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 小さな頃から観てきた、いろいろな漫画やアニメ、SF映画で描写された未来社会。
 高架の軌道を疾走するエアカーの車窓から見える景色は、尾畑がさまざまなメディアで知ったり、想像していた未来世界のイメージとそう大差はなかった。これといって特徴のない画一的なデザインの建物が立ち並び、すべては煌びやかに光り輝き、高度な文明の栄華を誇っている。建物の間を、縦横無尽に半透明のチューブ式高速道路が駆け巡っていた。彼らの車も、その一本を辿っていた。
 車というが、タイヤは存在しない。エアカーのようなものかと思っていたら、磁力を使うようで、一般にリニアカーと呼ばれているらしい。
 都市は適度に空間を確保され、そこには緑が配置されている。空は澄み切った青一色だった。フューチャーノワールの映画が描いたような、陰鬱な酸性雨が降りしきる未来の都市の景観ではない。無数の航空機らしきものが、頭上を入れ違いながら飛び交っていたが、一見、無秩序に飛んでいるように見えるそれらは、何かによってコントロールされているのだろう。互いに衝突しあうこともない。
 リニアカーの狭い車内で、サキコは最前と同じ躰にフィットしたスーツで、クッションの効いたシートにもたれていた。助手席の尾畑は相変わらず白衣のままである。リニアカーは完全自動操縦ということで、操縦装置らしいものはあったが、サキコは終始、ハンドルにも手を触れず、しきりにスマホらしきものを耳に当てては誰かと話している。
 運転中のスマホが法律違反になった時代のことを思い出して、尾畑はひそかに苦笑した。彼が重大な事故にあったのも、運転中のスマホ使用のせいだった。
 それにしても、この時代、街を行き交う人々のほとんどがスマホを手にしていた。耳に当てて通話する者。液晶画面を見て、さまざまな情報を得ている者。拇指で液晶やボタンのようなものを操作している者。そういった光景は彼が暮らしていた時代の都会のそれとまったく変わらないのであった。
 都市の景観はがらりと変わったのに、スマホだけは尾畑がいた時代と大差ないことを奇異にも思ったが、考えてみると、彼の時代のスマホはすでに完成された形だったのだろう。むろん、機能的には格段の進歩を遂げているに違いない。
 まるで印象派の絵画を見ているような、塵ひとつ落ちていない清潔すぎる未来の世界。その中でも、なぜか人々の手の中にあるスマホだけは、やけに目立っていた。そこだけに尾畑が知っている時代が残っているようで、周囲から浮いてみえるのである。
「そのスマホですけど」
 何げなく切り出すと、隣のシートに背を預けているサキコが「はい?」といった。
「昔、ぼくが使っていたNTTドコモの機種に似てます」
 サキコの表情を見て、莫迦なことを訊いてしまったと後悔した。明らかに的を外してしまった質問を投げられたサキコの顔は、まさにあの長岡美由季のそれによく似ていた。
「先ほども申しました通り、企業というものは一切なくなったのです」また前を向いてサキコがいった。「これは“CES”によって生産され、市民に配られているのです」
「企業はどうしてなくなったのですか?」
「自由競争による営利追求は、もはや時代遅れです。それらはある意味において、文明と科学の進歩をもたらしましたが、今は“CES”によって統轄される市民全体の管理システムが、あらゆる進歩の手段を模索し、実行してますから。それに現代社会においては、戦争も、貧困も、病気もありません。宗教すら、必要がなくなったのです。真の意味で世界はひとつになりました。すべからく人間すべては平等で、貧富の差もなく、平均的な幸福を得ています」
「つまり……個性がないというわけですか」
「むろん、人それぞれの個性は重視され、仕事や娯楽といった分野でそれぞれの能力や嗜好に応じた配分を“CES”から割り当てられています。けれども、あなたがいた時代のような個性という意味とは、ちょっと違うかもしれませんね。無駄を省いて営利や幸福を追求するためには、ある程度の個性の削除は仕方ないことだと思います」
