隠れ家へ
文字数 2,881文字
ピアノ猫は巻き毛の少年に、フクロウ猫は白シャツの少年に姿を変えた。
大変な日、というものは大変な出来事が続く。恋人の浮気が発覚し、自分も襲われかけ散々な目にあっている。だから仮に喋る猫が子供に変身しても、そういうこともあるのだろう、と思えてくるものだ。
走りながら巻き毛の少年はベストのポケットから小さなノートを取り出した。
その一枚を素早く破り額にかざす。
何かを念じ騒獣 に向かって投げた。
真っ直ぐ五本の光の線が飛び、影の巨体の胸部を貫いた。
「グヌポオォォー!」
悲鳴に似た咆哮 があがる。
光線が開けた穴は、紙面を炎が這うようにゆっくりと広がり、やがて騒獣 を上半身と下半身に分断した、だがまだもがくように動いている。
白シャツの少年は巻き毛の少年より僅か手前で止まった。
彼の周囲には四角い光が幾つもくるくると飛び交っている。
よく見るとそれらひとつひとつに文字や図形のようなものが表示されている。
白シャツの少年の指の動きに合わせ四角い光は移動し回転し拡大し点滅し消え、また現れた。
「出来た、キャンセルする。」
舞いのように、踊りのように、腕をしならせ振り下ろした。
何と表現すればいいのだろう、全身で耳鳴りを聞いているような、振幅の細かい、空気だけの地震…のような、どちらにしろあまり心地よくない音が周囲に満ちた、かと思うと、もう一体残っていた騒獣 も、ユピテルが攻撃して動きを封じていたもう一体の騒獣 も消えた。
本当に一瞬で消えた。
熱したフライパンに水滴を落とした時のように。
「あ!逃げるわよ!捕まえて!」
見ると最後に残った三人目の小さな人影が道へ駆け出す。
「我々の足ではもう追いつけない。」
白シャツの少年が悔しそうに言った。
「フクロウになって追いかけてよ!」
玲奈は訴えると、
「そんな便利なものじゃないよ。」
巻き毛の少年が苦笑交じりに言った。
「アイツに服を弁償させなきゃ、てかその前に警察に突き出す!」
恐怖が去って怒りが湧いてきて、憤慨する玲奈のシャツは確かに無残に破け、下着や素肌が露わになっている。
「その恰好じゃ歩けないね、ムゥさん。」
巻き毛の少年が白シャツの少年を見た。
「うん。一旦玲奈を連れて隠れ家 に戻ろう。」
「…隠れ家 ?」
確かに破れた服では帰れない。変な子供たちだが、助けてくれたのだから悪人ではないだろうが…隠れ家 って何よ…。
いや、そんなことより、
「玲奈さん、ね!」
呼び捨ては許さない。今からこんな礼儀知らずではろくな大人にならないだろう、と玲奈は思った。
*
少し歩いた。
秋物のハーフコートの前を合わせれば破れたシャツはだいぶ目立たない。
隠れ家 までの道すがら自己紹介をしてもらった。
白シャツの少年がムゥランで、巻き毛の少年がユピテルらしい。
「着いたよ。」
ユピテルが到着を告げた。
「ここって。」
Bar14 の入っている建物だ。
「お店が隠れ家 なの?」
玲奈は聞く。
「店の上の階が隠れ家 になっている。」
とムゥランは言ったが、お店は確か最上階。店の上の階はないはずだ…。
玲奈はついにため息をつき、そうになる。
子供だから、と今まで見逃してきたのだ。まず最初は猫だったところが変だし、手からビームみたいなものを出すのも変だ。
でもその都度それを指摘したら彼らの興が削がれるだろうし可哀想だから言わなかったし聞かなかった。
そもそも玲奈は子供が苦手だ。男性は18歳からだ。
助けてもらった、という事実が負い目になっていたのかもしれないが、大人としておかしいと思ったことはキチンと言い、必要であればちゃんと叱るべきだったのかもしれない。
猫になったりしてちゃいけないよ
手からビーム出したりしたら危ないよ
年上や大人は敬おうよ
あと
お父さんお母さんに心配かけちゃいけないよ
と。
「ムゥランとユピテルはさ、」
てかこの名前も変だ。アニメかゲームのキャラからとったのだろうか、でも本人がそう名乗るのだからそう呼んで欲しいのだろう。
「何?」
と2人が見上げる。
「そろそろ帰らなくていいのかな?」
「ああ、今帰って来た。」
ムゥランが言う。
「ここがお家なんだね。」
玲奈が聞く。
「じゃなくて隠れ家 だよ。」
ユピテルが訂正する。
「隠れ家 にはお父さんとお母さんもいるのよね。」
お店の上が住居になっていて、家族で住んでいるのだろう。
「我々に両親はいない。」
とムゥランは答えた。
ああ、やっぱりか…、と玲奈は思った。
子供のことは良く知らないが、親戚が集まったときに少し接する幼い子供や少年は、どんなに変わり者でもここまでの違和感はない。
