十三 心の器量

文字数 2,646文字

 その後。
 北町奉行所の詮議と吟味の結果、刺客を雇った元女房の奈美と元大番頭の千助に死罪の裁きが下ったが、表向きは、赦免無しの八丈島送りが言い渡された。
 本来なら刺客を雇った者は死罪である。だが、母が死罪になったのでは娘芙美の今後が思いやられる、と北町奉行が判断し、刺客が殺人を犯していない事を理由に下された、偽りの遠島の刑だった。
 石田に、妾の安芸と娘の華の拐かしを依頼し、妾宅を荒した小侍らの三人は、刺客として奈美と千助に雇われた事が明らかになった。そして、この事件以前に、度重なる無銭飲食と町人に対する狼藉により押込みの刑(自宅軟禁、外出禁止)に処せられた前科と、石田に日野唐十郎の殺害を依頼した事もあり、小侍三人に打ち首が言い渡された。
 事件発覚前に、女房の離縁と、大番頭の解雇を北町奉行所に届けた越前屋幸三郎は、この事件の連帯責任を免れた。石田たちの機転のお陰である。

 そして、奇妙な事が起こった。
 呉服問屋越後屋の主の福右衛門が、ぜひとも器量の良い娘を倅の嫁に欲しい、と望んでいたのは元女房の娘の芙美だった。

 福右衛門は、倅の幸吉を越後屋の手代にして商い修業させていた。幸吉は呉服を越前屋へ納めた折に芙美を見初め、その後、幸吉は何度も越前屋に呉服を納めて芙美と親しくなって相思相愛になっていた。
 そんな事は露知らず、元女房の奈美は、越後屋の申し出、
『器量の良い娘を倅の嫁に欲しい』
 を、妾の安芸の娘、華と勘違いして、妾の安芸と娘の華を殺害すべく動いたのであった。
 越後屋の言う『器量の良い娘』は越後屋の倅幸吉の好みで『心根の器量が良い』だった。世間一般が認める容姿の『器量の良い』ではなかったのである。


 一件落着後。
 石田は越前屋幸三郎から警護依頼の残り十両を受け取った。
 石田は白鬚社の番小屋の昼餉の席で、仲間たちに二両ずつ渡した。
 その席で、越後屋を覗いてきた村上が、
「それにしても、越後屋の倅は役者のようないい男だ。
 それにくらべ、越前屋の元女房の娘は小太りのオカメだ。
 どう考えても、倅の思いが分からぬ・・・」
 仲間たちにそう呟いていた。

 その夜。
 吉原の石田屋に戻った石田は夕餉後のお茶を飲みながら、小夜に警護料の二両を渡した。
 小夜は正座したまま両手を畳に置いて膝を浮かせ、すっと石田の近くに寄って、
「旦那様、内緒ですが・・・」
 と耳元で囁いた。
 昨年卯月(四月)に祝言を上げた二人だ。もうすぐ水無月(六月)。夫婦になって一年余りが過ぎようとしている。

 石田は小夜の話を聞き、驚いて小夜の目を見つめた。
「そんなになりましたか・・・」
「はい。旦那様のお陰です」
 小夜は石田を笑顔で見つめ返して座り直した。
 石田が始末屋を始めて以来、小夜は、始末で得た礼金を月に一両、実家に送り、残りを貯めている。
「今度の依頼も無事に成し遂げて良うございましたなあ」
 小夜は石田の膝を撫でた。
「与力の藤堂八郎様や日野唐十郎殿や仲間の皆が居るから成し得た依頼です。
 皆に、感謝しています。
 そして、何よりも小夜さんに感謝しています」
 石田は小夜に向って御辞儀すると同時に、心の内で日野唐十郎や与力の藤堂八郎、石田の仲間に感謝した。

「あれまあ、あたしはここに居ただけですよ。旦那様のお手伝いはしてませんよ」
「そう言う事ではありません。何をするにも小夜さんが居るから張り合いが出ます。
 しっかりせねばならぬと気持ちも引き締まります」
「そんなに言ってもらうと、あたしは調子に乗ってしまいますよ。
 だけど旦那様。怪我の無いよう、仲間の皆様も怪我の無いよう、気をつけてくださいね」
「はい、分かりました。
 此度の依頼は奇妙でした・・・」
 石田は事件について説明した後、事件後の越前屋と越後屋について話した。

「越前屋幸三郎は越後屋の主の福右衛門から、
『此度の事件の発端は私にある。ぜひとも芙美さんを倅幸吉の嫁に欲しい』
 と泣きつかれ、これを承諾しました。
 越後屋福右衛門は越前屋幸三郎と共に北町奉行所へ行き、
『越前屋の娘芙美を、越後屋の倅幸吉の嫁にする』
 と人別帳の届けを出したそうです。
 如何とも奇妙な話ですが、倅と娘が相思相愛の結果でした」
 と話した。
「芙美さんは好いた幸吉さんと添い遂げられて、良うございましたなあ」
 小夜は石田との出会いを思いだして微笑んだ。

「元女房の娘は母親に似ず、ここが綺麗だったのでしょう」
 石田は己の胸に手を当てた。越前屋幸三郎は女房の勝手気ままに手を焼いて女房を諦め、娘を大切に育てたのであろう。そして、妾に女房の代りをさせたが、こちらの娘は母親である妾任せにした・・・。越前屋幸三郎はもっと女房と妾を大切にすべきだったのであるまいか。女房を大切にすれば、あのわがままな女房も、娘の芙美のように変ったかも知れない。そして、妾の娘も芙美のように育ったかも知れない・・・・。 
 しかしながら、過ぎた事はどうにもならぬ。轍を踏まぬようにするしかない・・・。
 そう思いながら、石田は小夜に言った。
「さて、今宵は私が臥所に褥を敷きましょう・・・」
「あれ、どうしたんですか」
 小夜が驚いて石田を見つめた。
「もっと小夜さんを大切にせねばならぬと思いました・・・」
「大切にされてますよ。いつも・・・」
 小夜は石田に微笑んだ。
「今宵は特に大切にしたいのです」
「はあい。膳を片づけてますね」
 小夜が笑顔で膝立ちになって石田に近寄り、夕餉の膳を重ねた。

「私も、手伝います・・・」
 石田は膳に手をかけて立ち上がろうとした。
「いけません。殿方は座っていてください」
 小夜は膳に手をかけた石田の手に手を重ねた。
「小夜さんと共に同じ事をしてみたいのですよ」
 そう言って石田は小夜の手を取って片膝立てた。
「一度そんな事をすると、小夜はいつも当てにしますよ」
 そうは言っても、小夜はうれしかった。顔が笑顔のままだ。

 石田が小夜の耳元に口を寄せて囁いた。
「早く褥に入りたいのですよ」
「それなら、小夜はいつも当てにしてますよお」
 小夜は石田に頬ずりした。
「小夜が膳を片付けますから、旦那様は褥を敷いてくださいな」
 小夜は笑顔で夕餉の膳を重ねて持ち、その場から立ち上がった。
「分かりました」
 石田は立ち上がった。夕餉の膳を小夜から取ってその場に置き、小夜を抱きしめた。
「そんなにきつく抱きしめたら、小夜は潰れますよ・・・」
 でも、小夜はうれしいです。旦那様・・・。
 そう思いながら小夜は石田に抱きついた。

(了)
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