まとめ
文字数 3,696文字
2011年3月11日に起きた東日本大震災は、未曽有の大災害だった。
最大震度7という揺れだけでなく、想定外の津波、死者と行方不明者は18425人、震災関連死は3700人以上で、関連死を含めた死者と行方不明者は22200人(2021年3月10日NHKの記事より)。助かっても家を失い、さらに福島第一原子力発電所の事故で故郷に帰れなくなる方もいたと聞く。
被害の出方すら多岐に渡りすぎていて、想像が追い付かない。想像はしたかもしれない。ゴジラとかモスラとかが街を襲って出る被害くらいになった。すでに私には程度がわからなかった。
岩手・宮城・福島・茨城などを中心に、東北地方と関東にも被害があったと、私はテレビやネットで知った。特にネットでは、ここまで酷い暴言のような言葉を綴る人もいるのだという文章も読んだ。世の中を呪い、人を呪い、他の人間も自分と同様かそれ以上に不幸になればいい、ということが当然のように書いてあった。
私はそれを読み、嫌な気分になった。たとえ被害を受けたとしても、だからと言って他人に酷いことをしてもいいという理由にはならない。被害を受けたからと言って、加害者に何をしてもいいという免罪符には決してならない。
たとえば、この場合だと自然に仕返しをしたとしても、自然破壊をすればそれはそのまま人間に降りかかってくるし、そういう意味で、すでに人間は自然に対して加害者なのかもしれない。しかし自然はその仕返しに人間に酷いことをしたわけではなく、日本が乗ったプレートにひずみがたまったから動いただけ。それが地震でプレートが海中にあったから津波が来たというだけだ。
大自然の前で、人間は非力である。
でも、想像を絶する不幸に陥ると、そうなってしまうのも理解できる。当たり前と思っていた世界が壊れ、家を失い、大切な人を失ってしまったら、誰でもどんな聖人でも、世界を全てを憎んでしまうかもしれない。
絶望を体験した人に、それでも前を向いて歩け。他人を呪うなと言うのは『そう言うお前は何様だ』と私は思う。大した不幸がなくても他人を妬み嫉み、己の身を嘆くのが人間である。その部分を否定すれば、自身の否定にもつながる。
「思っていることがあるなら、それがどんなに醜い言葉でも吐き出せ」
と、私は考える。吐いた後に後悔すればいいし、しなくてもいい。
それも本心なのだから。
愚かな言葉でも吐くことによって、それに対して気づくこともあるだろう。
本心を隠して偽善的なことばかり言う人は気持ちが悪い。
ウケるからと暴言ばかり吐くのも嫌いだが。
暴言を吐くなら暴言を吐かれる覚悟も必要だが。
誰だって嫌なことは言われたくない。
注意をされるのだって本当は嫌である。
だから言われると、言い返す。
それで、意見の相違で争いごとが起きる。
それが面倒くさいから見て見ぬふりをする。声が大きい人の言うことを聞いて、多くの人々が我慢しなければならなくなることも起こる。正しいことを言っていても力の弱い人が力の強い人に負けてしまったりもする。他人と関わるのは、楽しいこともあるけれど、そうでないこともたくさんある。
だから、あんなに大好きだった東北に行かなくなっていた。
大した被害に遭っていない自分が行ってしまっていいのだろうかと思ってしまった。
否定されるのが怖かった。
お気楽極楽に観光などしてしまっても構わないのかと。
でも、そんな気持ちを砕いてくれたのが、私が大好きで大ファンなアーティストだった。
2015年のライヴツアーで会場が宮城にあったので、チケピでの購入の第一希望にした(プラチナチケットなため抽選だった)。外れたら行くな、当たったら行けということだろうと運を天に任せ、もしも当たったら観光してこようと思った。
当たったので観光した。
行ってみたら、それまでと変わらない景色があった。ゴジラもモスラも、キングギドラとかヱヴァンゲリヲンとか使徒とかも襲って来てはいなかった。
ふつうだった。
他の場所と何も変わらない、素敵な景色と人情があった。
まだ復興は終わっていないという話も聞く。
当事者ではない私には、それがどういうことなのかわからない。
世の中は新型コロナウィルスで大騒ぎ。
東京2020オリンピックは延期され、2か月前になっても反対する人が世界中にいるらしい。本当にオリンピックができるのか、わからない。できてもできなくても、そこで何か良い縁ができればいいと思うけれど。
