020)(最終話)カマル【この先もずっと】

文字数 5,548文字

[登場人物]
カマル:書記見習い、アンドロイド
メリメルセゲル(メリ):書記見習い
ネフティト:アビドスから来た踊り子

17王朝
タア二世←―――――→ イアフヘテプ妃
     __|__
第18王 ↓     ↓
イアフメス←―→イアフメス=ネフェルタリ妃
      ↓
アメンヘテプ一世
  ____|_______
 ↓            ↓
王女←―→トトメス一世←―→王女
   ↓        ↓
トトメス二世 ←―→ハトシェプスト女王
   ↓
トトメス三世
――――――――――――――――――――――――――――――――

オペトの大祭を一週間後に控えた日の夕暮れ、カマルは王家の谷の山の頂きに立っていた。

眼下には、かつてイアフメス=ネフェルタリ王妃が封印された墓の入り口が見え、西の空を仰ぐと上弦の月が浮かんでいる。

大きな波動を持つイアフヘテプ王妃の恨みを鎮めるためには、多くの段取りとたくさんの人々の協力が必要だった。

まず、メリメルセゲルの祖父に全てを説明するところから始まった。
王妃の恨みを鎮めるとは結局のところ、恨みを浄化させることだと結論付けられた。

浄化には神官団の持つ呪文の力が必要になる。
大司祭であるメリの祖父の力添えで、アメン神殿の神官達が協力してくれることになった。

オペトの大祭前の忙しい時期だったが、大祭前に(かた)を付けたほうが良いという大司祭の判断も影響した。

イアフヘテプ王妃の魂を鎮める舞台は、アビドスに決まった。
アビドスには、イアフメス王がイアフヘテプ王妃の母親のために建てた礼拝神殿があるのだ。

今日この日までに、礼拝神殿内の祠堂の壁画を、イアフヘテプ王妃が母親と一緒にイアフメス王へ愛を注いでいる図柄へ改修し終えていた。

改修には、職人村の壁画職人に協力してもらい、何とか間に合わせることができた。

アメン神殿のほうの、アメンヘテプ王とイアフメス=ネフェルタリ王妃の祠堂の壁画の修復も終わっている。

アルマントのメンチュ神殿内のイアフヘテプ王妃の祠堂では、計画が始まってからすぐに、王妃の霊を足止めする祈祷が行われていた。
祈祷は神官達によって、連日連夜続けられた。
その甲斐があって、段取りを邪魔されるのを防ぐことができたのだった。

アビドスの礼拝神殿には今夜、イアフメス王のミイラの傍らに、イアフヘテプ王妃のミイラが安置されている。

王家の谷に封印されていたイアフメス=ネフェルタリ王妃のミイラは、アメン神殿の祠堂に運んである。

封印の墓の掘り起こしには、カエムワセトの尽力により、職人村の職人達の力を借りることができた。

カマルにとって誤算だったのは、イアフメス=ネフェルタリ王妃の棺付近から、ベス神の護符が見付からなかったことだ。
チェレプの遺体らしきものも存在しなかった。
不可思議だが、どうすることもできない。

今頃、アビドスの礼拝神殿近くでは、メリメルセゲルとネフティトが神官団と共に待機している。



時間になった。
メンチュ神殿でイアフヘテプ王妃を足止めしていた祈祷が終わる。

同時にアビドスで、王妃の霊を呼び込む祈祷が開始されるはずだ。

程無くして、アルマントの上空辺りに黒いモヤが漂い始めた。
星の明かりを遮るくらいに濃い塊となったソレは、真っ直ぐにアビドス方面を目指して動き出した。

秩序の無い風が吹き荒れ、カマルの意識にノイズが走る。
もくもくと邪気を振り撒きながら、黒い塊はすごい速さで、カマルの佇む山の右側遠くを通り越して行った。

アビドスの街へ着いたソレによって、空が黒い塊で覆われていくのを、カマルは何の感情も無く無心で眺めていた。

人間なら皆の無事を祈るところだろうが、カマルには人間のような心の動きはできない。
だが、カマルの意識は張り詰めていた。

アビドスチームの浄化作戦が失敗に終わった場合は、封印するほうへ計画がシフトされる。
その場合は、イアフメス=ネフェルタリ王妃が封印されていた場所、つまり、ここ王家の谷にイアフヘテプ王妃の霊を呼び込むことになるのだ。

