002)カマル【誰も知らない】

文字数 6,082文字

[登場人物]
カマル:書記見習い
メリメルセゲル(メリ):書記見習い
パディ、チェレプ:盗掘人
センネジェム:監督官

ハトシェプスト女王:古代エジプト第18王朝のファラオ
――――――――――――――――――――――――――――――――

「パディ、お前も来いよ。何のために松明を持ってるんだ。棺の中を照らしてくれよ」
メリメルセゲルは男に言われ、はっとした。

また、この夢だ。
毎回同じ場面で同じ事を感じ、同じ事を不思議に思う不毛な夢だ。

石棺と厨子の間からこっちを見ているのは、ベス神の護符を首から下げている見知らぬ男だった。

「わ、分かったよ。チェレプ」
しぶしぶといった感じで、メリメルセゲルは足を前に出した。
発せられた声は自分のものでは無かったが、自分が発しているという感覚がある。

会ったこともない男の名前を知っているのも、メリメルセゲルには不思議だったし、パディと呼ばれ、こんな暗い場所で、自分が松明を掲げている理由も分からなかった。

メリメルセゲルはふらふらと、チェレプのいる厨子の中へ足を踏み入れようとした。

途端に、厨子の扉が閉まった。
両開きの扉が左右同時に、勢い良く閉じたのだ。
まるで、メリメルセゲルを拒絶するかのようだった。

「どうなってるんだ?チェレプ?おい、チェレプ?」
扉を叩くが、手には弱々しい力しか入らなかった。

ほどなくして、厨子の中からすさまじい叫び声が上がった。
チェレプのものか、判別できない声だった。

メリメルセゲルは後退さった。
何が起きたのか分からないが、尋常でないのは想像が付いた。

更に数歩後ろへ退くと、壁画に描かれた大勢のメルセゲル女神と目が合った。
恐怖が背中を伝っていく。
次の瞬間には走り出していた。

厨子の納められていた玄室を出て、四角い柱のある部屋を駆け抜ける。
そのままの勢いで、緩やかに上昇した通路を走っていた足に何かが当たって、メリメルセゲルの身体は突っ伏せるようにして倒れた。

足に当たったのはアラバスター製の壷だった。
壷の口から豪華な細工の装身具が飛び出ている。

急いで起き上がると、震える手で跳び出た物を戻し、壷を抱えて、再び出口へと転がるように走った。
外へ出たメリメルセゲルは階段を一気に駆け上り、月明かりに全身を照らした。

満月の光を受けたメリメルセゲルに、パディの身体から自分の意識が抜け出した感覚がもたらされた。

パディが装身具の入った壷を、自分の衣服の下に隠す様子を、メリメルセゲルは少し離れた場所から眺めていた。

パディはふと何かを感じたという仕草で、駆け上って来た階段を見下ろした。
メリメルセゲルもパディの視線の先を追った。

王墓の入口辺りに、へどろのような暗闇が漂っているのが見えた。
メリメルセゲルが凝視していると、闇は段差を舐めるように、一段一段ゆっくりと這い上ってきた。

心が騒いだのはメリメルセゲルだけだったようだ。
パディはすぐに向きを変えて、何事も無かった様子で走り去って行った。
パディには黒く重いものが、こちらに向かってくるのが見えなかったらしい。