「病気がなくなったとおっしゃいましたが、癌やエイズなどといった深刻な病気はすべて淘汰されたのですか? 先天的な遺伝子レベルでの問題も?」
「難病はすべて克服されました。市民のメンタルおよびフィジカルケアは完璧に行われ、管理されています。現代社会において、病気になる者は皆無といってもいいです」
「人間ドックみたいな、定期的な健康管理のチェックが行われているわけですか?」
「バイタルチェックは定期的というよりもリアルタイムに“CES”との交信で管理されています。もっとも人間の百パーセントが健康体とはいえないので、もしも異常が見つかれば、早期のうちに処置が施されるのです。つまり病気というものがあるにしろ、適切なレベルで完全に治療され、健康体を快復させることができます」
 立て板に水を流すようなサキコの模範的な返答に、尾畑は押し切られ、言葉をなくして吐息を投げるしかなかった。ややあって、彼はずっと思っていたことを訊いた。
「さっきから、“CES”とよくいってますけど、いったいどんな機関なんです?」
「特定の組織ではありません。正確には“基幹局”という名称なんですが、名前自体にはあまり意味がないのです。私たち市民は常にそことつながり、相互に、そして瞬時に情報のやりとりをしてます。だから、“基幹局”は市民を統轄する存在でありながらも、私たちひとりひとりそのものでもあるのです」
「意味が……わからないな」
 サキコはふっと唇を吊り上げて笑った。「今にわかる時が来ますわ」

 リニアカーは都市部を抜けて、郊外の小さな街へと入った。
 首都圏を出て西に向かったということだし、インパネに表示された画像マップから推測すると、どうやら八王子の辺りだろう。もっとも周囲には山もなければ川もない。街の景観はがらりと変わっていて、昔の地理でいってどのあたりに相当するのか、さっぱりわからない。先ほど通過してきた首都圏にひしめく個性のない建物が、ややまばらではあるが、ここにも林立していた。
 建物は適度に間隔を空けて立つ。そこには緑があり、公園もあった。中空に伸びて行き交う透明パイプの高速ラインの下には、歩行者用の道が交差して、人々が歩いている。
 尾畑がいた時代、新宿や渋谷の雑踏や駅の構内を、乱雑な靴音を立てて足早に歩く人々とは明らかに違う、どこかゆったりとしてマイペースな歩き方だった。
 サキコはリニアカーのパネルに並んだボタンをいくつか押した。LEDっぽいライトが点滅し、と液晶表示の画面がめまぐるしく変わり、リニアカーはチューブ状の高速道路から、枝道に入ると、自然な減速をしつつ一般道に滑り降りた。そして、目の前に見える五階建ての円筒形の建物に向かった。
 駐車場には幾台ものリニアカーが並んでいた。さっきからすれ違ってきたその車も、流線型の画一的な形をしていて、車種というものが存在しないらしい。企業がなくなったのだから、それも仕方ないだろうと思った。企業同士の自由競争が消滅した時代、必要のないモデルチェンジは無意味ということだ。だが、尾畑はどうしても違和感がぬぐえない。建物も車も、ここでは個性がまったく排除されている。ありとあらゆる無駄がいっさい省かれているのだ。
 リニアカーが止まり、両サイドのドアがガルウイング状に自動的にはね上がった。
「ここは?」
 尾畑は車外に出て、ジュラルミンのような銀色に光る建物を見上げていった。
「福利厚生施設です。俗にリカバリセンターと呼ばれています。これから正式に市民権を得るまであなたが暮らす家であり、この時代に生きていくための再教育を受ける場所でもあります」
「ぼくみたいな、前時代から蘇生した人間は珍しいのでしょう? 本来、ここはどんなことに使う場所なんですか? もしかして……犯罪者の更正施設か何かですか」
「あなたのいう犯罪というものは、今の時代には存在しません。人間の心に巣食う欲や競争心、嫉妬心、悪意などの劣情は、いっさいが排除されているからです。あなたの心にある、そういった旧時代の無用な感情は、ここですべて捨てていただくことになります」
