十 拐かしの依頼
文字数 3,102文字
二日後、皐月(五月)二十四日。小雨そぼ降る朝五ツ(午前八時)。
石田は妾宅の警護を交代し、深川から白鬚社の番小屋に戻った。
まもなく白鬚社の番小屋に、頼み事を依頼したい、と言う客が現われた。
この男、町人風の身なりだが品がない。商人 とは違う・・・。石田の脳裏に、越前屋幸三郎の女房の奈美が刺客を雇った、との喜助の話が浮んだ。男の懐に匕首 など得物があるやも知れぬ・・・。そう思いながら石田は、
「どうぞ、お入り下さい」
男を番小屋に入れた。
玄関を入った広い板の間には仲間の森田が居る。
男は石田に案内され、板の間の森田に挨拶して奥の座敷に入った。隣の座敷には仲間の村上が居る。石田は男に座布団を勧めた。男は座布団に座った。
石田は刀(打刀)を床の間の刀掛けに置いたが、男を警戒して脇差しを帯びたまま男の前に正座した。
「さて、如何様なご用件ですか」
「女を二人捕まえて欲しいのです」
「今、依頼が立て込んでおります。四日ほど日を頂きたい。
如何か」
「引き受けてくださいますか」
「四日後の二十一日、この刻限においで下さい。その折に、どのような事情か説明願いたい。さもなくば、この依頼はお断り致す。
御法度の筋を引き受けぬよう、依頼主の皆に、そのようにお願いしているのです」
「ごもっとなお話です。実は、二人の女を私の家に監禁したい・・・」
男は事情を説明した。
捕まえて欲しい二人の女は、石見銀山で人殺しを企んだ女で、この男の親戚筋に当たると言う。御法度の件なので、世間に知られぬよう、己の家に二人の女を監禁したい、と言うのだ。
この話、妙だ・・・。女の素性が分かっているなら、我々に頼まず己たちで女を捕まえればよい。あるいは町奉行所に届け、女を監禁すればよい・・・。
石田はそう思いながら訊いた。
「女の名と家、この話の真の依頼主の名と貴公の名、それと家を教えて下さい。
名や家が事実と異なる場合、依頼は引き受けませぬ」
「女の名は安芸と華。家は深川の永代寺門前町です。
私の名と家はご容赦願いたい。私にも女房がいます。私に何かあると女房が困ります。
女房に何かあっても私が困ります。事を穏便にしたいのです。
石田様とて同じと思います」
男は焦点の定まらぬ目で威圧的に石田を見た。他人をさり気なく脅す目つきだ。
「其方、私の女房に手を出すと言うのか」
石田は落ち着いて訊き返した。
「そうは申しておりません」
男は低姿勢を装っているが不敵な笑みを浮かべた。
此奴、商人ではない。脅しに慣れている・・・。
男を前にして正座している石田は、一瞬に脇差しを抜いて鞘に収めた。
男の髷が結いの下から刎ね跳び、懐から匕首が畳に転げ落ちた。着物と帯が切れて肌と下帯が見えている。
男の顔が一瞬に青ざめた。ブルブル震えている。
「どう言う事か答えろっ」
石田は男を一喝し見据えた。
「・・・」
「答えぬなら、そこに立てっ。股間の一物を斬り跳ばすっ」
男が逃げようとして立ち上がりかけた。
「逃げようと思うなっ。隣の部屋には仲間が居るっ。板の間にも仲間が居るっ」
「・・・」
男は座りこんだ。
「如何なる理由で私を脅すか、答えろっ」
「・・・」
男は黙秘している。
「村上さんっ。森田さんっ。此奴を外の木に縛りつけろっ。
一物を斬り跳ばしてやる」
「それは、見物だぞっ」
隣の座敷と板の間で一部始終を聞いていた村上と森田が、石田の座敷に現われた。
「物置きに麻縄がある。庭の楢の大木に縛り付けるのが良かろう」
村上が男を引っ立てようと男の腕を掴んだ。
「待ってくれっ。越前屋の妾と娘を始末するよう、女将と大番頭に頼まれた」
男が震えながらそう言った。
