飴井 迅

文字数 2,528文字

10月23日 月曜日 夜

東中野ムーンロード

「行こう!急ごう!」
玲奈は猫を抱き上げ駆け出してしまった。
「あ、ちょっと玲奈、危険だよ!」
飴井が後ろから呼び止めるが彼女は立ち止まらなかった。

「大丈夫だから!」
その後ろ姿に恐怖はない。
かけらもない。

僅かに見えた頬は上気し笑みさえ結ばれているように見えた。

飴井の心臓と繋がるチャカデガルポの”(コア)”は驚嘆に震えた。

人は何故、こんなにも強いのか。
恐れず、諦めず、失敗と成功を何度も受け入れるしなやかさを持っている。
守りたいもの、愛しいものを前にしたときに人の手にする途轍もなく強大な、そして得体の知れない力…。

飴井 迅はそれを言語化するためにある。
だが本人はそんなことは知らない。
ただその得体の知れない力の持ち主の背中を見つめた。

「よし!」

自分を鼓舞するためか、迷いを振り切るためか、そう声を張ると玲奈とは違う方向へ駆け出した。

*

ユピテルの放つ光線は自在に曲がる。
上下左右し前後し跳躍し揺らぐ。
オペラの舞台に君臨する美しきカラトゥーラのように…。

ムゥランは宙に回転する幾つもの光のディスプレイを(はべ)らせ空気を支配した。
気圧、湿度、気温、重力そして…時間。存在する全ての自然エネルギーは彼の手の中にあった。

アントッティは色とりどりの光の絵の具で地面に、空中に、そこかしこに描く。
両手にペンを持ち、線を引き、塗り、塗り重ね、辺りを色彩で埋めていく。

「あとどれくらいかかる?」
ムゥランがアントッティを背に庇いながら尋ねた。
「もうすぐ描き上がる。」
彼女の能力は効力が大きい分、準備段階でかなりの時間を要する。
「急げ!」
「命令しないで!」
アントッティは描く手を止めムゥランを睨んだ。
「ムゥさん!」
粘液弾が飛んできたのを間一髪でかわす。
ユピテルの警告が無ければ危なかっただろう。


*


――やっぱり、思った通りだ。

あの巨大カタツムリは殆ど動かない。
周囲に高威力で多様な攻撃を仕掛けて来るが、もしや真下が死角なのではないか、と飴井は考えたのだ。

四階部分が爆発でほぼ残っていないが、三階より下、つまりお店の部分は無傷だ。

お店の扉を押す。
カランカラン、と乾いたドアベルの音が店内に響いた。
「すみません!」
「いらっしゃい!」
店主はドアに向かい合ったカウンターの中にいた。
「あの…、大丈夫でしたか?」
飴井はおずおずと尋ねる。
「?何がですか?」
店主はカウンターから出て来た。
「や、揺れたりとか、大きな音がしたりとか…。」
「ないよ。あ、地震あったかな、震度2くらい。」
凄い免震構造の建物なのか、あの化け物の真下は安全なのか…
「なら良かったです。あのー…。」
飴井はホッとしたように言った。

「ああ!何週間か前のピザの時、いた子だね。可愛い彼女連れてた。」
店主が飴井のとこを思い出したようだった。玲奈の御蔭かもしれない。
「あ、そうです!で、あの、ぶしつけなお願いなんですけど…」

「ん?」

「今、アンプって…貸していただけたりしますかね…。」

*

「出来た!」
アントッティは準備完了を告げた。
絵が完成したのだ。
「すごい…、この短時間でコレを…。」
戦車、軍艦、戦闘機、陸海空の兵器が光と色彩の飛び出す絵本のように仕上げられている。
モチーフは物騒だが可愛い。
「よし!始めてくれ!」
「だから命令しないで!」
「アン…今はそんな」
ユピテルはいつも仲裁役のようだ。
「ルチアーノが私に皆をまとめるように言った。」
「上下を作らず協力し合え、とも言った!」
「二人ともやめてくだ…」
また粘液弾が飛んでくる。三人は飛び退ってそれをかわす。

