佐野場 微壱
文字数 2,717文字
10月23日 月曜日 夕方
高円寺 カモノハシハウス
永井玲奈は階段を転げるように駆け下り玄関を飛び出していった。
途中で買い物をしてきたらしい、ビニール袋の中の品物がガラガラと床を転がる音がする。
「玲奈!」
飴井は玲奈を呼び止めようと叫ぶ。
「れ、連 ちょっとゴメン!」
飴井は自分にまたがっている女を押しのけて立ち上がる。
「待ってよ玲奈!!」
急いで追いかけてゆく。
退 けられた連 は一人飴井の部屋に取り残された。
*
連 は飴井の部屋に座り込み呆然自失していた。
――私は…、佐野場くんのために何も成せていない。ただ時間を浪費させ、状況を悪くさせるばかりだ。
玲奈さんに継 ぎ目 を取られる前に私が飴井君と仲良くなって、体を重ねることで私が樹人 の継 ぎ目 を貰って、そして佐野場君の恋人になって彼に継 ぎ目 が渡るはずだったのだ。
「連 」
ドアが開いたままの飴井の部屋の入口に佐野場がいた。
「佐野場くん」
佐野場はカーペットの上でへたりこんでいる彼女を見下ろしている。
既に部屋の中は薄暗く、彼がどんな表情をしているかまではわからない。
「すまなかったな、辛い思いさせて。」
「…わたし…、」
連 は立ち上がって佐野場に抱き着いた。彼が優しい言葉をかけてくれるのが嬉しかった。
「よく頑張ったな連 。」
唇が重なり、ふたりの腕がふたりの背中にまわる。
佐野場は舌を入れてくる。
いつもと違うキスに連 は戸惑いながらも受け入れた。
――彼は私を許してくれた。
そう思った。
連 の口の中に何か入ってきた。
飴玉か、と思ったが…甘くない、むしろ少し苦い。
佐野場の舌先がそれを連 の喉にねじ込む。
連 はそれを嚥下し、激しくむせ込んだ。
「…さ、ケホ…佐野場くん、ケホッケホッ、何を飲ませたの?」
「ああ、5つのBを持つウスノロ女に良く効く薬だよ。」
「…5つのB?」
「教えてやろうか。」
佐野場は下卑た笑みを浮かべながら指をひとつずつ折る。
「バンギャ、バカ、ブス、チビ、デブ、で5つのB」
「……ひどい…、」
連 はその場に崩れ伏し両手で顔を覆い泣いた。
「ヌハハハハハッ!」
その様子を見て佐野場はさらに高笑いする。
「佐野場ーー!!」
「ぐぁ!」
突如、彼に何かが激しくぶつかった。
アントッティが体当たりしたのだった。
連 の買ってきたシュークリームを食べてしまって糧契 の効力が強化され、命令に従って動くことが出来なかったが、命令は時間の経過や、主の集中力の低下などが原因で弱化することもある。
「この毛玉座布団が!!!」
佐野場が蹴りを繰り出す。
「アンタ!最低だよ!!」
俊敏な猫はそれを難なくかわす。
「チビとデブは頭文字Bじゃないでしょ!」
アントッティが佐野場を睨む。
「そこかよ!モップ猫!」
吠えながら佐野場はポケットから黒いビー玉のようなものをふたつ取り出して床に叩きつけた。
玉は割れて黒い煙の爆発が起きた。
「騒獣 !?」
「いいだろ!お友達からもらったんだ!」
みるみるうちに黒い煙の塊は大柄な人型になった。
「…。」
――マルチネス、何てものを渡すのよ!
騒獣 二体の相手はさすがに無理…。
今の佐野場は連 を傷つける可能性が高い。最悪、連 だけでも逃がさないと。
いや…今なら糧契 の力が強い。
力、全部使い切るつもりでいけば一回くらい出来るかも!