「お前、何処の手の者だ。答えろ。答えぬなら、玉から順に、一物を斬り跳ばすっ」
石田は一言一言はっきり言って、膝立ちで男に近づき、脇差しの鋒を男の下帯に差し込んだ。一押しすれば下帯が切れて一物が顔を出す。
「待てっ。水戸徳川家上屋敷詰めの者だ」
その途端、石田は納得した。石田はすでに日野唐十郎から、
『水戸徳川家上屋敷の小侍たちが、越前屋の主の女房と大番頭に刺客として雇われた』
と連絡を受けていた。
「やはり、先日、日野唐十郎殿を斬れ、と言ってきた小侍の仲間か。
私に二十両を払って銭が無くなり、刺客をするまでに落ちぶれたようだな」
「うるさいっ」
「ほほう、強気だな。玉と一物を斬り跳ばされても、強気でいられるかな・・・」
石田は下帯に鋒を差し込んだ脇差しを、ぐっと押した。ずずっと下帯の一部が切れた。
「うっ・・・・」
「此奴を縛り上げろっ。楢の大木に吊せっ」
「分かったっ」
村上と森田は男を後ろ手に縛り上げて猿轡をし、
『この男、商家の母と娘を殺害するため、拐かしを依頼に来た。
よって、ここに吊し置き、北町奉行所へ突き出す。
何人も、この男を解き放してはならぬ。石田、村上、森田』
としたためた紙を楢の大木に貼り、雨の中、男を後ろ手に縛って楢の大木に吊した。
雨の中、白鬚社の番小屋の楢の大木に男が吊されたのを見て、村人が三々五々現われた。
「おお、また、白鬚社の先生たちが世直しをしておくれだよ。
ありがたや、ありがたや・・・」
村人たちは楢の幹に貼られた貼り紙を読んで、大木に吊された男が石田たちに何を依頼したか納得した。
「事は急を要するっ」
座敷に戻った石田はどうすべきか考えた。
石田たちが顔を知っているのは越前屋の番頭の喜助と妾の安芸だけである。越前屋幸三郎の女房の奈美が刺客を放てば、女房の咎は連帯責任だ。越前屋幸三郎と娘の芙美と奉公人が女房の咎の連帯責任を負ってしまう。そうさせぬためには、越前屋幸三郎が女房と大番頭を離縁するしかない。
「楢の木に吊した彼奴を越前屋に突き出せば手間が省ける」
石田は説明した。
村上は、楢の木に吊した男の仲間が現われぬか、番小屋に留まって警戒する。
石田と森田は男を越前屋へ連れて行き、喜助と主の越前屋幸三郎に男の魂胆を聞かせ、越前屋幸三郎に三行半と離縁状を書かせて、女房を離縁させて大番頭を解雇させる。
そして、三行半と離縁状を北町奉行所に届けて男を北町奉行所に引き渡し、石田は深川へ行って川口と本木と共に妾と娘を守り、森田はこの白鬚社の番小屋に戻って村上と共に、男の仲間が現われるのを警戒するのである。
石田が説明を終えると森田が言った。
「では、私が石田さんに同行し、男を町奉行所に引き渡します。
男を捜して仲間がここに来るやも知れませぬ故、私は急いでここに戻ります。
手練れの村上さんでも、あの男を捜して仲間が来て飛び道具などを使われたら、一人では物騒です」
村上が答える。
「分かった。私はここで森田さんの帰りを待つ。
石田さん。深川に居る皆を頼みます」
手練れの刺客が現われた場合を考え、村上は石田の居合いを当てにしている。
「相分かった」と石田。
「では、行ってくる」と森田。
昼四ツ(午前十時)。
楢の大木から男を降ろし、石田と森田は男を引っ立てて白鬚社の境内を出た。
雨は上がっていた。石田と森田は男を引っ立てて大川東岸の堤の街道を小走りに南へ下った。男は帯を斬られて着物の前を肌けたまま、手を後ろ手に縛られて首と胴を縄で括られ、その縄を石田に引っ立てられている。男の髷は結いの下で斬られて雨の中を楢の大木に吊されていた事もあり、髪と姿は落ち武者のようだ。
堤の街道を行き交う隅田村の人々が、
「白鬚社の先生方、世直し、ご苦労さんでございます」
