第11話

文字数 9,120文字

 
 全てを話し終えた白ネコに
「今も生きているかどうか分からないのに、自分が変身してまで捜さねばならない理由は何ですか?」と隆が疑問をぶつけると、
「夫なら変身術実験の為に誘拐され、変身させられてしまった被害者を助けられるかも知れないと思ったのです」静かに答えた。

「助ける、とは?」再び疑問が湧いて隆が訊く。

「開発者本人なら自分の変身術かそうでないかを区別でき、偽の変身術実験で動物にされてしまった人を見分けられる筈です。被害者を人間の姿に戻せるわけではないので助けるとは言えないでしょうが不等に逮捕され、薬殺されてしまうのは避けられます」白ネコは真剣な眼差しで話した。

「自身が罪に問われるかも知れないのに、そこまでして…」隆がそう呟くと、
「ご存じの通り、変身術は偽物によって犯罪行為の汚名を着せられ、世間では完全に「悪」とされています。その原因は変身術が元々人類を救う為に開発されたという事を誰も知らないからです。夫が家族と自分の両方を犠牲にしてまで皆を救おうとしたのにです…。だから、私は悔しかった…。今思えば…、私はただ、夫が開発した変身術の汚名を返上したかったのかも知れません…。被害者を救う事で変身術が悪ではないと証明し、人類の為に犠牲になった夫のことを皆にわかって貰いたかったのかも知れません…」と、白ネコは少し悲しそうにして黙った。

 柳瀬に会いたがらない理由が偽の変身実験の被害者を救い、変身術の汚名を返上するという、予想外のものだったから隆は頭の中を整理出来ずにいた。
 話の内容から、たとえ再会にこぎ着けても夫を捜しに行かねばならない白ネコは柳瀬と暮らす訳にはいかない。
 その捜索の途中で逮捕され処刑されてしまう事にでもなってしまったら、ここでの再会の意味はあるのだろうかと隆は思った。
 もしかしたら会わない方が良かったと思うかも知れず、自分がどうすべきかわからなくなった隆はクロトラに助けを求めたが、同じように困った顔をしているだけで何も言わない。

 しばしの沈黙の後、隆の頭にようやく1つの考えが浮かんだ。

 俯いた白ネコの顔をじっと見詰めて話し出す。
「ネコになった自分が人間の妻を支えられるのだろうかと悩んでいた私に変身を決断させたのは、どんな姿でもいいからずっとそばにいて欲しい、という妻の言葉でした。それを聞いて妻の願いはただ一緒にいて欲しいという純粋なものだと分かったのです。知広さんにとって母親はあなたでしかなく、だからどんな姿をしていても会いたいと思うのは当たり前でしょう。私はそれが解るからここにきたのです」
 言葉を選びながらゆっくり話す隆に
「あの子に父親の事まで背負わせる事は出来ない…」と白ネコは再び黙る。

 すでに自分の考えが固まっていた隆は自信に満ちた声で
「私も変身ネコと暮らすという複雑な事情を妻に背負わせることに迷いがありました。でも今は、妻を幸せにしていると思えるし、その人生を支えられていると感じています。知広さんはあなたが実験のために誘拐され、変身術でネコにされてしまった不幸な母親だと思っています。たとえ父親の事を背負わせたとしても、あなたを不憫に思って苦しみ続けた15年間を終わらせる事が出来ます。それが出来るのは貴子さん、あなただけです」
 隆は白ネコの目を見て祈るように言った。

「私のせいで…、長い間苦しんで来たのですね…」自分を責めるように呟き、「出来る事なら終わらせてあげたい…」と白ネコが頭を垂れ、泣き崩れたように見えたその時、ハーモニカの音楽が倉庫の外から聞こえてきた。

 白ネコは耳をピクッと動かし、ハッとした表情で顔を上げた。

「どうしたんだい? 今日は皆、外で待っていたんだね」と柳瀬が優しい声で話し掛けるのが聞こえてくる。
「あらまあ。そんなにお腹空いているの? 今、あげますからね!」そう言う美沙の声の後、ネコ缶を開けるカシュッという音が次々に続いた。

