011)メリ【死者の町】

文字数 6,080文字

[登場人物]
メリメルセゲル(メリ):書記見習い
カマル:書記見習い、アンドロイド
センネジェム:テーベの監督官
カエムワセト:職人村の監督官
ケルエフトト(トト):カエムワセトの兄弟弟子
パディ:盗掘人
ビント:パディの娘、メリの幼馴染み

アメンヘテプ王、トトメス一世:古代エジプト第18王朝のファラオ
――――――――――――――――――――――――――――――――

舟がナイル川の西岸に着くと、センネジェムは職人村のほうへと足を向けた。

てっきり、ハトシェプスト女王の葬祭殿のほうへ行くと思っていたメリメルセゲルは胸を弾ませた。
偶然にも、ビントの夢に出てきたケルエフトトに会えるチャンスが訪れたのだ。

職人村は王家の谷を取り囲む山の麓、増水季の始まったナイル川から、そう遠くない場所にあった。

時間的に職人のほとんどが建設中の王墓のほうへ行っているようで、村に残っているのは職人の家族ばかりに見えた。

村の一番大きな建物のほうへ歩いて行くセンネジェムの後ろを、メリメルセゲルとカマルが付き従う。

建物へ入ると、二人の男が図面を広げて打ち合わせをしているところだった。
二人は外部から来た三人を見ると、急いで図面を隠した。

機密保持のためだ。
相手が官職の者でも、王墓に関して秘密を明かしては駄目なのだ。

建物の中にいたのは、センネジェムよりもかなり歳上と思われる男と若い男だった。
王墓建設の監督官カエムワセトとその助手だと紹介された。

「生者の町の監督官が、何のご用ですか」
生者の町の監督官とはセンネジェムを指して言ったようだ。
対比で考えると、カエムワセトは死者の町の監督官となる。

「この村の、アメンヘテプ王神殿の壁画を確認させてもらいに来た」
アメンヘテプ王の庇護の元で発展してきたと言えるこの村には、王の神殿が建てられている。

アメンヘテプ王はそれまでの慣例となっていた葬祭殿への埋葬では無く、別の場所へ秘密の墓を造る計画を立てた。
ファラオの墓は埋葬後すぐに盗掘される被害に遭ってきたからだった。

「アメン神殿のアメンヘテプ王の祠堂の壁画が。何故か、ごっそり剥がれ落ちてしまってね。修復しても、すぐにまた剥がれ落ちてくるから。何か。図柄がお気に召さないのかと考えたんだ。こちらの図柄を参考にさせてもらっても良いか?オペトの大祭までに修復する必要があるんだ」

「そう言うことなら、自由に見ていってくれ。写しを取ってくれてもいい」
死者の町の監督官は快く了承して、パピルスと筆記用具も貸してくれた。

センネジェムはメリメルセゲルとカマルをアメンヘテプ王の神殿へ連れて行くと、二人に壁画の写しを任せ、先に執務室へ戻ると言い残して村を出て行った。

メリメルセゲルは心底ほっとして、背伸びをした両腕で、そのままカマルの首へ抱き付いた。
「ありがとう。カマル」
「礼を言われることはしてない」
横から抱き締められたカマルは迷惑そうな顔をしながらも、瞳は嬉しそうに見えた。

「それに、メリ。喜んでていいのかい?何も解決してないと思うが」
「それでも助かった」
と言うより、救われたと思った。

「さっさと、片付けてしまおう」
メリメルセゲルは張り切って仕事に取りかかった。

壁画にはアメンヘテプ王と、生母のイアフメス=ネフェルタリ王妃の図柄が中心となって描かれていた。

太陽が傾き、もう少しで作業が終わるという頃、外が騒がしくなってきた。
職人達が帰って来たのだ。

ここを抜け出すために、カマルにどこまで説明しようかと考えていたところへ、カエムワセトの助手がやって来た。

「夕食の用意ができてる。食事場へ行くといい」
「俺達の分の食事?」
「君達の監督官の使いが、大麦と魚の干物を届けてくれたんだ。遠慮無く、食べてってくれ」
センネジェムの気遣いに触れ、メリメルセゲルは複雑な気分になった。