と石田と森田に挨拶して通り過ぎてゆく。皆、また石田たちが悪人を捕まえた、と思って石田たちの光景を気にしていなかった。
石田は妾宅の警護を交代し、深川から白鬚社の番小屋に戻った。
まもなく白鬚社の番小屋に、頼み事を依頼したい、と言う客が現われた。
この男、町人風の身なりだが品がない。
「どうぞ、お入り下さい」
男を番小屋に入れた。
玄関を入った広い板の間には仲間の森田が居る。
男は石田に案内され、板の間の森田に挨拶して奥の座敷に入った。隣の座敷には仲間の村上が居る。石田は男に座布団を勧めた。男は座布団に座った。
石田は刀(打刀)を床の間の刀掛けに置いたが、男を警戒して脇差しを帯びたまま男の前に正座した。
「さて、如何様なご用件ですか」
「女を二人捕まえて欲しいのです」
「今、依頼が立て込んでおります。四日ほど日を頂きたい。
如何か」
「引き受けてくださいますか」
「四日後の二十一日、この刻限においで下さい。その折に、どのような事情か説明願いたい。さもなくば、この依頼はお断り致す。
御法度の筋を引き受けぬよう、依頼主の皆に、そのようにお願いしているのです」
「ごもっとなお話です。実は、二人の女を私の家に監禁したい・・・」
男は事情を説明した。
捕まえて欲しい二人の女は、石見銀山で人殺しを企んだ女で、この男の親戚筋に当たると言う。御法度の件なので、世間に知られぬよう、己の家に二人の女を監禁したい、と言うのだ。
この話、妙だ・・・。女の素性が分かっているなら、我々に頼まず己たちで女を捕まえればよい。あるいは町奉行所に届け、女を監禁すればよい・・・。
石田はそう思いながら訊いた。
「女の名と家、この話の真の依頼主の名と貴公の名、それと家を教えて下さい。
名や家が事実と異なる場合、依頼は引き受けませぬ」
「女の名は安芸と華。家は深川の永代寺門前町です。
私の名と家はご容赦願いたい。私にも女房がいます。私に何かあると女房が困ります。
女房に何かあっても私が困ります。事を穏便にしたいのです。
石田様とて同じと思います」
男は焦点の定まらぬ目で威圧的に石田を見た。他人をさり気なく脅す目つきだ。
「其方、私の女房に手を出すと言うのか」
石田は落ち着いて訊き返した。
「そうは申しておりません」
男は低姿勢を装っているが不敵な笑みを浮かべた。
此奴、商人ではない。脅しに慣れている・・・。
男を前にして正座している石田は、一瞬に脇差しを抜いて鞘に収めた。
男の髷が結いの下から刎ね跳び、懐から匕首が畳に転げ落ちた。着物と帯が切れて肌と下帯が見えている。
男の顔が一瞬に青ざめた。ブルブル震えている。
「どう言う事か答えろっ」
石田は男を一喝し見据えた。
「・・・」
「答えぬなら、そこに立てっ。股間の一物を斬り跳ばすっ」
男が逃げようとして立ち上がりかけた。
「逃げようと思うなっ。隣の部屋には仲間が居るっ。板の間にも仲間が居るっ」
「・・・」
男は座りこんだ。
「如何なる理由で私を脅すか、答えろっ」
「・・・」
男は黙秘している。
「村上さんっ。森田さんっ。此奴を外の木に縛りつけろっ。
一物を斬り跳ばしてやる」
「それは、見物だぞっ」
隣の座敷と板の間で一部始終を聞いていた村上と森田が、石田の座敷に現われた。
「物置きに麻縄がある。庭の楢の大木に縛り付けるのが良かろう」
村上が男を引っ立てようと男の腕を掴んだ。
「待ってくれっ。越前屋の妾と娘を始末するよう、女将と大番頭に頼まれた」
男が震えながらそう言った。
「お前、何処の手の者だ。答えろ。答えぬなら、玉から順に、一物を斬り跳ばすっ」
石田は一言一言はっきり言って、膝立ちで男に近づき、脇差しの鋒を男の下帯に差し込んだ。一押しすれば下帯が切れて一物が顔を出す。