「はいはい、お利口に座って待ってて!」沢山の鳴き声の中、はやるネコ達をなだめる美沙の声に続き、
「さあどうぞ。ほらほら、慌てると喉に詰まちゃうよ」と、1匹ずつに語りかける柳瀬の声がこれ以上ないほど愛に満ちて聞こえ、倉庫の中にいる隆たちの心を温かくしていた。


「さあ、行って! その長い苦しみを今日で終わらせて!」隆がそう声をかけると、白ネコは何も言わず一目散にドアへ走った。

 ドアの隙間からそっと出したその顔に美沙が気付き、
「あ、トモくん!」大きな声で驚いたように言う。

「もしかして…、お母さん?」その視線の先を見た柳瀬がそう言いながらゆっくり近づくと、
「ニャーオー」白ネコが柳瀬の顔を見つめて大きな声で鳴いた。

 柳瀬は静かに屈むと両手で優しく抱き上げ、
「やっと会えたんだね! 夢じゃないんだ…」と、その目を嬉し涙で一杯にして白ネコを抱きしめる。

 涙を流しながらそれを見ている美沙に外に出た隆がお腹を向けると、すぐに白ネコ用の翻訳機を外して柳瀬に手渡した。
 隆は礼を言おうと再び倉庫の中へ戻ったがすでにクロトラの姿はそこにない。
(ありがとう。すべてはクロトラさんのお陰です)と頭の中で呟いてみても返事が返ってくる事はなかった。


 次の日の朝、隆と美沙は書斎にいた。
「チビちゃん、お疲れ様。やっと終わったわね」と言いながら頭を撫で、「お母さんもトモくんと一緒に住めばもう安心ね」と嬉しそうにした。

「色々積もる話もあるだろうから、しばらくはゆっくりすればいい…」母親から聞いた事を全て伝えて良いのか迷った隆は、2人でじっくり話し合うようにと言っておいたのだ。

「そうね。落ち着いて話したいから2、3日は会社を休むと言っていたわ。ネコ缶配りも今日はお休みなんだって。私、1人で行こうかしら…」そう言ってつまらなそうにするので、
「1日くらい食べなくたって死にはしないよ」隆が平然として言うと、
「最近、すっかりドライになったわね。あれこれ心配しなくなったようだし…」美沙が不満そうに口を尖らせた。

「ネコ本来の性格が出てきたのかなあ?」
 隆は軽い感じでそう答えたがその心の中では、成るようになれと思う最近の自分が不思議でならなかった。

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 翌日からネコ缶配りが再開し、美沙はいつものように出掛けていった。

 ドローンを自動操縦にした柳瀬が幸せそうな顔をして、
「お陰で母に再会できたよ、本当にありがとう。隆さんにはどんなにお礼を言っても足りない位お世話になってしまった。その代わりと言ってはなんだけど今後は毎月、うちの会社からネコ缶を送らせてもらうよ」そう言って深く頭を下げた。

「そんな事しないでよ。缶詰が欲しくてやった訳じゃないと隆に怒られちゃうわ」美沙が困ったように言うと、
「母からも言われているし、そのくらいはさせてもらわないと気が済まない。受け取って貰えるように僕から話すよ」まじめな顔で返して、「それより、母から知らされた事を話すから聞いて欲しいんだ」と、どうしても話したいのか返事も聞かずに話し始めた。


 美沙は隆が倉庫で聞いたのと同じ話を聞かされた。


「じゃあ、誘拐じゃなかったの?」
「お父さんもネコになって、まだ生きているのね?」
「まさか、変身術の生みの親だとは…」
「今、どこにいるのかしら?」
「手掛かりは何もないの?」
 話の途中で次々に質問を投げかけた。

