第33話 ゆるふわな逸材
文字数 2,261文字
水泳部のメンバーは、3年生3名(男2女1)、2年生2名(女2)の計5名で構成される。しかし秋には3年生の3名が引退するため、それと同数以上の新入部員を確保しなければ今年度限りで廃部の危機を迎えてしまう。
今回、桜子が入部したので残りは2名。なんとか秋までに部員を増やさなければならなかった。
入部初日。桜子は練習の見学と施設の案内を受けた後に、全員の練習終了を待って挨拶と自己紹介をした。
「1年3組の小林桜子です。頑張って練習に付いていきますので、よろしくお願いします」
部員たちはとても喜び、暖かく歓迎してくれた。もちろん桜子の魅力が先輩たちを惹き付けたところも大きいが、今話題の美少女が入部したと水泳部が注目されれば、その効果で新入部員が増えるかもしれないと期待したのが正直なところだ。
桜子が水泳部に入部したニュースは学校中にすぐさま知られるところとなった。本人は全く気づいていなかったが、彼女の一挙手一投足は常に注目の的だったのだ。ともすれば、たちの悪いストーカーのように聞こえるかもしれないが、それは彼女が学校中から注目されている証拠でもあった。
プールに行けば桜子の水着姿が見られる。同時にそんな噂も広まったが、そのためには区民体育館のプールに入場しなければならず、そう簡単に第三者が見られるような状況でもない。
そんなわけだから、桜子が入部した直後から水泳部の入部希望者が急増した。しかし邪 な理由で入部した者は当然のように長続きせず、そのほとんどが一週間を待たずに退部していった。
退部理由の多くは「練習が厳しすぎてついていけない」という体 のいい言い訳だったが、実際それは真実だった。
水泳部顧問、根竜川瞳 は驚いていた。
桜子が最初に入部を希望してきたとき、この子は本当にやっていけるのかと疑問に思った。なぜなら、普段のゆるふわとした雰囲気の桜子は、およそ努力や根性とは無縁に見えたからである。どう控えめに見ても、コンマ数秒を争う厳しい練習についていけるとは思えなかった。
訊けば、以前に水泳を習っていたとも言うが、それも小学生のお稽古事程度なのだろうと思わざるを得なかったのだ。
桜子の入部直後から入部希望者が殺到したが、そのほとんどが男子だ。どうせ桜子が目当てなのだから、すぐに辞めるだろうと高を括った根竜川は、新入部員を一ヵ所に集めてろくに指導もせず、先輩部員達にも放置するよう命じた。
しかし、まだ練習を始めていなかった桜子は、新入部員たちを取り纏めて自主練習を開始したのだ。一応は経験者ということで彼女が中心になったのだが、その練習内容がまた驚くべきものだった。
それは決して小学生のお稽古事の延長と呼べるようなものではなく、まさに合理的かつ実践的だった。桜子はいつも先頭に立ち、他の新入部員たちにも同じメニューを課した。
そのゆるふわ雰囲気と裏腹に、桜子は水泳に関して一切妥協しない。自分自身をストイックに追い込む姿勢や、練習への真剣な取り組みは、チームメイトに対する厳しさにも反映されていた。
「さぁ、もう一本! まだまだ行けるよ! ファイトー!」
「笹山くん、腕のあげ方が甘いよ! もう少し頑張って!」
プールの片隅から激しい叱咤激励が聞こえてくる。
桜子自身は特に厳しくするつもりはなかったが、その結果、彼女を目当てに入部した新入部員のほとんどが、男子1名と女子1名を残して退部してしまった。
しかし、これにより3年生の引退による空きを埋めることができて部員たちは喜んだ。おかげで部の存続が確定したのだから。
結局、桜子によって引き起こされた問題は彼女自身によって解決された形となり、新入部員たちの扱いに困っていた根竜川も、この結末に安堵してほっと一息ついたのだった。
誘拐事件によって大会出場は叶わなかったものの、小学6年生の時点で県大会を狙える逸材と評されていた桜子の実力は本物だった。しばらく水泳から離れていたため、未だリハビリ中ではあるけれど、その能力は疑いようのないものである。
水着姿の桜子を詳しく見れば、彼女の細い体は単に痩せているわけではなく、筋肉でしっかりと引き締まっていることがわかる。普段はスカートを履いているので目立たないが、臀部から太ももにかけての筋肉はなかなかに見事なものがあった。
くわえて人種的な特徴かもしれないが、身長に対して手足が長く、掌 と足もやや大きい。掌の大きさはもとより、水泳では手足が長いほうが有利とされているので、日本人同士の競争ならば、桜子にとって非常に有利な条件であると言える。
練習中の姿勢はとても厳しく、ストイックな面を見せるが、練習が終わればもとのゆるふわな性格に戻る。その愛らしい外見もさることながら、素直で明るく、人懐っこい性格の彼女を先輩たちはとても可愛がった。なにより、その練習に向ける真面目さ、ひた向きさが彼らにはとても好ましかったのだ。
当初の予想を覆し、桜子は県大会も狙える逸材らしい。しかし、前任者の後を引き継いだだけの名ばかり顧問である根竜川にはそもそも水泳の経験がなかった。
