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作者ブックマーク

活動報告

生きる意味があるわけじゃない

「スアラちゃんは、どうしてお父さんのことを恐がっていたの?」

「あいつに、言うこと聞かないならレイプするぞって脅されてたんだ」

「その……スアラちゃんのお母さんは、そのことを知ってたの?」

「お母さんは……『でもまだされてないんでしょ』、って……」

(【使者の迷Ⅵ】いつか光の雨が降る)


こんにちは。アースフィアの戦記シリーズの作者です。今回の外伝『使者と死者の迷宮』連載分につきまして、たびたび更新の遅延が発生しましたことをお詫びいたします。

私は最近、大学で西洋哲学の勉強を始めました。とても楽しいです(´∀`*)
いろいろな事情があって高校を出てすぐに働きに出たので、今まで興味のある分野をずっと本を読んで独学してきたのですが、ようやく体系立てて学ぶことができて嬉しいです。
私は運が良くて、いろんな人に手を差し伸べてもらってここまで来れました。気が早いかもしれないけど、院まで出たい。
小説を書くために学んだことは一度忘れて、まっさらな気持ちで勉強に取り組みたいです。



前回の活動報告で配水塔の天使の話を書きましたが、私は、苦境にある人に寄り添うなにものかがこの世に存在することを(そういうものが存在するから世界は美しいということを)割と信じてます。
電波とか笑われても、紛れもなくそれが私の主観世界ですから。

小学1年から4年くらいの間だったと思うのですが、たまに窓から富士山が見えることがありました。
当時住んでいた場所は名古屋。途中で南アルプスに遮られるので富士山が見えるわけがないのですが、たまに何気なく窓の外を見ると、そこにポッとお山が見えるんですね。
子供だったので富士山くらいしか知らないから「あっ、富士山だ」と咄嗟に思ったのですが。
惨めな気持ちだったり、ひどく不安に陥っていても、「ああ、富士山が私を見にきてくれたから大丈夫だ」と安心できたわけです。
親とか教師には、「何を見ているのか、何を考えているのか全くわからない。気持ち悪いガキ」とよく言われました。
他には、ずっと励ましてくれる声があったり……このことは、また別の機会に話すか、小説に書いてみたいと思います。

今回更新した4章分は、特に書くのがつらい場面が多かったです。それが遅延の理由の一つなのですが、登場人物の一人の家庭環境を書こうとして椅子に座り気がつけば1時間経過していたとか、何もないのに涙が出て止まらなくなったりとか、蕁麻疹と血便が出て一文字も書けなかったりとか。
これは私にはまだ書けないんじゃないかと思ったこともあります。

そんな状況で(まあアホみたいな話ですが)新しいソシャゲにハマってしまいまして。
そのゲームの登場人物の一人がすごく好きなんですよ。
そのキャラクターの笑顔を見たり、ウィンクしてもらったり、声を聞いたりしているうちに止まったんです。血便と蕁麻疹が。ありがとう。推しは偉大。
ゲームにうつつを抜かして小説の更新が遅れたんじゃないんです。
逆です。
ゲームに心を救われて一番つらい場面を切り抜けることができたんです。
繰り返す。
推しは偉大。

なんていうか、心には、自分を自分自身から救い出す機構があると思うんですよ。
恐らく私たちが持っているものは『生きる意味』じゃなくて、『意味の可能性』なのだろうと思うのです。
別の言い方をすれば、私たちの生命には、その生涯を通じて意味を獲得しうる本質がある。
そうでないならば、複雑な心の機構が自己と生命に対して何を補償し得るのでしょうか?



今後の予定ですが、夏と秋の間はpixivで好きなゲームの二次創作をしていようと思います。
ノベルデイズ には年内に戻ってきて、今度は本編『月ニ憑カレタ歌語リ』をまた4章分公開したいです。
外伝『使者と死者の迷宮』は次の4章分で完結します。

時間がかかっても、コツコツ積み上げて完結させていきますね。

2021年 07月15日 (木) 20:11|コメント(2)

学校にお仕事に執筆に、頑張ってください(≧∇≦) 二次創作も楽しみです。作品への愛が溢れたものが、僕は大好きなので。コツコツ積み上げてきたそのフルオーケストラみたいな重厚さを持った作品に、いつも僕はノックアウトされっぱなしでしたし、これからもきっとそうです。作家は、年月が経たないと一文字も書けない人物像やエピソードなどがあるものです。僕もそうです。なので、この活動報告、心に染みました。意味の可能性、素敵な言葉です(ツァラトゥストラさんみたいなところに着地したのでびっくりしました)。哲学者には「哲」学者、と、「哲学」者がいると思います。とよねさんの「哲学」が研ぎ澄まされることを、願っています(なぜなら読者の僕が喜ぶから)。ではでは。
るるせさん、こんにちは(*´∇`*)

コメントをありがとうございます!
私はたまに、自分の身に起きた全てのことに対する感謝がこみ上げてくることがあります。
それが、『私に関わった全ての人』への感謝になることは決してないのに、です。不思議なものですね。
それでも書けることが増えていくと、過去が過去になりつつあるんだなと実感できます。

私よりもずっと勉強をされてらっしゃるるるせさんにこのようなことを言うのは口幅ったいのですが、私にとって哲学って、人間の可能性に賭けるということなんです。その人間には、もちろん自分自身も含まれます。
意志とか尊厳とか、勇気とか、形のないものをかき集めて未来を良くするための方法というか。

でも、まだうまく言葉にまとまらないですね。

いつも読んでくださってありがとうございます。
作者として、それが一番嬉しいです( ^ω^ )