「私は、食事はいいから。メリは食べに行ってくれ。残りはやっておくから」
助手が去って行くと、カマルがそう言って送り出してくれた。

「カマルも後で来いよ。ビールは飲めるだろ」
どういう訳か、カマルは食事ができないのだ。
ビールのような液体は飲めるようだが、固形物は身体が受け付け無いらしい。

ともかく、これはチャンスだ。
ケルエフトトのことが聞けるかもしれない。

逸る気持ちを抱えて向かった食事場では、既に大勢の男達が上機嫌にパンや野菜、魚を頬張っていた。

「お前さんだね。生者の町から来てるって子は」
食事係の元気なおばさんがメリメルセゲルへ声をかけてくれた。

おばさんの言うなりに空いた席へ座ると、すぐに目の前へ食事を乗せた板皿とビールが用意された。
美味しそうな匂いで空きっ腹だったと思い知らされ、一先ず空腹を満たすことにする。

「おい、知ってるか。ケルエフトトの話」
職人の一人が発した名前が耳に入り、メリメルセゲルは食事の手を止めた。

「何だよ。あのじいさん。また何か、やらかしたのか」
席を二つ挟んだ所に向かい合わせで座っている男達の会話だった。
メリメルセゲルは全神経を耳に集中させた。

「まただよ。また、ファラオの墓に忍び込もうとしたらしいぞ」
「またかよ。何で捕まらないんだ?」

「頭がイカれてるからって。監督官が情けをかけてるらしい。監督官とケルエフトトは、昔一緒にイネニ様の助手をやってた仲だから」
「イネニ様って、トトメス一世王時代の監督官か?」

「墓造りの基礎を固めた人だ。イネニ様の時代を知っているのは、今の監督官の他に、ケルエフトトだけだから。監督官も、役人に付き出すのを躊躇ってるんじゃないか?」

「そうは言っても。あんなじいさんを野放しにしておいたら、俺ら職人の信用問題になるじゃないか」

男が声を荒らげるのを見兼ねたように、二人の横に座っている別の男が口を挟んだ。
「忍び込もうとしたって言っても。どうやら、王墓とは全く違う場所を掘ったり、大声で何かを叫んだりしているだけらしいぞ」

「何だそれは。それはそれで迷惑な話だな」
二人の男の勢いは明らかに和らいで、話題はケルエフトトから逸れていった。

メリメルセゲルは食事を済ませると、おばさんにお礼を言って、カエムワセトの家の場所を尋ねた。
おばさんはメリメルセゲルが、監督官にもお礼を告げに行こうとしていると思ったようで、そんなのいいのにと言いながらも教えてくれた。

教えられたほうへ歩いて行くと、家の前で、胡座をかいて空を見上げているカエムワセトが目に入った。
メリメルセゲルを見ると親しげに話しかけてきた。

「食事は済んだか」
「美味しかったです。ご馳走様でした」
「お礼は、お前の監督官に言えばいい」

唐突にケルエフトトの話をしてもいいものか迷い、メリメルセゲルは横に座っても良いかと聞いてみた。
カエムワセトはニコニコ笑って頷いた。

「太陽が山へ沈んで行く、この空の色は綺麗だろ」
「そうですね」
どうやってケルエフトトの話へ持っていこうかと考えていたメリメルセゲルは、気の無い相槌を打った。

「監督官はずっと、この村で仕事されてきたんですか」
「お前のような見習いの時からだ。あの頃は職人も少なくて、今より大変だった。まぁ。職人が多ければ、また違う意味で大変なんだがな」
そう言って、カエムワセトはニカっと笑った。

「俺の見習い時代の監督官は、それは怖い人でな」
「イネニ様ですか?」
メリメルセゲルは聞きかじりの知識を使ってみた。

「よく知ってるな。ファラオから直々に任命されたくらいのお方だったから、知識もプライドも高かった。他の助手達は皆逃げていってしまった。俺と兄弟弟子だけだ。残ったのは」