この子達はちょっと訳アリなのだろう…。
孤児だろうか、もしやこの店のオーナーが身寄りのない子供たちを育てているのだろうか…
乗りかかった船だ。
「じゃ、お邪魔するね。」
と玲奈は出来るだけ明るく言って、二人に続き階段を上った。
え?!うそ…。
どう見ても三階建てなのに四階に続く階段があった。
見た目よりも広い建物だったのだろうか。
階段を上りきると重厚な木の扉がある。
ドアノブが無い代わりに丸い鏡が掛かっている。
ムゥランが鏡に手をかざすとそれは淡く発光した。
「認証、完了シマシタ」
ドアから合成音声が聞こえた。
「未登録者ヲ確認シマシタ」
玲奈のことだろう。
「客人だ。」
ムゥランが言う。
「ゲスト登録シマシタ」
カチリ、とロックが外れる音がし、木の扉が開いた。
「どうぞ。」
ユピテルが玲奈を促す。
「わ、ホテルのラウンジみたいね。」
玲奈が率直な感想を述べた。
「広いだけだ。我々しかいない。」
とムゥラン。
「以前は家政婦さんや使用人さんがいて、もう少し賑やかだったんだけど…。」
とユピテル。
二人ともどことなく、寂しそうに、玲奈には思えた。
「着替えはその人達が使っていたものがいいな。」
とムゥラン。玲奈の破れたシャツの代わりの話だろう。
「自分で選んでもらえる?よく分からないから。」
とユピテルが手招きしながら言った。
*
「カフェのウェイトレスさんっぽいね。」
着替え終わった玲奈をみてユピテルが嬉しそうに言った。
そこで、玲奈は背筋を伸ばし改まる。
「まず、助けてくれてありがとう。」
と深々と礼をした。
ムゥランとユピテルは少し驚いて、そして少し気恥ずかしかった。
「今僕らは玲奈と血契 の絆で繋がっているんだ。」
ユピテルが言うと、
「主 に振り掛かる全ての厄災を、我々が退ける。」
とムゥランが続ける。
そうして二人もまた、膝をつき頭 を垂 れ、服従を示した。
「それでもありがとう。私、一人だけだったら、どうなっていたか…。」
玲奈は今日の夕方からの出来事を振り返り思わずゾッとする。そしてにわかに体中に疲労感がのしかかった。
「ねえ玲奈。」
そこへユピテルが歩み寄る。
「本当にいろいろあっていっぱいいっぱいだと思うんだけどね…。」
と言ってユピテルが椅子をすすめる。
促されるままに玲奈は椅子に掛けた。
何だか背中がもぞもぞする。
「え!?何…?」
後ろ手に両手が縛られている。
「我が主 よ、これより尋問を始める。」
とムゥランがむっつりと言い、
「ちょっと!主にそんなことしていいの?!」
「危険から守り、危害を加えなければ、別にいいみたいだよ?」
とユピテルが笑顔で言った。
大変な日、というものは大変な出来事が続く。恋人の浮気が発覚し、自分も襲われかけ散々な目にあっている。だから仮に喋る猫が子供に変身しても、そういうこともあるのだろう、と思えてくるものだ。
走りながら巻き毛の少年はベストのポケットから小さなノートを取り出した。
その一枚を素早く破り額にかざす。
何かを念じ
真っ直ぐ五本の光の線が飛び、影の巨体の胸部を貫いた。
「グヌポオォォー!」
悲鳴に似た
光線が開けた穴は、紙面を炎が這うようにゆっくりと広がり、やがて
白シャツの少年は巻き毛の少年より僅か手前で止まった。
彼の周囲には四角い光が幾つもくるくると飛び交っている。
よく見るとそれらひとつひとつに文字や図形のようなものが表示されている。
白シャツの少年の指の動きに合わせ四角い光は移動し回転し拡大し点滅し消え、また現れた。
「出来た、キャンセルする。」
舞いのように、踊りのように、腕をしならせ振り下ろした。
何と表現すればいいのだろう、全身で耳鳴りを聞いているような、振幅の細かい、空気だけの地震…のような、どちらにしろあまり心地よくない音が周囲に満ちた、かと思うと、もう一体残っていた
本当に一瞬で消えた。
熱したフライパンに水滴を落とした時のように。
「あ!逃げるわよ!捕まえて!」
見ると最後に残った三人目の小さな人影が道へ駆け出す。
「我々の足ではもう追いつけない。」
白シャツの少年が悔しそうに言った。
「フクロウになって追いかけてよ!」
玲奈は訴えると、
「そんな便利なものじゃないよ。」
巻き毛の少年が苦笑交じりに言った。
「アイツに服を弁償させなきゃ、てかその前に警察に突き出す!」
恐怖が去って怒りが湧いてきて、憤慨する玲奈のシャツは確かに無残に破け、下着や素肌が露わになっている。
「その恰好じゃ歩けないね、ムゥさん。」
巻き毛の少年が白シャツの少年を見た。
「うん。一旦玲奈を連れて