墓の入り口前にはイアフヘテプ王妃の神像と内蔵を収めた容器が用意され、メリメルセゲルの祖父が待機している。
大司祭と神官達は厳しい顔で、北西の空へ目を向けていた。

浄化作戦が失敗した時、カマルは彼らへ失敗を伝達する役目を負っている。

アビドスの街を包む黒い塊は徐々に大きくなっているように見えた。

百キロほど隔たりのあるアビドスの状況は、カマルの瞳の拡大機能でも雰囲気を捉えるのが限界だった。

黒い塊の下では、王妃の霊と呪文を唱える神官達との攻防が繰り広げられていると思われる。

ナイル川の対岸のアメン神殿からも呪文が聞こえていた。

十五分経った。
ただ見守るしか無いという局面で、人間には長く感じられる時間だ。

塊の中央付近で、突如、稲妻のような閃光が走った。
オレンジ色をした温かみのある光だった。
勢力を広げ続けているように見えていた黒い塊の威力が止まった。

ほぼ同時に、ナイル川の対岸にあるアメン神殿から、大きな白いの光が、アビドスのほうへ飛び出して行くのをカマルは見た。
光が黒い塊に衝突すると、地上付近からも白い光が持ち上がり、黒い塊を包み込んだ。

空全体が振動と共に轟いた。
強い風が吹き、砂が舞う。

砂煙に遮られていた視界がクリアになると、邪悪さだけを振り撒いていた塊は光に溶け、優しい輝きを放っていた。

輝きは膨らんでいき、ぼわっと破裂すると、流れ星のような沢山の光の粒を放出して消滅した。
光の粒は空を走り、辺り一帯の上空に降り注いだ。

その様子は、王家の谷にいる神官達の目にも映っていた。
見ている者の中にあるマイナスの感情も一緒に清められるような、純粋なエネルギーに満ちた光の粒だった。

カマルの意識で見ても、カマルの瞳にその光景は美しく映った。

歓声が上がった。
その神々しい現象に、邪悪さが残っている訳がないと、その場にいる者達は感じ取ったのだろう。
恨みは包み溶かされたのだ。

麓へ下りたカマルは大司祭とお互いを讃え合った。
カエムワセトとケルエフトトも姿を見せた。
皆、清々しい笑顔に満ちていた。

「助けてくれ!」
皆の歓喜を止める叫び声が上がった。
一同は笑顔を無くし、怪訝な顔を声のした墓の入り口へ向けた。

「チェレプ」
墓の階段を上ってきた男を見たケルエフトトが、信じられないと言うように呟いた。

カマルの記憶データと照合しても、男の顔は確かにチェレプだった。
盗掘から九年近く経っているのに、姿形は以前のままだった。

「ずっと。真っ暗な所に閉じ込められてて。でも、さっき。すんごい音がしたと思ったら、急に出口が見付かったんだ。助かったぁ」
チェレプは興奮して一人で喋っていた。
「あれ?お前、ケルエフトトじゃないか。少し見ない間に、老けたなぁ」
呑気に笑っている。

カマルはチェレプに近寄り、首に下がっているべス神の護符を引きちぎるようにして回収した。

「あっ!おい。返せよ。それに祈ると、変なモノが寄って来ない。すごい護符なんだぞ」
「お前には、もう必要無い」
カマルは冷たく言い放った。



翌日の早朝。
ナイル川の川岸で女の子の水死体があがった。

遺体を確認したカエムワセトが、パディの娘のビントだったと驚いていた。
まるで、数分前に溺れたみたいに傷も無く、生前の姿を保っていたそうだ。

テーベに戻って来たメリメルセゲルにビントの話をした。
「昨日、夢に出てきてくれたよ。ありがとうって、無邪気に笑ってた」
メリメルセゲルに別れを告げた後、パディと寄り添って、雲の上を歩いて行ったと言う。

ビントの身体もやっと邪悪なモノから解放されたのだ。



オペトの大祭が始まった。

アメン神とムト神、コンス神の神像を乗せた聖舟がアメン神殿を出発し、テーベの南の街に建てられた神殿へと向かう。
ネフティト達踊り子が、神官と共に聖舟に随行する。

大祭を見学に来た大勢の人達と共に、カマルとメリメルセゲルは沿道を歩いて、踊り子たちと一緒に移動していた。

「綺麗だね」
抱えていた陰りのようなものが消え、ネフティトには気品と自信の備わった美しさがあった。

「俺の嫁さんになる人は、世界一の美人さ」
そう言うメリメルセゲルも、落ち着きのある大人の顔になっていた。

運命と言うものがあるというなら、どこからどこまでが運命だったのだろうと、メリメルセゲルのすっきりとした顔を見ながらカマルは考える。

宿命というのもそうだ。
本当は、王妃自身が浄化を望んでいたのかもしれない。
恨み続けることを自らに許し、闇に落ちてしまったが、誰かに止めて欲しいと願っていたのでは無いだろうか。

惹かれ合う者同士の気持ちを結び付けたのは、王妃の霊だったとも言える。
振り上げた拳を下ろす手伝いを、自分達はさせられただけだったのかもしれない。

何であれ、憎しみは包み溶かされた。

稲妻のような閃光で王妃の恨みを留まらせたのは、イシス女神とホルス神の護符の力だった。
メリメルセゲルの無事を願う母親の念がこめられた護符だ。

そして、たくさんの神官達の意識が集約され波動となって、イアフメス王とイアフメス=ネフェルタリ王妃の念を引き出した。
引き出された二人の母を想う念が、王妃の恨みを浄化へ導いたのだ。