「待てっ。水戸徳川家上屋敷詰めの者だ」
その途端、石田は納得した。石田はすでに日野唐十郎から、
『水戸徳川家上屋敷の小侍たちが、越前屋の主の女房と大番頭に刺客として雇われた』
と連絡を受けていた。
「やはり、先日、日野唐十郎殿を斬れ、と言ってきた小侍の仲間か。
私に二十両を払って銭が無くなり、刺客をするまでに落ちぶれたようだな」
「うるさいっ」
「ほほう、強気だな。玉と一物を斬り跳ばされても、強気でいられるかな・・・」
石田は下帯に鋒を差し込んだ脇差しを、ぐっと押した。ずずっと下帯の一部が切れた。
「うっ・・・・」
「此奴を縛り上げろっ。楢の大木に吊せっ」
「分かったっ」
村上と森田は男を後ろ手に縛り上げて猿轡をし、
『この男、商家の母と娘を殺害するため、拐かしを依頼に来た。
よって、ここに吊し置き、北町奉行所へ突き出す。
何人も、この男を解き放してはならぬ。石田、村上、森田』
としたためた紙を楢の大木に貼り、雨の中、男を後ろ手に縛って楢の大木に吊した。
雨の中、白鬚社の番小屋の楢の大木に男が吊されたのを見て、村人が三々五々現われた。
「おお、また、白鬚社の先生たちが世直しをしておくれだよ。
ありがたや、ありがたや・・・」
村人たちは楢の幹に貼られた貼り紙を読んで、大木に吊された男が石田たちに何を依頼したか納得した。
「事は急を要するっ」
座敷に戻った石田はどうすべきか考えた。
石田たちが顔を知っているのは越前屋の番頭の喜助と妾の安芸だけである。越前屋幸三郎の女房の奈美が刺客を放てば、女房の咎は連帯責任だ。越前屋幸三郎と娘の芙美と奉公人が女房の咎の連帯責任を負ってしまう。そうさせぬためには、越前屋幸三郎が女房と大番頭を離縁するしかない。
「楢の木に吊した彼奴を越前屋に突き出せば手間が省ける」
石田は説明した。
村上は、楢の木に吊した男の仲間が現われぬか、番小屋に留まって警戒する。
石田と森田は男を越前屋へ連れて行き、喜助と主の越前屋幸三郎に男の魂胆を聞かせ、越前屋幸三郎に三行半と離縁状を書かせて、女房を離縁させて大番頭を解雇させる。
そして、三行半と離縁状を北町奉行所に届けて男を北町奉行所に引き渡し、石田は深川へ行って川口と本木と共に妾と娘を守り、森田はこの白鬚社の番小屋に戻って村上と共に、男の仲間が現われるのを警戒するのである。
石田が説明を終えると森田が言った。
「では、私が石田さんに同行し、男を町奉行所に引き渡します。
男を捜して仲間がここに来るやも知れませぬ故、私は急いでここに戻ります。
手練れの村上さんでも、あの男を捜して仲間が来て飛び道具などを使われたら、一人では物騒です」
村上が答える。
「分かった。私はここで森田さんの帰りを待つ。
石田さん。深川に居る皆を頼みます」
手練れの刺客が現われた場合を考え、村上は石田の居合いを当てにしている。
「相分かった」と石田。
「では、行ってくる」と森田。
昼四ツ(午前十時)。
楢の大木から男を降ろし、石田と森田は男を引っ立てて白鬚社の境内を出た。
雨は上がっていた。石田と森田は男を引っ立てて大川東岸の堤の街道を小走りに南へ下った。男は帯を斬られて着物の前を肌けたまま、手を後ろ手に縛られて首と胴を縄で括られ、その縄を石田に引っ立てられている。男の髷は結いの下で斬られて雨の中を楢の大木に吊されていた事もあり、髪と姿は落ち武者のようだ。
堤の街道を行き交う隅田村の人々が、
「白鬚社の先生方、世直し、ご苦労さんでございます」
と石田と森田に挨拶して通り過ぎてゆく。皆、また石田たちが悪人を捕まえた、と思って石田たちの光景を気にしていなかった。