第53話:黒猫の帰還・前編

文字数 1,436文字

 それは、何の変哲もない日常。
 相変わらず神社には客なんか来なくて、店長は「暇だな」なんてこぼして。
 外は木枯らしが吹いているから、鈴は「さむーい」と震え上がって、俺がストーブの電源を入れたときだった。
 境内に誰かが入ってきた気配がした。参拝客だろうか、なんて思う。
「賽銭くらいは落としていってくれるといいが」と店長が社務所の受付からその客と思しき人物を見たときだった。
「――黒猫、様?」
 後ろで一本結びにされた、美しい銀髪。
 ひと目で日本人ではないと分かる、灰色の目。
 首から下げられた十字架。
 真っ黒なロングコートに、黒いズボンと黒ずくめのその姿は。
 紛れもなく、俺が店長から何度も聞かされた、黒猫その人なのである。
「……百合か」
 黒猫さんは黒いマスク越しにくぐもった声で言葉を発した。
「はい、天馬百合でございます。お久しゅうございます」
 俺が驚いたことに、天馬百合――弁財天という女神の一柱が、なんと黒猫さんに向かってうやうやしくひざまずいたのである。
「とにかく、お上がりください。なにか温かいものを用意させます」
「いや、食事はいい。腹は減っていないんだ」
 社務所の玄関に上がり、そこから様子を見ていた俺に、黒猫さんの視線が注がれる。
「……この少年は?」
「アルバイトで入った新人でございます」
「ば、番場虎吉です」
 半吸血鬼であることを自己紹介するのは自重しておいた。黒猫さんはヴァンパイアハンターだったと聞いている。下手に殺されたくない。
「……そうか」
 黒猫さんは大して興味を持っていないようだった。店長を伴い、居間へと足を運ぶ。
 すれ違ったときに、俺はある違和感を覚えた。
「……鈴、なんか変な匂いしねえか?」
「匂い? 別に?」
「そっか……気のせいかな」
 俺は首を傾げながら、鈴とともに店長と黒猫の後を追って歩く。

 居間で、店長と黒猫さんは思い出話に花を咲かせた。その中には鈴が仲間に入った後の出来事もあったので、鈴も話に混じって盛り上がる。俺だけ蚊帳の外のような気がしたが、黙って聞いていた。
 次に、店長が黒猫さんのいない間のアヤカシ堂の様子を語る。黒猫さんのいないアヤカシ堂を鈴や使い魔たちとともに守り、俺が仲間に入ったり、イービルとかいう変なやつにつきまとわれたり、様々な妖怪を打ち倒したり、天界から弟が遊びに来てそのまま天界に連れ去られたり、話のネタは尽きない。
「……いいんじゃないか? そのイービルという者と付き合ってみれば」
「え……?」
 黒猫さんの言葉に、店長は目を見開く。
「し、しかしイービルは黒猫様の天敵である吸血鬼ですよ? しかもファッションセンスが皆無だし……」
「ファッションくらいお前が教えてやればいい。それに、俺はもうヴァンパイアハンターじゃない」
「……どういうことですか」
 店長は困惑した表情で黒猫さんに問う。
「俺はアヤカシ堂を捨てた。その時点で俺はアヤカシ堂の人間ではない。――俺は、店長の座を退く」
「――アヤカシ堂を、引退するということですか!? そんな……急に……」
「……少し、外を散歩しないか、百合」
 黒猫さんはゆっくりと椅子から立ち上がる。店長はおとなしく付き従った。
 その黒猫さんのコートがふわりと揺れる動きに合わせて、やはり妙な匂いがする。なぜかうちのおばあちゃんを思い出す、不思議な匂いだ。
「鈴、ちょっと覗いてみるか」
「も~、お兄ちゃんはまたそういう出歯亀みたいなことする……」
 そう言いつつ、鈴はついてきてくれた。

〈続く〉
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