「その兄弟弟子が、ケルエフトトですか」
ケルエフトトと聞いて現実に引き戻されたのか、気持ち良く昔話をしていたカエムワセトの顔が引き締まった。

「お前。あいつの知り合いか?」
メリメルセゲルは軽く頷いて見せた。
「と言っても。幼馴染みの父親の知り合いなので、直接お会いしたことは無いですが」

「幼馴染み?何て名前だ?」
「ビントです」
ビントの名前を聞いたカエムワセトは目を見開いた。
「お前。名前は?」
「メリメルセゲルと言います」

「メリ・・・」
カエムワセトは愕然とした。
「そんなことが」
呟くと、急に立ち上がった。

「ちょっと。一緒に来てくれ」
カエムワセトはそう言って、村の外れのほうへとずんずん歩いて行った。

掃除道具でも納めてあるように見える小さな小屋の前で振り返り、メリメルセゲルが追い付くのを待ちきれないといった感じの視線を投げてきた。

小屋へ入ると、老人がぐったりとした様子で、壁にもたれて座り込んでいた。
二人が入って来ても、視線を向けるでも無くぼんやりしている。

「兄弟弟子のケルエフトトだ。トト。おい、こっちを見ろ」
カエムワセトがケルエフトトの頬を軽く叩いた。
「ビントの幼馴染みが来たぞ」
ケルエフトトはゆっくりとカエムワセトを見た。

「ビント?」
呟きの後、カエムワセトの後ろにいたメリメルセゲルのほうを、恐る恐るといった感じで覗いてきた。
メリメルセゲルを見るなり、ケルエフトトはぼろぼろと涙を流し始めた。

「すまんかったな。すまんかった」
しばらく同じ言葉を繰り返していたが、頭を抱えると、今度は後頭部を何度も壁へ打ち付けた。

「トト、やめろ。しっかりするんだ。こいつはメリだぞ。お前がずっと待ってたメリだろ」
「メ、メリ?」
ケルエフトトは我に返った顔で動きを止めた。

「あんた、メリか」
メリメルセゲルが頷くと、ケルエフトトはメリメルセゲルの膝へ抱き付いてきた。

「やっと来てくれたんだな。これであの子も許してくれる」
そう言って、また涙を流す。

「ああ、分かった。今度は話すよ。全部話すよ」
ケルエフトトはメリメルセゲルの後方に向かって話しているようだった。
振り向いてみたが誰もいない。

「お前の父ちゃんが、俺の代わりに捕まったってこと。俺が二人を見捨てたってこと。だけど、だけど」
メリメルセゲルの足元へ崩れるようにして顔を埋めたケルエフトトは、再び感情を高ぶらせた。

「どうしようも無かったんだ。そもそも。盗掘に入る墓を間違えた、あいつらが悪いんだ」
「盗掘?」
聞き咎めたカエムワセトが横で呟くのを聞きながら、メリメルセゲルもケルエフトトが口走った言葉を反芻した。

墓を間違えた?

「本当だ。俺はあの日、待ち合わせに遅れてしまって。あいつらと別行動になってしまった。仕方無く。俺は一人でトトメス一世の墓へ盗みに入ったんだ」

「おい、トト。墓へ盗みに入ったって、お前。いったい何の話をしてるんだ」
カエムワセトがケルエフトトを抱き起こして揺さぶった。

頭を上げたケルエフトトは天井のほうへ視線を彷徨わせ、ああとか、うぉなどと言葉を漏らした。

「パ、パディ。もう許してくれ。全部俺のせいだ。ビントまで、あんなことになったのも」
そう言って、メリメルセゲルの後ろの壁へ視線を落とし、はらはらと涙を流した。

「俺がパディの罪を認めていれば、こんな所へ来なくて良かったのにな。溺れることも無かったのにな。すまんかった。本当にすまんかった」

どうやらケルエフトトは、天井にはパディ、壁にはビントの亡霊を見ているのだとメリメルセゲルは理解した。
パディもビントも死後に身体を保存されていないから、亡霊となって彷徨っていてもおかしく無いと思った。