佇んだメリメルセゲルの耳に、どこからか奇妙な音が聞こえてきた。
甲高い耳障りな音だ。

メリメルセゲルは我慢できなくなって手で耳を塞いだ。
しかし、音は大きくなるばかりだった。

『封印は破られた。封印は破られた。封印は破られた』
音を凌ぐほどの大きな声がした。
違う誰かがメリメルセゲルの頭の中に入って、勝手にしゃべっているみたいだった。

『封印は破られた。封印は破られた。封印は破られた』
男とも女とも、どちらにも聞こえる声で、同じ言葉が何度も何度も繰り返された。

メリメルセゲルは溜まらず叫んだ。
しかし、喉に詰め物でもされているかのように、声が音として発せられることはなかった。

その間に、地面を這っていた闇がメリメルセゲルの間近に迫って来ていた。
もう一度、もう一度と、出ない声を張り上げ、メリメルセゲルは助けを求めようとした。

闇がメリメルセゲルの足元に広がり、身体に沿って上ってこようとしていた。
既に身体は痺れてしまって動けなくなっている。

足首から膝、腰へと、闇がメリメルセゲルの身体を沈めていく。
首までが闇に包括されても、声を上げることは叶わなかった。

苦しい、助けて。

メリメルセゲルの心の叫びは誰にも届かなかった。
遂に、メリメルセゲルの姿全てが闇に浸かり、意識も、闇に呑み込まれて消えた。



「それが、よく見る夢の内容かい?メリ」
独白を聞き終えたカマルはメリメルセゲルの顔を覗き込んだ。

メリメルセゲルはもうすぐ十五歳。
カマルのボディも十五歳。
二人共、書記見習い中の身だ。

「最近、夢じゃないような気がしてるんだ。いや、毎晩のように夢で見てるのは本当なんだが」
メリメルセゲルは疲れた顔で瞼を押さえた。

「子供の頃に、実際に起こったことだったんじゃないかって思うんだ」
奥二重で切れ長、異国の風情を宿した瞳で、メリメルセゲルはカマルを真っ直ぐに見返してきた。

「夢じゃなくて、記憶を思い出してるということかい?」
「その通りだよ。カマル」
カマルの言葉を聞いたメリメルセゲルの声が弾んだ。
「あれはきっと、子供の頃の記憶なんだ」

カマルとメリメルセゲルは神殿の建物を出て、庭に面した木陰に座って話し込んでいた。

ここは古代エジプトの首都テーベ。
都に建てられたアメン神殿の敷地内だ。
この庭は、後世のファラオにより、百三十四本の柱が築かれ、大列柱室と呼ばれる場所だが、今はまだその面影も無い。

神殿内では先ほどまで、新しく二人の上司となった建築監督官、センネジェムの就任式が行われていた。
就任式への出席だけが本日のノルマだった二人は、式が終わったと同時に堅苦しい神殿から抜け出して来たのだった。

「つまり。メリは子供の頃に、パディという盗掘人の身体に入って、パディの身に起きたことを、一緒に体験したって言うのかい?」
「カマルは冷静だから。こういう話を聞いても、バカにしないと思ったから話したんだ。笑わないでくれよ」

笑えないどころか、人間の精神世界へのアプローチ方法には驚かされていた。

カマルはメリメルセゲルの瞳を捉え、誠実に聞こえるように自分の表情と発する声を調整した。
「笑わないよ」

メリメルセゲルはほっと、安心した顔を見せた。
「俺。生命の家に通う前の記憶が無いんだ」
生命の家とは、学門や文字を学ぶための学校で、書記を育成する機関だ。
将来官職に就く者達が通う。

「入学したのが五、六歳くらい。それなら、それ以前の記憶なんて、ほとんどの者が曖昧だと聞くよ」
「曖昧なんてものじゃない。全く無いんだ。カマルは、どの程度覚えてる?俺と同じ時期に生命の家へ来ただろ?」
カマルもメリメルセゲルもテーベを離れて、アビドスにある学校へ宿舎から通っていた。

「私は」
最善の回答を生成し終えるのには、カマルの尺度で少々の時間が必要だった。

事実を言えば、カマルのボディに搭載された端末で体験した内容は、全てデータ保存されている。
何十年前の出来事であろうと、完璧に思い出せるのだ。

私は。
未来から来たアンドロイドだから。
自分が犯した失態の後始末を完遂するために、ここにいる。

カマルがアンドロイドであることは、メリメルセゲルも知らない。
古代エジプト第十八王朝トトメス三世の治世で暮らしている者に、カマルの存在は理解できないだろうし、話す必要も無い。