「無用な感情……ですか」
 サキコは尾畑を見て、微笑みつつうなずいた。
 リカバリセンターの建物に歩いて近づくと、いくつかの出入り口から、大勢の人間が出入りしているのがわかった。多くがスマホを耳に当て、何かを話しながら歩いていた。どこか奇異に感じた。しばらくして、ようやくわかったのだが、笑っている者がまったくいないのである。
 尾畑の時代、スマホは友人や仲間、仕事の相手などとの意思疎通の手段であり、さまざまな感情のやり取りがある。だから人々はスマホを使いながら笑ったり、不機嫌になったり、あるいは怒ったり、泣いたりといった感情をあらわにしたものだ。
 それが、ここにいる人々は、同じようにスマホを使いながら、誰もが無表情で、判で押したように同じ顔をしていた。
 個性の削除は仕方ないこと。
 サキコがいった言葉を思い出した。
 リカバリセンターと呼ばれる建物の入り口には、それらしき表札も看板もなく、ただ自動ドアがあるだけだった。採光を重視しているらしく、窓はたくさんあったが、どれも反射式のもので建物の中はいっさい見えない。
 自動ドアはしゅっと音を立てて左右に開いた。
 中に入ると、やはり白一色の壁や床。染みも汚れもなく、緩やかなカーブとフラットな面で構成された、だだっ広い空間だった。フロアの一角に申し訳程度に置かれた観葉植物がひとつ。小さなヤシのような形をしていたが、何という樹木か尾畑は知らなかった。人工的なもののように思えた。
 その近くに、受付のデスクがあった。
 ふたりが歩いていくと、そこに座っていた若い女性が微笑んだ。
「当センターへようこそ。オバタヒロシさん」
 彼が来ることは、すでに伝わっていたらしい。髪を後ろできれいにまとめた、二十代に見える美女だった。どこかで見たような顔だと思ったらサキコに良く似ている。隣に立っている彼女の横顔をまじまじと見つめてしまった。
 サキコはスマホを取り出し、下端の部分を受け付けカウンターの一角にあるソケットのような孔に差し込んだ。ピッと認識音がして、スマホの液晶部分が光った。すぐに彼女はそれを抜いて、いった。
「これで受付は完了しました。行きましょう」
「え? でも――」
 かまわずサキコは歩き出す。そのあとを追って、尾畑は足早に歩を運ぶ。エレベーターの手前で肩越しに振り向くと、先ほどの受付嬢はまるで彫像のようにさっきと同じ姿勢でじっと前を向いていた。
 ふいに視線だけが動いて尾畑の目と合い、ドキリとした。
 受付嬢はかすかに唇を吊り上げて微笑んだ。
 しゅっと音を立ててエレベーターのドアが開いた。
 サキコに続いて、尾畑は入っていった。

 やはり真っ白な壁に囲まれた、だだっ広い部屋であった。
 そこに足を踏み入れたとたん、尾畑は茫然自失といった顔で周囲を見渡した。白い壁に白い天井、白いベッド。白い椅子と机。精神科病棟の隔離室のようなイメージだった。
 ゆいいつ正面の壁に窓があることだけが救いだった。それは小さな窓なのだが、それでも曇りひとつないガラスを透して外の世界が見えた。
 町並みと、その向こうに広がる真っ青な空だった。その手前にくっきりと見えているのは富士山だった。
 昔の時代の名残を思わぬところに見つけて、尾畑は涙を落としそうになった。
 それも描かれた絵ではないかと、ふと思ったが、間違いなく、それはリアルな景色のようだった。
「ここで暮らすことになります」
「テレビも……本も新聞もないんですか?」
「娯楽は今の時代には必要のないものとされています。本や新聞ですが、情報および教養の伝達手段という意味でしたら、私たちは別の方法ではるかに効率よく得ることができます。もっとも、前時代の人であるあなたは、それを受益者として供与されるまで、少し時間がかかると思います」
 尾畑はゆっくりと歩き出し、窓辺に立った。そして、外の世界を見た。
 まるで監獄の小さな窓から見る外界のように思えた。
 サキコはいった。
「今の時代、世界じゅうの自然はほとんどなくなりました。山も川も今の文明に必要なくなったからです。都市が広がり、混雑した人間の社会にようやくゆとりが生まれたのです。あなたが目にする緑はすべて人工的なものです」