メリメルセゲルはしゃがみ込んでケルエフトトと顔を見合わせた。
「パディ達が、墓を間違えたって。どういうことですか」

「以前、盗掘されたトトメス一世の墓が、再埋葬される計画が持ち上がった。完全に埋められてしまう前に、()れる物を盗っておこうと言う話になったんだ」

ケルエフトトはゆっくりとメリメルセゲルへ視線を移して静かに答えた。
「俺は知らなかったんだ。イネニからは聞かされて無かったから。王墓じゃない墓があるなんて」

「王墓じゃない墓?」
メリメルセゲルとカエムワセトが同時に問い返した。

「墓の入口は開いてたそうだ。だから、あいつらは。疑いもせずに入って行った」

「どこにあるんですか。その墓は」
「分からない。俺もずっと捜してる」
メリメルセゲルが質問すると、ケルエフトトはそう言って耳を両手で塞いだ。

「パディに頼まれて。ビントに責められて。でも、見付からない。俺はどうすれば良かったんだ」
泣き叫んだ後、ケルエフトトは突然小屋から走り出て行った。
外で奇声を上げているのが聞こえてくる。

「ここ数年は、正気でいる時のほうが少ない」
カエムワセトはしんみりと言い、入口から兄弟弟子の様子を見守った。

「あいつはずっと。メリ。お前を待ってたんだ」
「どういうことですか」
「ビントが亡くなったと聞いた後しばらくの間。ケルエフトトは毎晩のように、メリを呼んでくれ、メリに会いに行くと、うなされてたんだ」

「俺に?」
「メリって誰だって聞いても、分からないと言うから。どうしようも無かった。最近では、お前の名前は時々聞くだけだったが。メリと話ができたから。これでようやく、トトも落ち着くかもしれない」

カエムワセトはそう言うが、奇声が今も聞こえてくるこの状況で、ケルエフトトの状態が落ち着くとはとても思えなかった。

「監督官。俺は、パディ達が入ったと言う墓を調べてみたいんですが。墓の場所とか、誰が埋葬されているとか。そういったことを教えてもらえ無いですか」
「調べてどうするんだ」

「今は、まだ分かりません。これは俺の考えでしかありませんが。パディ達は、何かの封印を解いてしまったのではないかと思ってます」

ケルエフトトの話と『封印は破られた』という夢の中の言葉、それに昨日、自分とネフティトを襲ってきた邪悪なモノ。
それらを繋ぎ合わせた結果、導き出した答えだった。

「パディが盗掘に入ったのは、ハトシェプスト女王崩御の前日です。それ以前に造られた、墓の記録を見せてもらえないですか」

「記録は見せられない」
腕を組んで言い放つカエムワセトは監督官の威厳を纏っていた。
メリメルセゲルはがっかりした顔を見せた。

「だが。俺のほうで調べておく」
「本当ですか」
メリメルセゲルは顔を輝かせた。

「さっき、トトが言っていた。王墓じゃない墓と言うのが気になる。そんな墓の存在は、聞いたことか無い。だが。何よりも、お前がここに来た巡り合わせに、意味がある気がしてならないんだ」
再び外へ視線を投げたカエムワセトの瞳には憂いが見られた。

「トトは罪を犯していたんだな。本来なら。俺はあいつを、役人へ突き出さなければならない。だけど。もう充分、トトは罪を償ったと思わないか?」
メリメルセゲルの赦しを乞う表情だった。

「トトはずっと。自分自身の罪悪感と、パディ親子の亡霊に責められ続けてきた。そうだろ?」
パディやビントの無念を思うと、頷くのに躊躇いが残ったが、メリメルセゲルは黙って顎を引いた。

「もう日が暮れてしまった。今日は村で泊まっていけ。この時間からナイル川を渡るのは危険だ」

日が沈んだ後のナイル川には、死後に、身体をミイラにしてもらえなかった者達の霊が彷徨っていると言われている。

カエムワセトはすぐに、生者の町から来た二人のために寝床を手配してくれたのだった。
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