3章―1
文字数 3,097文字
――ガゴオォォォン‼
雷が間近で落ちたような衝撃を受け、ノレインは飛び起きた。
すっかり夜が明け、窓からは薄いながらも陽光が差している。暴風雨ではないようだ。ノレインの隣では同じように叩き起こされたのか、ヒビロが忙しなく辺りを見回していた。
「なっ、何だ? 雷か⁉」
ヒビロは結局、ノレインの部屋で一泊した。部屋での逢瀬は初めてではないが、昨日はさすがに記憶が途切れている。慌てて自分の体を確認するが、寝間着姿だった。彼が着替えさせてくれたのだろうか。
「いや、外は晴れてるな。だったら……」
ヒビロは窓の外を見て首を傾げる。すると、急に鋭い殺気を感じた。ノレインはその殺気に触れた瞬間、昨日の朝の出来事を思い出した。部屋のドアが吹っ飛ばされ、『殺し屋』が『獲物』を探していたことを。
床に視線を落とす。そこには、修理されたはずのドアの残骸が横たわっていた。
「ルインから離れなさいよおおおおおおぉぉぉぉ‼」
怒号と共にメイラが現れ、あっという間にヒビロを蹴り飛ばした。彼は振り向きざまに奇襲を受け、そのまま壁に激突してしまった。
メイラは床に崩れ落ちたヒビロをつま先でつつく。気絶したことを確認し、ようやく殺気を解除した。
「大丈夫? けがはない?」
「ぁ、あぁ……」
酷く心配され、ノレインは声を引きつらせる。「大丈夫じゃないのはヒビロの方じゃないか?」とは言えなかった。
メイラは、ヒビロと密会をした翌朝には必ず参上していた。言い換えると、ヒビロが蹴り飛ばされるのも、ドアが破壊されるのも、
彼女はノレインの視線の先に気づいたようで、いきなり取り乱した。
「ごっ、ごめんなさい! ドア、昨日直ったばっかりなのに!」
あたふたするメイラを見て、ノレインは明るく笑い飛ばした。彼女がいつでも自分を気にかけてくれるのは、何よりも嬉しいことだった。
「メイラ、心配かけてすまなかった。ヒビロを片づけるから先に行っててくれ」
「で、でも……」
「なぁに、大丈夫だ。すっかり気絶してるみたいだからな」
メイラはノレインと『変態』を交互に見ていたが、名残惜しげに部屋から出て行った。ノレインはふぅ、と溜息をつき、ベッドから降りた。
朝っぱらから騒動に巻きこまれ、
「ドアの修理、また頼んでおかないとな」
――
いつものように朝食を済ませ(ヒビロの意識は案外すぐ回復した)、いつものように授業が始まる。毎日繰り返される当たり前の日常だが、その一つひとつが愛おしい。
今日は授業の後、[潜在能力]に関する講義が開かれた。『神』の世界創世、そして[守護神]と共に世界を守る逸話はまるでファンタジー小説のようで、好奇心がくすぐられた。
だが、話の中には『家族』皆がよく知る『不思議な力』もいくつか登場した。この『神話』は作り話ではなく、事実かもしれない。ノレインは遥か昔の時代に想いを馳せ、心を躍らせるのだった。
そして、時間は瞬く間に過ぎる。レントは講義の締めくくりとして、制御方法の例を教えてくれた。
「どうしても心が落ち着かない時は、一旦目を閉じるんだ。[潜在能力]は目を通して発動するものが多い。見えるものが何もなければ、自然と心がリセットされるはずだよ」
全員言葉通りに目を閉じ、視界は黒一色に染まる。だがそれでも、ノレインは不安だった。心は静まったが、負のイメージばかりが浮かんでくるのだ。それに、[能力開花]はレント曰く、目を通して発動するものではないらしい。
恐怖に耐えられず目を開く。がたがたと震えるノレインを見かね、レントは苦しげに微笑んだ。
「これはあくまでも、数ある方法の中のひとつ。私が知っている方法が全てだとは限らないし、自分に合うものは必ずあるから、焦らないで」