これまでは知識と経験のなさを生徒たちが自主的に練習を進めるという条件で許されてきたが、これからはそういうわけにもいかないだろう。
今回は偶然にも桜子という逸材を得たが、根竜川には彼女を指導する自信が全くなかった。とはいえ、教師の無能さのために生徒の可能性を潰すのはあまりに忍びない。
それを思う根竜川の悩みは尽きることがなかった。
今回、桜子が入部したので残りは2名。なんとか秋までに部員を増やさなければならなかった。
入部初日。桜子は練習の見学と施設の案内を受けた後に、全員の練習終了を待って挨拶と自己紹介をした。
「1年3組の小林桜子です。頑張って練習に付いていきますので、よろしくお願いします」
部員たちはとても喜び、暖かく歓迎してくれた。もちろん桜子の魅力が先輩たちを惹き付けたところも大きいが、今話題の美少女が入部したと水泳部が注目されれば、その効果で新入部員が増えるかもしれないと期待したのが正直なところだ。
桜子が水泳部に入部したニュースは学校中にすぐさま知られるところとなった。本人は全く気づいていなかったが、彼女の一挙手一投足は常に注目の的だったのだ。ともすれば、たちの悪いストーカーのように聞こえるかもしれないが、それは彼女が学校中から注目されている証拠でもあった。
プールに行けば桜子の水着姿が見られる。同時にそんな噂も広まったが、そのためには区民体育館のプールに入場しなければならず、そう簡単に第三者が見られるような状況でもない。
そんなわけだから、桜子が入部した直後から水泳部の入部希望者が急増した。しかし
退部理由の多くは「練習が厳しすぎてついていけない」という
水泳部顧問、
桜子が最初に入部を希望してきたとき、この子は本当にやっていけるのかと疑問に思った。なぜなら、普段のゆるふわとした雰囲気の桜子は、およそ努力や根性とは無縁に見えたからである。どう控えめに見ても、コンマ数秒を争う厳しい練習についていけるとは思えなかった。
訊けば、以前に水泳を習っていたとも言うが、それも小学生のお稽古事程度なのだろうと思わざるを得なかったのだ。
桜子の入部直後から入部希望者が殺到したが、そのほとんどが男子だ。どうせ桜子が目当てなのだから、すぐに辞めるだろうと高を括った根竜川は、新入部員を一ヵ所に集めてろくに指導もせず、先輩部員達にも放置するよう命じた。
しかし、まだ練習を始めていなかった桜子は、新入部員たちを取り纏めて自主練習を開始したのだ。一応は経験者ということで彼女が中心になったのだが、その練習内容がまた驚くべきものだった。
それは決して小学生のお稽古事の延長と呼べるようなものではなく、まさに合理的かつ実践的だった。桜子はいつも先頭に立ち、他の新入部員たちにも同じメニューを課した。
そのゆるふわ雰囲気と裏腹に、桜子は水泳に関して一切妥協しない。自分自身をストイックに追い込む姿勢や、練習への真剣な取り組みは、チームメイトに対する厳しさにも反映されていた。
「さぁ、もう一本! まだまだ行けるよ! ファイトー!」
「笹山くん、腕のあげ方が甘いよ! もう少し頑張って!」
プールの片隅から激しい叱咤激励が聞こえてくる。
桜子自身は特に厳しくするつもりはなかったが、その結果、彼女を目当てに入部した新入部員のほとんどが、男子1名と女子1名を残して退部してしまった。
しかし、これにより3年生の引退による空きを埋めることができて部員たちは喜んだ。おかげで部の存続が確定したのだから。
結局、桜子によって引き起こされた問題は彼女自身によって解決された形となり、新入部員たちの扱いに困っていた根竜川も、この結末に安堵してほっと一息ついたのだった。
誘拐事件によって大会出場は叶わなかったものの、小学6年生の時点で県大会を狙える逸材と評されていた桜子の実力は本物だった。しばらく水泳から離れていたため、未だリハビリ中ではあるけれど、その能力は疑いようのないものである。
水着姿の桜子を詳しく見れば、彼女の細い体は単に痩せているわけではなく、筋肉でしっかりと引き締まっていることがわかる。普段はスカートを履いているので目立たないが、臀部から太ももにかけての筋肉はなかなかに見事なものがあった。
くわえて人種的な特徴かもしれないが、身長に対して手足が長く、
練習中の姿勢はとても厳しく、ストイックな面を見せるが、練習が終わればもとのゆるふわな性格に戻る。その愛らしい外見もさることながら、素直で明るく、人懐っこい性格の彼女を先輩たちはとても可愛がった。なにより、その練習に向ける真面目さ、ひた向きさが彼らにはとても好ましかったのだ。
当初の予想を覆し、桜子は県大会も狙える逸材らしい。しかし、前任者の後を引き継いだだけの名ばかり顧問である根竜川にはそもそも水泳の経験がなかった。
これまでは知識と経験のなさを生徒たちが自主的に練習を進めるという条件で許されてきたが、これからはそういうわけにもいかないだろう。
今回は偶然にも桜子という逸材を得たが、根竜川には彼女を指導する自信が全くなかった。とはいえ、教師の無能さのために生徒の可能性を潰すのはあまりに忍びない。
それを思う根竜川の悩みは尽きることがなかった。