7章―1
文字数 4,437文字
――ガゴオオオオォォォォォォン!!
火山がすぐ間近で爆発したような衝撃を受け、ノレインは飛び起きた。
すっかり夜が明け、窓からは薄いながらも陽光が差している。当然ながら天変地異ではないようだ。ノレインの隣では同じように叩き起こされたのか、ヒビロが忙しなく辺りを見回していた。
「なっ、なんだ? 地震か⁉」
部屋の家具は倒れておらず、揺れ続けた様子もない。ノレインは昨晩の出来事を思い出そうとするが、頭が割れそうに痛んだ。何故自分の隣にヒビロがいるのか。理由を知りたいのに、拒むように痛みは酷くなる。
「いや、違うな。だったら……」
ヒビロは窓の外を見て首を傾げる。すると、急に鋭い殺気を感じた。ノレインはその殺気に触れた瞬間、数日前の朝の出来事を思い出した。部屋のドアが吹っ飛ばされ、『殺し屋』が『獲物』、いや、『変態』を蹴り飛ばしたことを。
床に視線を落とす。そこにはドアの残骸、今となっては金属の塊が横たわっていた。
「ルインから離れなさいって何度言えば分かるのよおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ‼」
怒号と共にメイラが現れ、あっという間にヒビロを蹴り飛ばした。彼は振り向きざまに奇襲を受け、そのまま壁に激突してしまった。頭から無様に落下したが間一髪受け身を取ったらしく、気絶を免れたようだ。
「昨日の違和感はこれだったのね。まったく、油断も隙もないんだから!」
メイラは殺気を纏ったまま、ヒビロの前に仁王立ちする。『変態』は彼女に何も言い返せず、「いててて」とうずくまるばかり。メイラは床に落ちていたヒビロの服を拾い上げ、勢い良く彼に叩きつけた。
「いつまでもここにいられると不愉快だわ。ていうかさっさと着替えなさい!」
「ぎゃあああああああ‼」
メイラの攻撃が急所に命中し、ヒビロは断末魔を上げる。ノレインは思わず目を逸らした。
頭の痛みが引くと共に、薄れていた記憶が次第に戻ってくる。廊下で[催眠術]をかけられた後、この部屋で
ノレインは遠い昔に一度味わった、得体の知れない恐怖を思い出す。これは
「あ、あのなメイラ、俺を殺す気か?」
ヒビロは何とか着替えたらしいが、まだ股間を押さえている。メイラは彼を冷たく見下ろし、スッと右脚を構えた。
「そうね、次は確実に仕留めるから覚悟しなさい」
「わあああ! わ、分かったからもう勘弁してくれ!」
ヒビロは反射的に立ち上がり、逃げるように部屋を後にした。それを目で追うメイラからは、相変わらず殺気が出ている。ノレインは、胸が酷く痛むのを感じた。
「ごめんなさい。ドア、また壊しちゃったわね」
メイラは振り返らぬまま、力なく呟く。ノレインはベッドから下りようとするが突如体勢を崩し、シーツと一緒に床に落下した。
メイラは物音に驚き振り返るが、こちらを見るなり慌てて顔を背けた。
「あっ……ぁ、あたし、もう行くわ! もうすぐご飯の時間だから、遅れないでね!」
メイラは真っ赤になってあたふたしながら、ぎこちなく走り去った。ノレインもまた、シーツで体を隠しながら赤面していた。心臓はまだ早鐘を打っている。
「み、見られた、のか……?」
ヒビロ同様、自分もまた何も着ていない。体中が熱い。治まりそうもない混乱の中、ノレインは心を静めることも忘れ、長い間呆然としていた。
――
「お前らなあ、何度同じことを繰り返せば気が済むんだ? あぁ⁉」
リビングに入るまでもなく、ゼクスの怒号が廊下中に響いていた。
急いで入室すると、案の定ヒビロとメイラがゼクスに叱られていた。こちらに気づいたユーリットは慌てて駆け寄り、怯えたように服の裾を掴む。ゼクスも鋭い眼光のままノレインを見ると、当事者の二人も同時に振り返った。
「ゼクスさん、ほッ、本当にすまなかった……」
ノレインはその場に膝をつき、うなだれる。だがゼクスはこちらに対して怒りを向けることはせず、溜息をついた。
「はぁ、お前のせいじゃねえってこないだも言っただろ……」
「そうだぜ。ドアを壊したのはメイラだしな」
「ちょっとヒビロ、元はと言えばあんたが」
「お前ら二人共だ‼」
ヒビロとメイラは同時に跳ね上がった。ゼクスは怒り狂っていたが、トルマが「まあまあ」と割って入った。
「ドアの修理も今日で最後なんだから、大目に見てやってよ」
その一言に、ノレインだけでなく『家族』全員がしんみりとする。卒業式は明日なのだ。今夜何事もない限り、本当に最後となる。ゼクスは肩をすくめ、ヒビロとメイラに釘をさした。
「もし今日も壊したら、今度こそ容赦しねえからな」
二人は睨み合っていたが、ゼクスに咳払いされ渋々引き下がる。すると、騒動が治まるタイミングを見計らったかのように、レントが料理を運んできた。皆次々と席に着き、朝食を取り分け始めた。
ノレインは向かいの様子が目に入り、思わず唖然とする。ニティアがテーブルにもたれかかり、力尽きていたのだ。こちらの視線に気づいたリベラは小声で解説を入れた。
「ニティア、結局寝ないで課題やってたみたい」
ノレインは真っ白になった背を眺めつつ震え上がる。この様子だと、「課題は終わったのか」とはとても聞けない。
「ル、ルインは? できたの?」
こちらの懸念をよそに、メイラはどこか緊張したように聞いてくる。ノレインはニティアの様子を気にしながら、曖昧に返事をした。
