたいな。Love」

ーセカンドの猫田だ、この暑いのにコタツ?キモいわ。

「ピューロ、海岸線の岸壁で一緒に焼き肉弁当しよーよ。それから二人で、大空に昇天しよーよ、ピューひゅるひゅる」

ーセンターの鳶田だわ、鷲鼻が気持ち悪い、ボツ。


「きゃ、きゃ。一緒にモンキーランドに行って、走り回ってはしゃゴーよ。好ききゃよ」

ーショートの猿田だ。山の中で暮らせばいいんだわ。

「おっす、岩田でごんす。君の恋の直球を一度受けてみたいな。リードは、俺がするぜ」

ーキャッチャーの岩田、男らしいけど、あのゴリラ顔がね〜、進化してないわ。バナナでも与えとければいいのよ。

ない、ない!肝心のJ君からのメールが。どこを探してもお目当てのJ君からのメールがない。あの爽やかな青春の象徴のようなJ君、ああどうしてこう、ワイルドビーストな男の子からしかメールが来ないの?

アニマルはいらない、私が欲しいのはJ君の「好きだ」というメールだけ。あとは要らない。

「充電して下さい」、地味子の携帯がパワー不足を表示した。そうだ、パワーが不足していたんだわ。二つ炊けばいいのよ。そうすれば、私のこの胸を焦がすような想いはJ君に伝わるはず。

地味子は、さらに狼煙を二缶購入し、くだんの公園で深夜の儀式を執り行った。もうもうとした煙りが雑木林に入っていく。缶の横にある小さなテロップ「炊きすぎに注意して下さい」を見落として。

翌朝、地味子が通学しようと雑木林の横にさしかかると、どこからともなく野犬♂が集まり地味子にシャーっとマーキングを始めた。

地味子の足元はビシャビシャに濡れた。さらに雑木林からカブトムシの♂が多数飛来して来て地味子の頭に止まって射精し始めた。

あーん、さらにワイルドな♂が集まって来た〜。違うのよ、こうじゃないの。

「よっ!地味子、ワイルドな♂にはよくモテるな、たまには人間の男にもモテたらどうだ」、地味子の背をポーンと軽く叩いて、ユニホーム姿のJ君が爽やかに駆け抜けていった。

















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