「作戦はあるのか?」
やや熱くなったことを反省するようにムゥランが落ち着いた声でアントッティに聞いた。
「ええ…、まず私の絵であっちの攻撃を全部防ぐ。」
アントッティの絵なら可能だろう。
「その間にムゥランは(れん)の覆い隠している騒獣(ノイズ)を全て消して。」
「わかった。」
ムゥランは頷いた。
「ユピテルは騒獣(ノイズ)の供給源であるマルチネスを止めて…。」
「止めるって…、どうやって。」
ユピテルはアントッティに目を向けるが、目をそらされてしまう。
「仕方ない…。」
その答え、いや答えにあたる言葉をムゥランが口にした。
最善の選択をすること、それがリーダーの務めなのだ。
仲間を見殺しにすることになっても…。
「ちょ、待ってください!ほかの方法はないんですか!」
全てを失うか、ひとつだけ失うか…。
「時間をかけて考えても同じ作戦になる。フィードバックを起こして、ひとつの犠牲もないことなどありえない。」
白シャツの少年はキッパリ言い切った。
「…そんな…マァさん…。」
涙が止まらなかった。

*

カタツムリの化け物から、粘液攻撃と泡攻撃が繰り出された。豪雨のように三人に降り注いでくる。

――やるしかない!

ユピテルは顔を上げた。

出撃(すすめ)!」
長い金髪の少女が指さす方へ戦車が動き出した。
戦闘機と光の弾丸も飛んで行く。
戦艦の大砲から砲弾が放たれ長い尾を引き輝く。

粘液も泡も、その眩い弾幕の前にひとつ残らず消えた。

ムゥランがディスプレイをスワイプする。
タップする。
ズームする。
それに合わせ四角形の光が移動し伸縮し(ひるがえ)る。
ターゲットは、化け物の体表を成している分厚い騒獣(ノイズ)の層。
その中には(れん)もマルチネスもいる。
詳細に綿密に設定して行く。

――マルチネス…。

助けられなくても、傷つけたくない。

ムゥランの頬を一筋の涙が伝い落ちた。

無効化(ノイズキャンセリング)!」

*

「あの…すみません、延長コードもう一本あったりします?」
飴井は申し訳なさそうに尋ねてみると
「あるよ。」
店長はドヤ顔の渋い声で言ってくれた。

「よし!これで何とかなりそうです!」
概ね準備はこれで良い。
「何か、外が明るくて賑やかだね。」
窓を細く開け店長が呟く。
点滅する光と、子気味良い爆撃音が窓から飛び込んでくる。

飴井がセミハードの楽器ケースからベースを取り出した。

シールドを繋ぐ。
アンプの電源を入れる。
少し弾いて、アンプのツマミをいじる。
それを数回繰り返した。

そして飴井は頷いた。
何にだろうか、
誰にだろうか、
自分にだろうか、
繋がっているチャカデガルポにだろうか、
玲奈にだろうか、
或いは物語にだろうか…。

どれも違う。

彼が頷くのはベーシストだからだ。

ベーシストはいつも、頷いている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

永井 玲奈 (ながい れいな)

24歳。うっかりベーシストに恋してしまい、人生がハチャメチャに展開していく女子。

飴井 迅 (あめい じん)

28歳。食うや食わずの暮らしを玲奈に助けられる。ロックバンドでベースを担当。

江草 連 (えぐさ れん)

26歳。家出した名家のお嬢様。飴井のロックバンドのドラムスを担当。

佐野場 微壱 (さのば びいち)

32歳。バンドでギターを担当。速弾きの名手。

ユピテル  (ゆぴてる)

見た目8歳。省エネモード時は白黒でピアノのような縞模様のある猫の姿。癖っ毛を気にしている。五線紙に旋律を書き込む”譜術”を使う。

ムゥラン  (むぅらん)

見た目7歳。省エネモード時は前足が翼になった猫の姿。足は鋭い爪があるが収納できる。本名はシェマ・ムゥラン・ハイドリヒⅢ世。長いので仲間からはムゥと呼ばれている。音場を操る”響術”を使う。


マルチネス  (まるちねす)


見た目は10歳。二の腕フェチ。

省エネモード時は、カタツムリのような猫の姿。

ステルス性とスピードに優れ、潜入捜査などに向いていると本人は思っている。


アントッティ (あんとってぃ)

見た目12歳。省エネモード時はムササビに似た猫の姿。どうやらムゥランと根深い確執を持っているらしい。

空間に絵や図形を描くことで空間に意味や効果を与えていく特別な描画能力をもっている。

甘いものが好き。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み