「…
確かに破れた服では帰れない。変な子供たちだが、助けてくれたのだから悪人ではないだろうが…
いや、そんなことより、
「玲奈さん、ね!」
呼び捨ては許さない。今からこんな礼儀知らずではろくな大人にならないだろう、と玲奈は思った。
*
少し歩いた。
秋物のハーフコートの前を合わせれば破れたシャツはだいぶ目立たない。
白シャツの少年がムゥランで、巻き毛の少年がユピテルらしい。
「着いたよ。」
ユピテルが到着を告げた。
「ここって。」
「お店が
玲奈は聞く。
「店の上の階が
とムゥランは言ったが、お店は確か最上階。店の上の階はないはずだ…。
玲奈はついにため息をつき、そうになる。
子供だから、と今まで見逃してきたのだ。まず最初は猫だったところが変だし、手からビームみたいなものを出すのも変だ。
でもその都度それを指摘したら彼らの興が削がれるだろうし可哀想だから言わなかったし聞かなかった。
そもそも玲奈は子供が苦手だ。男性は18歳からだ。
助けてもらった、という事実が負い目になっていたのかもしれないが、大人としておかしいと思ったことはキチンと言い、必要であればちゃんと叱るべきだったのかもしれない。
猫になったりしてちゃいけないよ
手からビーム出したりしたら危ないよ
年上や大人は敬おうよ
あと
お父さんお母さんに心配かけちゃいけないよ
と。
「ムゥランとユピテルはさ、」
てかこの名前も変だ。アニメかゲームのキャラからとったのだろうか、でも本人がそう名乗るのだからそう呼んで欲しいのだろう。
「何?」
と2人が見上げる。
「そろそろ帰らなくていいのかな?」
「ああ、今帰って来た。」
ムゥランが言う。
「ここがお家なんだね。」
玲奈が聞く。
「じゃなくて
ユピテルが訂正する。
「
お店の上が住居になっていて、家族で住んでいるのだろう。
「我々に両親はいない。」
とムゥランは答えた。
ああ、やっぱりか…、と玲奈は思った。
子供のことは良く知らないが、親戚が集まったときに少し接する幼い子供や少年は、どんなに変わり者でもここまでの違和感はない。
この子達はちょっと訳アリなのだろう…。
孤児だろうか、もしやこの店のオーナーが身寄りのない子供たちを育てているのだろうか…
乗りかかった船だ。
「じゃ、お邪魔するね。」
と玲奈は出来るだけ明るく言って、二人に続き階段を上った。
え?!うそ…。
どう見ても三階建てなのに四階に続く階段があった。
見た目よりも広い建物だったのだろうか。
階段を上りきると重厚な木の扉がある。
ドアノブが無い代わりに丸い鏡が掛かっている。
ムゥランが鏡に手をかざすとそれは淡く発光した。
「認証、完了シマシタ」
ドアから合成音声が聞こえた。
「未登録者ヲ確認シマシタ」
玲奈のことだろう。
「客人だ。」
ムゥランが言う。
「ゲスト登録シマシタ」
カチリ、とロックが外れる音がし、木の扉が開いた。
「どうぞ。」
ユピテルが玲奈を促す。
「わ、ホテルのラウンジみたいね。」
玲奈が率直な感想を述べた。
「広いだけだ。我々しかいない。」
とムゥラン。
「以前は家政婦さんや使用人さんがいて、もう少し賑やかだったんだけど…。」
とユピテル。
二人ともどことなく、寂しそうに、玲奈には思えた。
「着替えはその人達が使っていたものがいいな。」
とムゥラン。玲奈の破れたシャツの代わりの話だろう。
「自分で選んでもらえる?よく分からないから。」
とユピテルが手招きしながら言った。
*
「カフェのウェイトレスさんっぽいね。」
着替え終わった玲奈をみてユピテルが嬉しそうに言った。
そこで、玲奈は背筋を伸ばし改まる。
「まず、助けてくれてありがとう。」
と深々と礼をした。
ムゥランとユピテルは少し驚いて、そして少し気恥ずかしかった。
「今僕らは玲奈と
ユピテルが言うと、
「
とムゥランが続ける。
そうして二人もまた、膝をつき
「それでもありがとう。私、一人だけだったら、どうなっていたか…。」
玲奈は今日の夕方からの出来事を振り返り思わずゾッとする。そしてにわかに体中に疲労感がのしかかった。
「ねえ玲奈。」
そこへユピテルが歩み寄る。
「本当にいろいろあっていっぱいいっぱいだと思うんだけどね…。」
と言ってユピテルが椅子をすすめる。
促されるままに玲奈は椅子に掛けた。
何だか背中がもぞもぞする。
「え!?何…?」
後ろ手に両手が縛られている。
「我が
とムゥランがむっつりと言い、
「ちょっと!主にそんなことしていいの?!」
「危険から守り、危害を加えなければ、別にいいみたいだよ?」
とユピテルが笑顔で言った。