「あぁー……修正もしたいから、提出はもうちょっと後だな」
「できたんだね! さすがルイン!」
ユーリットがはしゃぎ出した瞬間、ニティアの背がぴくりと動く。ノレインは薄い頭を掻きつつ、申し訳なさそうに苦笑いした。
「皆、ちょっと耳を貸してくれないかな」
食事の途中、レントの呼びかけで場が静まる。彼は『家族』一人ひとりを見回し、名残惜しげに口を開いた。
「今日はこの後、卒業する三人にとっての最後の授業をするよ。トルマとゼクスにも、是非来てほしい」
指名された二人は、面食らったように顔を見合わせる。彼らが授業に参加するのは約一週間振り。[潜在能力]の説明があった時以来だ。
ノレインは訝しげにレントの表情を探る。彼はまた、重要なことを話そうとしているのではないか。そう思えてならなかった。
――
朝食を終え、『家族』全員が書斎に集まる。相変わらず本と資料で散らかっているが、誰一人つまずくことなく(ゼクスだけがよろめいていた)席についた。
「先生! 課題終わったぜ」
「ありがとう。書き直しはしなくて大丈夫?」
「あぁ。実力を全部出し切ったから、後悔はしてないさ」
レントが黒板の横に辿り着く前に、ヒビロは用紙をひらりと掲げた。彼は用紙を受け取り、ノレインとニティアにも目を向ける。
「君達はどうかな?」
「私はもうちょっと修正したいから、後で」
「分かった。明日の卒業式まででいいから、焦らないでね」
レントがやんわりと締め切りを告げると、悲しみに打ちひしがれたニティアの目が僅かに煌めいた。
「さて、授業を始めよう。五日前に私が言ったこと、覚えているかな」
五日前と聞き、不安が蘇る。[潜在能力]について知らされた日だ。
ノレインはごくりと喉を鳴らし、手を挙げる。忘れられるはずがない。絶望するほど悩み、必死に解決策を探してきたのだから。
「卒業前に、[潜在能力]を完全にコントロールすること」
レントは哀しげに微笑み、大きく頷く。
「その通り。コントロールの方法は一つだけじゃなく、人によって向き不向きがある。だから皆のためにも、君達三人が出した答えを発表してほしい」
ノレインは振り返る。『家族』の誰もが、自身の力を使いこなせている訳ではない。それに普段制御出来ている場合でも、心の状態によって[潜在能力]が暴走することもあるのだ。自分達三人の答えは、『家族』にも活かされるはずだ。
物思いに耽る暇もなく、ヒビロが「じゃ、まずは俺から」と手を挙げた。
「目を合わせないってことが大前提だが、相手の目を見て話したいことだってある。そんな時は、相手に敬意を払うようにしてるのさ」
ノレインは面食らった。『家族』も皆呆然と口を開け、メイラに至っては「は?」と声に出していた。
「俺は邪念の塊だからな。すぐこうなってほしい、ああなってほしいって思っちまう。でも敬意を持つと、[催眠術]かけるのが申し訳なくなるのさ。こう見えてメイラのことも、ちゃーんと尊敬してるんだぜ」
ヒビロはメイラにウインクを投げる。メイラは突然の告白に意表を突かれ、頬を赤く染めた。
二人はいつもいがみ合っているが、それはほとんどノレイン絡みの時である。勉強やスポーツに関しては切磋琢磨し合う良きライバルだ。ノレインは、この二人の関係性を羨ましく思った。
「ほら、次はニティアの番だ。しっかりしろよ」
ヒビロはニティアの背を叩く。真っ白に燃え尽きていたニティアは、よろよろと立ち上がった。
「…………風と、仲良くすること。能力は……敵じゃない」
ニティアは低い声で、途切れ途切れに喋った。最後の一言が聞こえた瞬間、ノレインは息を飲んだ。
一週間前の自分はまさに、[能力開花]を『敵』だと思っていた。どう抑えようかと考えるうちはどうにもならず、『手品』として受け入れることで、初めて和解したのだ。ノレインはニティアの言葉を、心にしっかりと書き留めた。
ニティアは力尽き、その場に崩れ落ちる。レントは咄嗟に駆け寄ったが、彼の顔色を見てほっと息をついた。
「緊張して足が震えたんだね、ゆっくり休んでて。……じゃあ最後に」
レントは不安げにこちらを見る。目が合った瞬間、一気に緊張が走った。ノレインは両手をぐっと握りしめ、勢い良くその場に立ち『家族』と向かい合った。
「私はあの授業の後、ずっと不安だった。だから皆から話を聞いて、色々考え続けてようやく答えが出た。私にとって、[潜在能力]は『手品』なんだ」
納得した様子で感嘆するユーリット、「なるほど」と頷くリベラやトルマ、柔らかい笑顔で見つめてくるヒビロ。皆様々な反応を見せていたが、ノレインはメイラの真剣な表情に釘づけだった。
「分かったのはそれだけじゃない。思い出、安らぎ、笑顔、希望、愛、夢……皆が教えてくれたことが心に残っている限り、私は前を向いていられる。それもこれも全部、皆のおかげだ。私に力を貸してくれて、本ッ当にありがとう……ッ!」
ノレインは感極まり、必死に目頭を押さえる。皆の顔は涙でよく見えないが、拍手が聞こえてきた。レントらしき手が両肩に置かれ、涙はますます止まらなくなる。
「三人共、納得出来る答えに辿り着いたんだね。本当に、良かった……」
レントの声が震え、力強く抱きしめられる。ノレインは遂に堪えきれなくなり、人目を憚らず慟哭した。
(ログインが必要です)