「水や空気は?」
「やはり人工で創られてます」
「だったら……」そういって、遠くに見える富士山を指差した。「あの富士山も?」
「あれはゆいいつこの国に残された過去の遺物です。取っ払うことはできますが、きっと予算の都合で放置することになったんでしょう」
 尾畑の心は悲しく沈んだ。この時代においては、霊峰富士ですら邪魔者扱いなのか。
「ところで、いつまでここにいなければならないんです?」
「再教育の完了が“CES”に認められて指示があるまでです」
「また、“CES”ですか」
 サキコはにっこりと微笑んだ。何の感情も見出せない笑い。
「その再教育というのは、どんなことをするのです? 学校の授業のようなものですか?」
「そういったものは必要ありません。旧時代の教育はアクティブ方式と呼ばれて、ここでは不必要とされています。今はパッシブと呼ばれる方式の教育が常識です。あらゆる知識は全人類の共有物で、あなたも例外ではありません。その知識を得るための処置を、ここで受けるわけです」
「よくわからないな。パッシブな教育って、具体的にどんなものです」
「人間の思考はコンピューターのソフトと同じで、頻繁に書き換えられ、人間の脳にある種の電気信号として送られます。旧来の教育という無駄な手段は、ここでは一切必要はありません」
 そういわれても、尾畑には想像もつかなかった。
「食事は一日に三度、私が運んできます。排泄は、ご自由にそちらのドアで」
 彼女が指差した先に、小さな扉があった。
 尾畑は足早に向かい、その前に立つと、しゅっと音を立ててそれが開いた。
 やはり何の飾りもなく、特別な意匠もない狭い空間に、様式の便器がこちらを向いて設置されていた。トイレットペーパーはなく、用便後の洗浄装置らしきものがついていた。
“おトイレ”や“お手洗い”ではなく、“排泄”とサキコがいったことが心に引っかかっていた。
「まさに監獄だな」
 そう、尾畑はつぶやいた。「外出も自由にはできないわけですね」
「ご心配には及びません。この施設の出入りは自由ですよ。毎日の決まったカリキュラムの時間以外でしたら、ご自由なときにどうぞ」
 サキコの答えを聞いて、彼はホッとした。監禁されるわけではないらしい。
 だが尾畑はこの新しい時代のことを何も知らない。まったくの異世界に来たと同じことなのだ。
 ここから外に出て何になるというのか。それよりも深刻な不安は、自分が果たしてこの新しい世界に順応できるだろうかということだった。
 サキコはそれは心配いらないという。
 人間の能力や適性によって、おのおのが自由と幸福を得ている時代。尾畑もひとりの市民としてこの時代の人間と同じ待遇を受ける権利と義務がある。彼女はそういった。その言葉を信じる以外になさそうだった。
 何しろ、蘇生して以来、まともに会話をかわしているのは、サキコというひとりの女性しかいないのだ。ほかに頼るべき相手もない。
 ふいにあの振動音が聞こえた。サキコはスマホを取って、耳に当てた。
「はい。わかりました。帰還いたします」
 そういってからスマホを折りたたみ、彼女は尾畑を見た。
「では、二時間ばかり私は別の場所におります。外を散歩でもされたいのでしたら、ご自由にどうぞ。この建物の中もどこでも行ってかまいません」
「危険なことはないのですか? ほかに注意事項などは?」
「今の時代、人間がこうむる外的危害は皆無といっていいでしょう。ですから、あなたは何を注意したり恐れたりすることもありません。この時代の人間はみな友好関係で結ばれています。他人という定義も、今は存在しないのです」
「それはどういう意味ですか?」
「今にわかるときが来ますわ」
 そういって、サキコは部屋を出て行った。
 自動ドアがしゅっと閉まってから、尾畑は寝台に腰を下ろし、つぶやいた。
「今にわかるときが来る……か」
 そういわれたのは、二度目だった。

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