彼女はまだ突っ伏して泣いている。
佐野場に罵 られたことが、よほど辛かったのだろう。
連 を立たせてかついで逃げ去る、なんてことはもちろん猫の姿では出来ない。
「連 !!」
アントッティは淡い光を発しながら一枚の大きな絨毯 になった。
そしてまだ泣いている連 を包んだ。
「逃がすかよ!」
佐野場が動き出すと同時に二体の騒獣 も襲いかかって来る。
騒獣 が巨大な拳を突き出してくる。
連 の表情にはいまだ生気が戻らない。
このままではまともに食らってしまう。
だが、なんと連 は騒獣 の攻撃を見事にかわしたのだ。
アントッティが連 の手足に毛皮のコートのように巻き付き、彼女を動かしているのだ。
毛皮のコートの連 が跳躍し天井を蹴った。
騒獣 の頭上を越え背後に着地し、開け放ったままのドアに走り込む。
もう一体の騒獣 が進路を阻もうとするが間に合わない。
「なんて身体能力だ…。」
連 とアントッティが去って行ったドアを眺めながら、思わず佐野場は舌打ち交じりにこぼした。
*
10月23日 月曜日
東中野Bar14 店内…。
「ムゥさん、お腹減りましたね。」
縞模様の猫ががテーブルでぐったり伸びている。
ユピテルである。
「…ああ。このままだとまた店の客からピザを掠 め盗 らないといかんな。」
翼を持った猫が古めかしい表紙の本を足で器用に開き目を通している。
ムゥランである。
「糧契 の効力もだいぶ弱まってきましたね。」
「ああ、完全に契約切れになる前にあの女と接触できれ…。」
言葉を切りムゥランが入口の扉に目を走らせる。
「ムゥさん…。」
ユピテルも何かの気配を感じ取りムゥに警戒を促した。
「ああ…、いるんだろ?」
ユピテルに頷き、そしてドア付近に声を掛ける。
直後、何もない、誰もいなかったはずの空間に、黒いフードの少年が現れた。
「…マルチネス。」
「マァさん…」
ムゥランもユピテルも驚愕した。
そこに彼がいる事にも、
その姿にも。
「…血契 をしたんですね。」
猫の姿でないマルチネスを見てユピテルが言った。
「江草 連 か…、なんて強い血だ…。」
ムゥランは血契 の主 を言い当てたが、その血で与えた力の大きさに言葉を詰まらせた。
「マァさん、まさか。」
ユピテルは瞬時にある結論に至ったようだ…。こんな強大な力を得られる血契 は…心臓に近い血を使った時だけだ…。
マルチネスはそれには触れて欲しくない。
「永井玲奈が尾行されている。」
急いで本題を告げる。
「?!まさか…。」
ムゥランとユピテルはまた驚きを隠せなかった。主 が危機に瀕 しているのに、糧契 で繋がっているはずの自分達が気付かなかったのだ。
「本当ですね、わずかにですが、激しく動揺しているのを遠くで感じます。」
目を閉じユピテルは不甲斐ない、というように顔を伏せた。
「居場所は解る、額をかせ。」
マルチネスは両の手を伸ばす。額に触れさせろ、ということらしい。
触れれば、居場所を明確なイメージで直接見せることが出来る。
だがムゥランもユピテルも応じなかった。
「マルチネス!何故我らに加担する?何をたくらむ!」
「そうですよ!マァさん!好き勝手やるのもいい加減にしてください!」
詰め寄るムゥランとユピテルだが、マルチネスは退かなかった。
「頼む。時間がない。額を出してくれ。」
フードの少年は真っ直ぐに2匹の猫を見た。
「頼む…。お願いします。」
マルチネスは浅くではあるが頭を下げた。
これにはムゥランもユピテルも面食らった。
「……、」
「……、」
「わかった。」
ムゥランが重々しくうなずいた。
高円寺 カモノハシハウス
永井玲奈は階段を転げるように駆け下り玄関を飛び出していった。
途中で買い物をしてきたらしい、ビニール袋の中の品物がガラガラと床を転がる音がする。
「玲奈!」
飴井は玲奈を呼び止めようと叫ぶ。
「れ、
飴井は自分にまたがっている女を押しのけて立ち上がる。
「待ってよ玲奈!!」
急いで追いかけてゆく。
*
――私は…、佐野場くんのために何も成せていない。ただ時間を浪費させ、状況を悪くさせるばかりだ。
玲奈さんに
「
ドアが開いたままの飴井の部屋の入口に佐野場がいた。