――
授業が終わり、ノレインは廊下をとぼとぼと歩いていた。本来なら『家族』の誰かから話を聞きたいところだったが、背後から迫るヒビロを取り押さえたメイラが『早く逃げて!』と急かしたのだ。
言われるがまま書斎を飛び出したものの、行く当てもなく、これからどうしようか考えていたところだった。
すると、廊下の向こうから物音が聞こえてきた。カン、カン、カン、と、一定のリズムを刻んでいる。早足で向かうと、ノレインの自室に辿り着いた。部屋の前には、作業服姿の銀髪の男性。技師のゼクスが、ドアを修理する音だったらしい。
「おう、授業終わったか」
ゼクスは床に座りこみ、ドアの根元を金槌で叩いていた。どうやら仕上げの状態のようだ。ノレインは彼の隣に腰を下ろし、申し訳なさそうに俯いた。
「ゼクスさん、ごめん」
「今更謝るなよ。直した次の日に壊されるなんて、しょっちゅうあることだろ?」
ゼクスはこちらに顔を向け、「それに、壊したのはお前じゃないしな」と笑った。
ノレインは作業風景を眺めながら、ぼんやりと考えこむ。卒業後は自動車整備士を目指すため、離れた町の工場で働くことが決まっていた。職種は違うが、ゼクスと似たような技師になるのだ。
金槌で丁寧に蝶番を打ちこむ様子は、いくら見ていても飽きない。だが急に手元が狂い、支えていた指が打ちこまれてしまった。
「ぎゃあああああああ‼」
ゼクスの悲鳴が廊下中に響き渡る。彼は壮絶な痛みに耐えきれず、床を転げ回った。しかしこの状況も、ドアの破壊と同程度の『よくあること』だった。ゼクスは技師であるにも関わらず、恐ろしく不器用なのだ。
よくあることとは言っても、負傷した指が心配だ。ノレインは「冷たい水を持ってくる」と立ち上がろうとするが、ゼクスは震える手で静止した。
間もなく床に投げっぱなしの作業鞄が震え、中から小さな箱が飛び出す。それは千鳥足で空中浮遊しながらゼクスの頭に直撃した。この現象もまた[潜在能力]である。彼の力は[物質操作]。物を触れずに動かせることだ。
「し、心配するな。こんなこともあろうかと、貼り薬を持ち歩いてんだ」
ゼクスは苦しげに喘ぎ、負傷した指にテープを貼る。幸い骨折はしていないらしい。ノレインはほっと一息つき、ゼクスに問いかけた。
「ゼクスさん。その[潜在能力]、どうやって動かしてるんだ?」
「どうやって、って言われてもなあ。何でそんなこと聞くんだよ?」
「[潜在能力]のコントロール方法が知りたいんだ。皆に色々聞こうと思って」
話を聞き終わらないうちに、ゼクスは「なるほど」と唸る。そして床に散らばった工具を鞄に突っこみつつ、箱が当たった頭を痛そうに擦った。
「だったら俺の部屋に来いよ。ちょうど作業も終わったし、トルマも呼んで話をしようじゃねえか」
ノレインはゼクスに連れられ、廊下の突き当りにある部屋に入った。ここはゼクスとトルマが共同で使う部屋であり、自分達の部屋とは間取りが異なっている。
二人で広々とした空間を探し回るが、トルマの姿はない。
「あいつ、どこ行きやがったんだ?」
この時間であれば、トルマは『家』中を掃除している。そろそろ一段落ついて、部屋に戻ってるはずだ。とゼクスは言っていたのだが。
ふと、ノレインはあることを思いつく。
「もしかして、ガーデンにいるんじゃないか?」
トルマの趣味は園芸であり、『家』の隣接地に広いガーデンを所有している。部屋にいないのなら、恐らくそこにいるのだろう。ゼクスも納得したようで、やれやれと首を振った。
「仕方ねえ。迎えに行くか」
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