それは、アンドロイドが何体集まっても成し得ないことだった。

メリメルセゲルからあの日、アビドスでネフティトの祖母に会ったと聞いた。
浄化が済んだ後、祖母はメリメルセゲルに向かって丁寧に膝を折ったという。

「父に代わって、お礼申し上げる」
ネフティトの祖母の父親はトトメス一世王だ。
「メリの父君のことを、話さなければならない」

窪んだ瞼が更に窪んで見えたとメリメルセゲルは言っていた。
メリメルセゲルは全て知っているからと告げ、ネフティトには言わないでくれと頼んだらしい。

「これからは、ナイル川も穏やかに渡れるな」
メリメルセゲルが感慨深い様子で呟いた。

神官に担がれた聖舟が、人々を引き連れ、ナイル川添いをゆっくり進んで行く。

神殿内へ聖舟が入って行くと、踊り子による舞が始まった。

ネフティトは常に踊り子達の中央で舞い、演目自体のレベルの底上げを牽引していた。
ネフティトはこの祭りで、舞姫として不動の地位を得ることになるだろう。

「メリの結婚は、まだ先になりそうだね」
「そう言えば。センネジェムがヘベヌトと結婚するって聞いたか」
「知ってるよ」

ネフティトを訪ねて行ったセンネジェムに、ヘベヌトが一目惚れしていたらしい。
ヘベヌトの父とヘベヌトの両方から猛アタックされたと聞いた。

困った顔で話すセンネジェムからは、実は嬉しく思っているのが伝わっていた。
素直なヘベヌトが可愛くて仕方無いのが、言葉の端々にこぼれ出ていたのだ。

「センネジェムには幸せになって欲しい」
メリメルセゲルは心から安堵しているようだった。



三年後。

アルマントの別荘にはメリメルセゲルの祖父母と、ネフティトの祖母と両親、サトとジェドハト、センネジェム夫妻、カエムワセトが集っていた。

今日は、メリメルセゲルとネフティトの結婚の宴が開かれるのだ。

あれからメリメルセゲルは神官職へ進み、来年には祖父の大司祭の役職を受け継ぐことになっている。

ネフティトのほうは踊り子達の指導者の称号をファラオから与えられ、舞姫を引退した。

そんなことにはならない思うが、例えメリメルセゲルと離縁したとしても、充分自分自身を養っていけるスキルと地位を手に入れたことになる。
ネフティトは心の底で望んでいた自立を果たしたのだった。

「メリ。二人に会わせたい人がいるんだが。入っていいか」
宴の始まる前、控の間にいるメリメルセゲルとネフティトに、カマルは声をかけた。

メリメルセゲルは志咲里が作った腕輪とホルス神の護符を身に付け、ネフティトも、同じく志咲里が作った耳飾りと首飾り、イシス女神の護符を身に付けていた。

「メリのお母様だ」
カマルはそう言って、二人に志咲里を紹介した。
この日に向けて、未来から呼び寄せていたのだ。

志咲里は品の良い佇まいで、新郎新婦の前に進み出た。
四十歳を越えているはずだが、未来に戻った頃と、あまり時の隔たりを感じさせないくらい若い気に満ちていた。

未来ではジュエリー会社を立ち上げて成功していると聞いている。
左手の薬指には、サトとお揃いの指輪がはめられているのが見えた。

「メリ」
両手で口元を覆った志咲里は、その先の言葉を続けることができなかった。

メリメルセゲルも突然のことで戸惑っていたが、志咲里の涙を見ると、急いで近寄り、自分の母親の肩へ優しく手を添えた。
「母さん」

志咲里がメリメルセゲルを抱き締めると、メリメルセゲルも志咲里を抱き締めた。

「俺を産んでくれて、ありがとう。皆に愛されて。俺は幸せだよ」
「良かった。メリの幸せを、ずっと祈ってた。結婚おめでとう」

メリメルセゲルにそっと寄り添ったネフティトに、志咲里は穏やかに微笑んだ。
「ネフティト、メリをよろしくお願いします。アクセサリー、とても似合ってるわ。綺麗よ」

涙を拭いた志咲里がカマルのほうを振り返った。
「カマル、ありがとう。今までメリを見守っていてくれて」
「俺からも、カマルに礼を言いたい。考えてみたら。母さんのお陰で、カマルにも会えたんだな。カマルは俺の親友なんだ。この先もずっと」

アンドロイドにも流せる涙があったならと思う。
今自分が認識しているのは、感動と言える感情だ。
その認識に見合う表情を作ることができないでいる。

人になりたいと考えたことは無いが、この感動を伝えられるなら、今だけ人になって号泣するところを見せてみたい。

私こそ、お礼を言うよ。
メリ、ありがとう。
そして、これからもずっと友達でいよう。

カマルは幸せというものを認識していたのだった。
〔完〕
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