「断片的だね」
「だろ?」
カマルが口にした答えを聞いたメリメルセゲルは納得顔で頷いた。
「断片でも、記憶は残っているもんだ」
メリメルセゲルは眉間に皺を寄せて腕を組んだ。

「じい様には、幼い頃のことをちょくちょく尋ねてるんだが」
「お祖父様は何て?」
「俺が生まれたばかりの頃のことはイキイキと話すのに。その後のことになると、いつも言葉を濁すんだ。俺との思い出なんて、一つも無いみたいに」

メリメルセゲルがぼやく音声を拾っているカマルの瞳には、色鮮やかに着色されたオベリスクの根元に飛び交う小鳥達が映されていた。
そのオベリスクはトトメス一世の治世に建てられた四角錐の柱で、神殿入口の塔門を挟んで一対設けられている。

もし、未来から来た旅行者のアテンドをしている最中だったら、二一世紀には右側の一本しか残っていないと説明するところだ。

「それで。君はどうしたいんだい?記憶を取り戻したいのかい?」
「取り戻したい。俺を飲み込んだ闇の正体も突き止めたい」
メリメルセゲルの瞳から熱い決意を感じた。

「それに。父親は、俺が生まれる前に死んでるけど。消えた記憶の中にはきっと、母親のことが含まれてるはずなんだ」
メリメルセゲルが生命の家へ通い始めた頃には、父も母も存在していなかった。
記憶を取り戻したい本当の理由は母を思い出すことにあると、カマルは理解した。

「頑張ってくれ。私には関係無いことだ」
「何だよ、その言い方。手伝うとか言ってくれないのかよ」
メリメルセゲルが憤慨した。
「カマルはそんなんだから、俺以外に友達ができないんだぞ」
「メリが、私を友達と思ってくれるなら、それでいい」
カマルは微笑みを見せた。

メリメルセゲルはちぇっと言って立ち上がると、尻に付いた土を払った。

「新しい監督官へ、一緒に売り込みに行こうと思ったけど。俺だけ先に行っちゃおうっと」
メリメルセゲルはイタズラを思い付いた顔で言い、カマルの両肩を押して身体を押し倒した。

むくっと、カマルが半身を起こしている間に、してやったりという笑顔を残して塔門へと走り出していた。
「カマルは砂岩運びの役にでも、されてしまえ」
振り向くと同時に、愉快そうに舌を出している。

カマルの視覚は、走り去るメリメルセゲルの左足首をズームアップした。
一年ほど前にプレゼントしたアンクレットが揺れている。

そろそろ交換時期だな。
早めに交換しておこう。
まだ在庫はあったはずだ。

「待てよ、メリ」
鬼ごっこをする楽し気な笑顔を張り付け、カマルはメリメルセゲルの後を追った。
今のこの状況にこの笑顔が正しいのか、正直分からない。

今は十五歳の身体でそれらしく振る舞っている。
だが、十代の青年が日々どんな速度で心の成長を遂げているのか、実際のところ把握するのは難しく、未だにメリメルセゲルを手本にして学習しているというところだ。

十代の青年と表現したが、二一世紀の感覚なら十五歳はまだ少年かもしれない。
だが、平均寿命が三十歳から三十五歳という現代で十五歳と言うのは、結婚していてもおかしくない年齢である。

「しかし。これで何人目かな」
追い付いたカマルへ向かってメリメルセゲルが声を潜めた。
「建築の監督官職は安定しないな」

建築監督官の下での見習い期間が始まってから半年も経たない内に、監督官が四人替わっている。

「それだけ重責だってことだろう。ハトシェプスト女王時代に監督官だったセンムウトぐらい、ファラオの信頼が厚ければ。ファラオの威光で、諸々の問題を抑え込められるかもしれないが」

センムウトは事実上、官僚のトップだった。
建築に限らず、各部門の監督官に睨みを利かせていた。
部下からのウケは良くなかったが、(まつりごと)としては、一定の秩序が保たれていたと言える。

彼のアイデアが反映された女王の葬祭殿は見事な出来映えだ。
だが、建築のほうの才能には恵まれたが、政の才能はそれほどでも無かったのだろう。
女王が亡くなると程無くして、権力を失った事実がそれを物語っている。