 柳瀬はそれらに答えようとはせず、
「美沙さんに折り入って頼みがあるんだ…」真剣な顔になってそう言ったがすぐに頭を大きく振って、「いや、こんな事を他人に頼める訳ないよ。ごめん、忘れてください」と申し訳なさそうにする。

「何よ、そこまで言っておいて。しかも、いまさら他人だなんて!」遠慮する柳瀬に焦れて美沙は怒ったが、
「………」それでも柳瀬は何も言わない。

「聞いてみて無理なことだったら、ハッキリそう言うわ」深刻な雰囲気を察した美沙がそう促しても、
「うん…でも……」と、やはり言えないでいる。

「じゃ、隆と一緒に聞いた方が良いかしら?」あまりの深刻さに怖くなって訊ねると、
「そうしてもらえると助かる…」と静かに答えて再び黙ってしまった。


 翌日、ネコ缶配りの帰りに立ち寄った柳瀬が書斎の隆の元へやって来た。

「どうですか? お母さんとの暮らしは」挨拶がわりに隆が訊くと、
「その母から聞いた事なんですが…」と美沙にしたのと同じ話を始める。

「それなら倉庫で聞いていますよ」隆がそう言うと、

「父親の捜索を…僕も手伝うと決めたんです!!」

 あまりに力を込めて言うその言葉に違和感を持った隆と美沙は可笑しくなって顔を見合わせた。

「なるほど。一緒に捜せばきっと見つけられますよ」少し大袈裟すぎやしないかと思いながらも隆がそう言って励ますと突然、柳瀬が目の前にひざまずき、
「ネコになります! 僕もネコになって母を助け、父を捜し出して被害者を救いたいんです。そして、変身術に着せられてしまった汚名を返上したいんです!」深々と頭を下げて言った。

「………!」
「………!」
 隆と美沙は柳瀬が何を言ったのかすぐには理解できず、しばらく土下座するその姿を見つめていた。

「…という事はつまり?」
 隆の言葉が翻訳機を通じて発せられると柳瀬は床に付けていた顔を上げ、
「美沙さんに引取人になってもらいたいのです。お願いします!」と早口で言うと再び頭を下げた。


 変身術には厳しい条件があり、本人の意志を確認できない場合はもちろん、前科がある者や移植する脳の部分に病気がある者も受け付けてもらえないのだ。
 また、本人の気まぐれではない事を証明する為に変身後の引取人を指定しなければならず、それなしでは仮申し込みすらも受け付けてもらえなかった。
 指定された人はその後、身元を詳しく調査された上、適格者と判定されなければならず、不適格となれば変身術を受けることは出来なくなってしまう。
 隆の仮申し込みの時にその注意書きを散々見せられて良く知っていたから、柳瀬が必死になって頼む理由を2人はすぐに理解したのだった。


「会社の方は…、どうなっちゃうのよ?」美沙がその動揺を隠さずに訊くと、
「それは美沙さんにお願いします!」そう言って頭を下げる。

「え…、何を言ってるの?」さらに動揺し、半分怒って返事する美沙に
「ネコ缶配りをずっと続けたいので他の人には頼めないんです。お願いします!」と、今度はゴンッと床にぶつかる音がするほど勢い良く頭を下げた。

 現実味のない予想外の展開にそれが他人事のように思えてきた隆は美沙が社長になった姿を想像し、可笑しくなって思わず目を細めた。

 すると、その顔を見た美沙が
「まさか、笑っているんじゃないでしょうね!」と八つ当たりする。

 最初はコメディのように感じた展開が落ち着いてよく考えてみると筋が通っていて柳瀬が考え抜いた末の結論だと思えた隆が、
「それが最善の選択かも知れないな…」真面目な顔になって言うと、
「何が最善の選択よ!」美沙はまだ怒っているのか責めるような目で見る。