「佐野場くん」
佐野場はカーペットの上でへたりこんでいる彼女を見下ろしている。
既に部屋の中は薄暗く、彼がどんな表情をしているかまではわからない。
「すまなかったな、辛い思いさせて。」
「…わたし…、」
「よく頑張ったな
唇が重なり、ふたりの腕がふたりの背中にまわる。
佐野場は舌を入れてくる。
いつもと違うキスに
――彼は私を許してくれた。
そう思った。
飴玉か、と思ったが…甘くない、むしろ少し苦い。
佐野場の舌先がそれを
「…さ、ケホ…佐野場くん、ケホッケホッ、何を飲ませたの?」
「ああ、5つのBを持つウスノロ女に良く効く薬だよ。」
「…5つのB?」
「教えてやろうか。」
佐野場は下卑た笑みを浮かべながら指をひとつずつ折る。
「バンギャ、バカ、ブス、チビ、デブ、で5つのB」
「……ひどい…、」
「ヌハハハハハッ!」
その様子を見て佐野場はさらに高笑いする。
「佐野場ーー!!」
「ぐぁ!」
突如、彼に何かが激しくぶつかった。
アントッティが体当たりしたのだった。
「この毛玉座布団が!!!」
佐野場が蹴りを繰り出す。
「アンタ!最低だよ!!」
俊敏な猫はそれを難なくかわす。
「チビとデブは頭文字Bじゃないでしょ!」
アントッティが佐野場を睨む。
「そこかよ!モップ猫!」
吠えながら佐野場はポケットから黒いビー玉のようなものをふたつ取り出して床に叩きつけた。
玉は割れて黒い煙の爆発が起きた。
「
「いいだろ!お友達からもらったんだ!」
みるみるうちに黒い煙の塊は大柄な人型になった。
「…。」
――マルチネス、何てものを渡すのよ!
今の佐野場は
いや…今なら
力、全部使い切るつもりでいけば一回くらい出来るかも!
彼女はまだ突っ伏して泣いている。
佐野場に
「
アントッティは淡い光を発しながら一枚の大きな
そしてまだ泣いている
「逃がすかよ!」
佐野場が動き出すと同時に二体の
このままではまともに食らってしまう。
だが、なんと
アントッティが
毛皮のコートの
もう一体の
「なんて身体能力だ…。」
*
10月23日 月曜日
東中野
「ムゥさん、お腹減りましたね。」
縞模様の猫ががテーブルでぐったり伸びている。
ユピテルである。
「…ああ。このままだとまた店の客からピザを
翼を持った猫が古めかしい表紙の本を足で器用に開き目を通している。
ムゥランである。
「
「ああ、完全に契約切れになる前にあの女と接触できれ…。」
言葉を切りムゥランが入口の扉に目を走らせる。
「ムゥさん…。」
ユピテルも何かの気配を感じ取りムゥに警戒を促した。
「ああ…、いるんだろ?」
ユピテルに頷き、そしてドア付近に声を掛ける。
直後、何もない、誰もいなかったはずの空間に、黒いフードの少年が現れた。
「…マルチネス。」
「マァさん…」
ムゥランもユピテルも驚愕した。
そこに彼がいる事にも、
その姿にも。
「…
猫の姿でないマルチネスを見てユピテルが言った。
「
ムゥランは
「マァさん、まさか。」
ユピテルは瞬時にある結論に至ったようだ…。こんな強大な力を得られる
マルチネスはそれには触れて欲しくない。
「永井玲奈が尾行されている。」
急いで本題を告げる。
「?!まさか…。」
ムゥランとユピテルはまた驚きを隠せなかった。
「本当ですね、わずかにですが、激しく動揺しているのを遠くで感じます。」
目を閉じユピテルは不甲斐ない、というように顔を伏せた。
「居場所は解る、額をかせ。」
マルチネスは両の手を伸ばす。額に触れさせろ、ということらしい。
触れれば、居場所を明確なイメージで直接見せることが出来る。
だがムゥランもユピテルも応じなかった。
「マルチネス!何故我らに加担する?何をたくらむ!」
「そうですよ!マァさん!好き勝手やるのもいい加減にしてください!」
詰め寄るムゥランとユピテルだが、マルチネスは退かなかった。
「頼む。時間がない。額を出してくれ。」
フードの少年は真っ直ぐに2匹の猫を見た。
「頼む…。お願いします。」
マルチネスは浅くではあるが頭を下げた。
これにはムゥランもユピテルも面食らった。
「……、」
「……、」
「わかった。」
ムゥランが重々しくうなずいた。