オリンピック以外でも、ネットでは誹謗中傷も多い。
そうだなと思うことも、それは違うのではないかと思うこともあるけれど、それは私がそう思うだけで、皆がみんな、私と同じ意見ではない。でも、違うからと言って、それを否定するのはよくない。人にはそれぞれの立場と意見がある。立場が違えば利となることも違ってきて、当然意見も違ってくる。それを他人に押し付けるのはよくない。
ネットなんてノイジーなマイノリティが大騒ぎしているだけなんじゃないか? とも思う。でも、それが全ての人もいて、それによって死を選ぶ人もいる。
自分には理解できない情報が大量に流れていて、それに右往左往させられて。誰が上で誰が下でなんて、どうでもいいはずで。そもそも、そんな上下を決めることがnonsenseで、人にはそれぞれ得意があって、それを生かせばいい。
誰かが得意なことがあるならそれを褒め
誰かが苦手なことがあればそれを助ける
助ける人が偉いんじゃなくて、助けられる人が劣っているのではなくて、お互いがお互いに助けて助けられる。助ける方だって誰かのためだけにそうするのではなくて、助けることによって自身が学べることも多くある。助ける側にも利点はあるのに、それで他人を下に見るのは器が小さい。
皆が助けて助けられる。
できることがあるならそれをするだけでいい。
小さくたって、いいじゃないか。
「ありがとう」と笑顔で言うだけでいいじゃないか。
そうすれば素敵な社会が出来上がると思うが……
ネットを見ているだけの私には、貶し合いをしているようにしか見えない。
家にいてネットやテレビも悪くはない。
特に現在は、COVID19と戦うならそれが最も有効な戦法である。
ウィルスと戦っている人がいて、なんとかしてくれるかもしれないし、そんなことないかもしれない。でも、とりあえず、必要最小限の食糧と適度の運動などをしていれば、危険にさらされることもない。ワクチンを待ち、一人ひとりが自分の身を守る。
でも、それが収まったら、外へ行きたい。
自分が安全になり、他の人にも安全がいきわたったなら、外へ出たい。いろいろな所へ行きたい。
外に行って自分で得た情報の方がわかることが多い。自分の目で見て、感じた情報は、事実である。見て聞いて触ってきたものは、間違いない。
問題は、それをどう捉えるか。
どう自分の中に入れ込むか。
それに、時間とともに記憶は薄れ、自分の都合の良いように書き換えられることすらある。6年経って書いた日記は、覚えていないことがたくさんあった。でも、断片としてはきちんと私の中にはあった。だから証拠の
後は、それをどう伝えるか。どうまとめるか。
2015年の3月31日、私はようやく開通できた女川駅に向かっていた。
4年も電車が走っていなかったということは、女川駅は津波で流されていたと言うこと。
そんな津波が、女川を襲ったということ。
当時の私はそれに気づかぬまま、電車に乗って車窓を眺めていた。電車に向かって手を振っていた人がいたことは本文にも書いた。この記憶は鮮烈に残っている。ローカル列車に手を振る人はまばらだった。都会のすし詰めな満員電車に嫌気がさす私にとって、少ない人口。でも、車窓から見えた人は誰もが手を振っていた。電車が通ることを知っていて来た人たちだったかもしない。
そして、その中に小さな子供がいた。
屈託のない笑顔だった。
元気のよい楽しそうな笑顔。見ているだけで幸せをもらえるような。
母親と思しき若い女性の手をしっかりと握り、反対の手で思い切りよく手を振っていた。
嬉しくてうれしくてたまらないという動作。
その女性と出かけられることが嬉しかったのかもしれないし、電車を見るのが好きで好きでたまらなかったのかもしれない。もしかすると、電車の運転手が父親だったのかもしれない。どうしてそんな笑顔だったのかはわからない。でもそれくらいの笑顔だった。
前後に何があるのかあったのかは知らない。
でも、私はそれを見た。
今から6年前で、震災から4年後の、流れゆく時間の中で、切り取られた景色。
青い空に緑の丘、そこにいる幸せそうな大人と子供。
春の日の昼下がり、列車が通る、ほんのひと時。
そこでキラキラした景色を見た。
絶望を文章にする人がいたのだから、私は私の観た小さな希望を記したい。
人は自分が思う程善くはないけれど、思う程悪くもない。
一歩踏み出せば、手を伸ばせばそれがみえてくる。
それが、お気楽極楽な旅人の、たった二泊三日の旅の薄っぺらな感想である。