 隆は美沙とのやり取りを一旦横に置き、柳瀬の方を向いて話し始めた。

「変身動物への取り締まりが厳しさを増している今、一刻も早くお父さんを捜し出さなければならない。しかし、その捜索に協力しようとしても柳瀬さんが人間の身体ではどこでもついて行ける訳じゃなく限界がある。僕がお母さんを見つけた時のようにネコを捜すならネコの姿の方がやり易い筈だし、そう考えると家族で唯一人間のままでいる知広さんが変身するのは理にかなっている」

 そう話した後、今度は美沙の方を見て「それを実現する為の引取人は適格者と判定されたことのある美沙に頼めば間違いない。会社の方は他の人に頼んでもイイいかも知れないがネコ缶配りに関してはそれを熟知している美沙が最適だ。つまり、知広さんの希望を実現できるのは美沙の他にいないという事だ」と話して終えた。

「わかるけど、私が社長だなんて…」と再び口を尖らせて不満をこぼす。

 それを聞いて、美沙には柳瀬がネコに変身する事や違法な変身ネコの引取人になる事より、合法的な社長になる事の方が問題なんだと思った隆は再び可笑しくなった。

「隆さんの言う通り他に頼める人はいないんです! うん、と言ってください!」と柳瀬が美沙に迫り、「社長が嫌なら会長として、ただいてくれるだけでいいから…」両腕で美沙の肩を掴んで何度も頭を下げた。


 結局、会社の経営は別の人に任せる事になったが柳瀬の熱意、というより強引とも言える押しが利いて引き取り人は勿論、ネコ缶配りに関する権限を持った会長になる事にも美沙は同意した。

「はぁ〜、トモくんもネコになってしまうのね。何だか寂しくなるわ…。それで、いつ頃変身術を受けるつもりなの?」美沙がため息をついた後、何気なく尋ねると、
「明日から10日間の予定でオーストラリアへ行ってきます」
 柳瀬は晴れ晴れとした明るい声で言った。

「じゃあ、私が同意することになっていたのね?」
 美沙は再び口を尖らせた。

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 修一が両腕を大きく広げ、伸びをするようにして、
「新しい取り締まり機器の開発でずっと休めなかったから、休暇を取ってしばらくはのんびり過ごそうと思っているんだ」と美沙に話す。

 会社の同僚から食糧危機の今では滅多に見られなくなったスイーツを貰った修一が、自分は辛党で食べないからと会社帰りに届けてくれたのだった。

「取り締まり、変わるのね?」美沙が動揺を隠しながら訊くと、
「そうだよ、人の手によるものは効果的じゃなかったからね。由美子の会社の無音ドローンにウチのセンサーとパルス照射装置を載せ、遠隔操作で飛ばして取り締まる方法になるんだ」修一がためらわずに話すので、
「それは機密事項じゃないの?」美沙は少し心配して訊いたが、
「開発が終わったからもう、その必要はないよ」修一は嬉しそうに言った。

 何かとてつもない事が進行しているようで美沙は続きを聞くのが怖かったが、
「じゃあ、逮捕するんじゃないのね?」自然と言葉が出ていた。

「うん。その電磁パルスで変身した動物の脳にあるマイクロコンピューターを破壊してしまうんだ」そう修一は話し、センサーで探し出した変身動物に向けて空から電磁パルスを照射するのだと説明した。

 新たな取り締まりの具体的なやり方を知った美沙は驚きながら、
「もし、間違えて普通の動物に照射しちゃったらどうするの?」と少し怒ったように修一を見る。

「大丈夫だよ。本物の動物には害のない強さだし、変身動物だって殺してしまう訳じゃないんだ」笑顔のままそう言うと詳しい説明を始めた。

「変身した人の記憶や性格を動物になっても持ち続けられるのは本人の脳の一部を移植して動物の脳と連携させているからなんだ。詳しい事はよく解らないけど人と動物の2つの脳を繋げる役割はマイクロコンピューターが担っていて、変身術の際に埋め込むらしい」