「建築は只でさえ、色んな利権が絡んで来る。今度のセンネジェムも、いつまで持つか分からないな。そう考えると、ゴマする気持ちも萎えるよな」
メリメルセゲルは一人前の役人のように言葉を並べた。

「そう思うなら、わざわざ媚びを売りに行かなくてもいいじゃないか」
「いやいや。どっちかと言うと、媚びを売るのはお前のためだ。カマルは今まで、監督官に気に入られたことが無いだろ。前の前の監督官には特に嫌われて、ひどい雑用を押し付けられたりしてたじゃないか」

カマルは新月の度に休みをもらっている。
それが上司ウケの良く無い理由の一つでもあった。

「そんなこともあったね」
「ほらまた。他人事のように。そう言うとこだぞ。達観して、大人振るのもほどほどにしないと」
「達観してるは、通常、褒め言葉に使われると思うが。今のは違うね」
昔も言われたことのある皮肉を思い出して、カマルは敏感に反応してしまった。

「どうしていつもいつも、そうやって落ち着いていられるんだって話だよ。たまには傷付いてるってとこを見せたほうがいい。カマルが大人過ぎて、時々寂しくなるんだ。カマルのことで、俺がどれだけヤキモキしてても、お前自身は全く気にしてないし」
顔を伏せたメリメルセゲルを見るカマルの瞳に感謝の気持ちが滲んだ。

十代の気持ちの理解に苦戦はしていても、メリメルセゲルと過ごしてきた時間の中で、カマルは人間らしい瞳の動きを習得していた。
それは、現地への潜入役を担い、こうして、一人の対象への密着が許されたアンドロイドだから得られる、かけがえの無い財産だった。

「メリの優しさには気が付いているし、いつも感謝している」

誰かに心配してもらえていると認識すると、アンドロイドでも胸を熱くすることができる。
これもメリメルセゲルのお陰だ。
人間のように、胸へと湧き上がってくる感情が実際には無くても、その感覚は認識できるようになった。

気持ちを吐き出してしまったからか、カマルに感謝を伝えられたからか、メリメルセゲルは照れた様子で首の後ろを掻いた。
「カマルは見習い期間が明けたら、建築官職を希望するんだろ?」
「まだ、はっきりと決めてる訳じゃない」

今は一年くらいのスパンで監督官の下を移動し、色々な職を経験しているが、あと二、三年もすれば見習い期間は終わる。
それまでに、カマルもメリメルセゲルも、人生を委ねる官職を選ばなければならない。

「メリは神官職を希望するのかい?」
「俺に選択権は無いからな。他の官職に就こうものなら、じい様に家を追い出される」
「メリの家系は代々神官だからね。だけど、神官の家系なのに。何故、沈黙の女神の名前を授けられたんだろう」

王家の谷を取り囲む山が神格化したのがメルセゲル女神だ。
死者の守護や王家の谷の守り手として崇められ、沈黙を愛すると言われている。
アメン神殿に仕えようとする者にはそぐわない。

「さぁ?」
メリメルセゲルは首を捻った。
「俺の父親の名前にもメルセゲル女神が入ってるから、気にして無かった」

「そう言えば。夢の中の壁画にもメルセゲル女神が登場したね」
「あの眼!怖かった。めちゃくちゃ怒ってたぞ」

カマルはふぅんと気の無い返事をして見せ、ハトシェプスト女王のオベリスクが建っている辺りで、ぱたりと足を止めた。
「遅かったようだ」

カマルとメリメルセゲルは人影のまばらな神殿内を見て立ち尽くした。
さっきまでセンネジェムを取り囲んでいた大勢の輩も、センネジェムの姿も無かった。

「監督官ならさっき、王宮のほうへ行ってしまったよ」
顔見知りの老神官が掃除道具を片手に教えてくれた。

「これでまた。カマルは雑用係に決定だな」
メリメルセゲルが呟いた。
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