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作者ブックマーク

活動報告

総合PV数・七万七千達成

いつもお読み下さる先生方と読者様方に感謝致します。
いつもありがとうございます。

近頃、自死した親友のことをよく思い出します。
私もいつか死ぬと言っていましたが、そう遠くない未来かも知れません。
近頃、職場の方々に「顔色悪いよ?」と言われることが増えました。
夜も眠れない日々が続いています。明らかに寝不足で仕事をしているのに家族はあまり気にしていないです。
一体キリスト教を全否定して、その信徒に食事を買わせる親とはいかなるものかと思います。
家族に対して優しくないと言われながら家族の為に教会に礼拝行くのも断念しているのに。

何の為の人生だったのだろう?

神の恩寵の教理は手にしました。ですが、私はこれを明らかにする前に世を去ると考えています。
神のものは神に。裸で産まれたのだから裸で帰ろうではないか。

私が親に対してたった一つ復讐するとすれば恩寵の教理を封印することかも知れない。
私の親族は後の世で災いをもたらした悪しき人々と呼ばれるでしょう。私を死に追いやり恩寵の教理を葬ったからです。
私は人生を賭けて福音主義的万物救済論を学びました。だからもう神の御手に委ねます。もし、私がいくら反対しても恩寵の教理が残るのであれば神の御意志であります。

だから親のことも生活費は出しますが、もう何も期待していないです。私がいなくなって困ったとしても「何の関わりもない。不法を行うものよ、去るがよい」と述べるだけです。

全てを神の御意志に委ねます。私は衰えました。耳の病、心の病、あらゆるものが身体に不調をきたしています。だからこそ私は親友のことを想う日々が増えたのかも知れないです。

祈り、祈り、祈りの果てに私は何を見出だそうというのでしょうか?
救いか、滅びか。
その答えはいつやって来るのでしょうか?

私は今日も祈ります。世界の同じく悩む兄弟姉妹の為に、迫害される小さき者達の為に。
世界に安息がいつしかもたらされます様に。

2023年 01月18日 (水) 22:12|コメント(1)

佐藤先生

活動報告を拝見し、佐藤様の健康状態に限界が差し迫っているのではないかと危惧し、コメントをさせていただきます。

私が第一に言いたいのは、自死を考えておられるのなら、どうか思いとどまってほしいということです。

もしかしたら佐藤様の周囲には、「ご両親のことも大事だけど、自分のことも大事にしてください」というようなことをおっしゃる方がいるかもしれません。
世の中には「自分のことを大事にしよう!」というメッセージがあふれています。

実際、自分のことを大事にするのは大切なことだと私は考えます。何かのために「自分を押し殺している」「自分を犠牲にしている」という思いを抱き続けるなら、遠からず、心は他人や世界への怒り・嫉妬によって捻じ曲がってしまうでしょう。
「自分のことを大事にできない人間に他人を大事にできるはずがない」というよく聞くフレーズは、こういうことなのでしょう。

しかしながら、自分を大事にするという生き方には、残酷な取捨選択が含まれます。

佐藤様はもう、心身の健康維持とご両親の介護という取捨選択をしなければならないところに来ておられるのではないでしょうか?
文面からの判断ですみません。ですが、そう読み取れるのです。

私はかつて、家庭内で追い詰められて自殺を企図したことがあります。
ですが結局、自分を大事にし、親兄弟を捨てるほうを選びました。
それはもう断腸の決断です。でも、避けられない痛みだったのです。
私は昨年、10年以上の付き合いの友人が、内心では私をただの「親を蔑ろにした者」と思っていたことを知ってしまいました。
これは痛い。とても痛い。その人との友情が元に戻るとは思っていません。それでも、選んだ生き方ゆえに受け入れるべき痛みです。

それでも私は、あなたに生きてほしいのです。

佐藤様は、平日に役所の福祉課に行かれることは可能でしょうか。行って、ご自身とご家庭の状況を話していただきたいと思います。
もしかしたら、特養ホームという選択肢を提示されるかもしれません。
それを選ぶことで、親を捨てたとの誹りを受けることがあるかもしれません(その非難の痛みを私はよく知っています)。

繰り返しになりますが、残酷にでも生きてください。天命と感じることを擲って自死を考えるなど、どうかおやめになってください。

最後に、若輩の差し出口をお許しください。
あなたが望む明日を生きられますように。