「新しい取り締まりはその連携を断つ事が目的でパルス照射はその為の手段なんだ。身体にダメージを与えずにそのコンピューターだけを破壊出来る電磁パルスを使えば変身動物を元の動物に戻す事が出来ると聞いているよ」修一は少し自慢げに話した。

 美沙はあまりに恐ろしいその説明に背筋が凍りつきながらも、その続きを書斎にいる隆に聞かせまいと急いで話題を変えることにした。
 その後、近々結婚する友達のお祝いは何を贈るかなどの他愛のない話を1時間ほどすると修一は帰っていった。


 玄関ドアに鍵を掛けた美沙は取り締まりの話が聞かれていなかったか心配になり、書斎を覗いてみるが隆は椅子に敷かれた毛布の上でぐっすり寝ていた。
 その姿を見て、聞かれずに済んだと安堵する一方で何か物足りなさみたいなものを感じずにはいられなかった。

 柳瀬の母親捜しが解決した後も、散歩や運動のためにと言って早朝や夕方に外出するようになっていた隆は日が経つに連れて行動や生活リズムもよりネコらしくなっていき、夜になると冴えた目であちこち動き回る代わりに昼間は寝て過ごす事が多くなった。
 その上、人間への興味も薄くなってきたのか今日のように修一が来ると知らせても、眠いから寝ていると言って結局最後まで顔を見せることはなかった。

 受賞をきっかけにポエムの仕事を再開していた美沙は以前のように2人で過ごす時間が持てない事を心配していたが一方の隆はそんな事を気にする素振りもなく自分の時間を過ごしているように見え、互いの距離を感じるようになっていた。

 寝ている隆をそっとしておき寝室に行った美沙はベッドに横になり、修一が話した事を思い出していた。

 新たな取り締まりは隆だけでなく、これからネコに変身する柳瀬やその両親、クロトラや倉庫にいるネコ達の存続を危うくするもので全ての変身動物にとっての脅威に思えた。
 隆がネコになって以来、いつも心にある漠然とした不安が具体的な脅威となり、ついに姿を現したと感じた美沙はその恐怖に思わず頭から毛布を被った。

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 柳瀬がオーストラリアから帰国すると美沙は忙しくなった。

 やなせフーズの代表取締役社長は会社の設立当初からいる専務が替わる事になり、美沙は非常勤の名誉会長という実務に関係のない役職に収まる事になった。
 しかし、その会長就任式への出席と役員や社員とのミーティング、各取引先への挨拶に加え、毎日のネコ缶配りやポエムの創作と寝る間もなかった。

 柳瀬の代わりとなるネコ缶配りの補佐役を社員の中からひとり、秘書の名目で選ぶ事以外は全てやり遂げた美沙が自宅に戻った。

「ただいま、チビちゃん」玄関ドアを閉めた美沙はドアに寄り掛かって、「フゥー」とため息をつく。

「お疲れ様。毎日、忙しいね」爪で翻訳機のスイッチを入れた隆が書斎から出てきて声を掛けると、
「ようやく終わったわ。あとは秘書を誰にするかだけよ」美沙はドアに寄りかかったままそう言い、「でも、それが一番の悩みどころなんだけど…」屈んでハイヒールを脱ぎながら呟いた後、「何かイイ方法はないかしら?」と目の前にいる隆の顔を覗き込んだ。

 すると、隆は意味ありげに目を細め、
「どうすれば良いか、君は誰よりも分かっている筈だ」と、それだけ言うと背中を向けてゆっくり歩き出す。

「え、何なの? どうゆうこと? ねえ、はっきり教えてよー」そう言いながら追いかける美沙に廊下の途中でわざと捕まり、「ねえ、教えて!」と抱き上げられた途端、その両手からスルリと抜け出した。

 床に下り立った隆は振り返り、
「ポエムだよ! 社内で募集すればいい」クールに言って再び目を細めた。

「あ、そうよ! それだわ!」美沙は手を叩き、「チビちゃんありがとうー」と嬉しそうに隆を抱き上げ、頭を思いっきり撫でる。

「きっと、イイ人が見つかるよ!」
 今度は逃げずにそう言い、美沙の腕の中でされるがままでいた。

 美沙は隆を抱いたままリビングのソファまで行って腰を降ろすとブラッシングや耳の中を拭いたりして久しぶりに世話する事を楽しみ、隆もしばらく忘れていたその温かくて柔らかい手を存分に味わった。

 次の日、美沙は出社するとすぐにポエム募集のポスターを作って貼り出した。
 残務整理と新社長への引き継ぎに追われ、社内では顔を合わせることがなかった柳瀬があちこちに貼られているポスターを見て会長室へやってきた。

「良い案を考えたね!」開口一番にそう言って笑みを浮かべた後、会長用として美沙に与えられた大きなデスクに近づき、「秘書選びを兼ねて…、だよね?」と今度は小声で言う。

「そう、隆の提案よ」美沙も小さな声で答え、「これできっと最適な人が見つかるわ」デスクに置かれたポスターを手に取って微笑んだ。

「さすが隆さん、いつも良いアイデアをくれるね。それが決まったら僕の役目は終わる。すぐに行動するからよろしく頼みます」と柳瀬がウインクするので、
「そんなに急がないとならないの?」美沙は少し寂しそうに言った。

「うん、父は立派な人だと判ったんだから汚名を着せたままにはしておけない。母1人では叶わない事も2人でなら何とかなるかも知れないし、僕は出来そうな気がするんだ。被害者達の為にも必ずやり遂げて見せるよ!」とその目を輝かせていた。

 社長を辞任した柳瀬とは翌日から社内で会う事はなくなったが毎日のネコ缶配りで変身した後の引き取りなどについて打ち合わせていた。


 それから2週間後、応募された80余りのポエムを1つずつ丁寧に読んだ美沙は佳作を3つ、最優秀賞を1つ選び出した。

   『ネコとわたし』

ネコはわたしと目が合うといつも目を細める
そしてわたしも同じように目を細めてみる
それがネコの挨拶だと言う人もいる
笑っていると言う人もいる

挨拶を交わしている
笑い合っていると思えばいいのに
わたしには少し悲しく見える

その細く開けたネコの目をよく見ると
涙を溜めているように見えるから
わたしはその涙の理由を解ってあげられなくて
目を細めて涙を溜める


 最優秀賞とした、経理部に所属する早川敏江のポエムは美沙の現在の心の内を代弁しているようで忘れられないものになった。

 その10日後、佳作の3名と最優秀賞の1名を会長室に呼びだし、新社長と役員、そして特別ゲストの柳瀬と共に表彰式を行った。
 表彰式の後、最優秀賞の早川に残ってもらい柳瀬と美沙の3人で会長室のソファに腰かけた。

「早速だけど、僕達がボランティアでネコ缶配りを行っているのは知っているね」柳瀬が話しを切り出すと、
「はい、社…長…?」早川が言葉に詰まるのを見た柳瀬は
「僕はもう社長じゃないから、柳瀬と呼んでくれればいいよ」と笑う。

「はい。では、柳瀬さん。ここに入社を希望した理由はネコが大好きだからです。ネコ缶配りのボランティアは入社前から良く存じておりました。そして、一緒に続けている会長の斎藤美沙さんも作家時代から存じており、ずっと憧れています」2人を前にして緊張の面持ちのまま答えた。

「業務の話ではないのでリラックスして聞いてくださいね」と美沙が優しく言うと早川は少し肩の力を抜いた。

「早川さんには僕の後釜に座って欲しいんだけど、どうかな? 業務時間外のボランティアだからネコ好きの人にしか頼めないんだ」柳瀬がそう言うと早川は
「はい、是非やらせてください。ずっと、機会があったらお手伝いしたいと思っていました」目を輝かせながらすぐに同意してくれた。
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