5-6:再来じゃ!! 欧山概念大師の再来じゃあ!!
文字数 3,401文字
まことさんは謝恩会のときのようなくだけた口調をやめて、出会ったばかりのころと同じ丁寧な語り口で、概念クラスタの代表者『美代子』として流暢な挨拶をした。
彼女をどの名で呼ぶべきか迷ったあげく、やはり以前と変えずに、
「で、今の台詞はどこまでが本当で、どこまでが作り話なのかな。君の名前が変わるのもこれで二度目だし、ぼくとしちゃ素直に信じてあげることができないんだけど、まことさん」
「あら、そのような喋り方をしてはいけません。
「ええ……最初にフランクな感じで話しかけてきたのは君じゃないか。ていうかぼくはいつまで、あの無意味なお芝居を続けなくちゃいけないわけ?」
相手がまことさんだからか油断して、ぼくは本音をぽろりと出してしまう。
慌てて周囲を見るものの……彼女と挨拶を交わした時点で金色夜叉さんを含むクラスタの人間はこの場から離れたらしく、今この場にいるのはぼくと彼女のふたりだけだった。
そして今やカルト集団の教祖様という立場を示したまことさんは、わずかに険しい表情を浮かべたあと、ぼくの問いに対して率直な答えを告げる。
「貴方様のお気持ちはよくわかりますが、当面は文豪らしく振る舞うべきでしょう。わたしもさきほどはつい嬉しくなって気安く話しかけてしまいましたが……ご存じのとおりクラスタには過激な読者が多く存在しておりますので、もし貴方様が彼らの理想とする作者像にそぐわない場合、どういった行動に出るかわかりませんから」
「う、うむ。では君の忠告どおり、しばらくはロールプレイを貫くとしよう」
真面目な表情でそう答えると、まことさんは小馬鹿にしたようにプッと吹きだす。
……いや、へたくそな芝居なのは自覚してるけど笑うなって。
ぼくが理不尽な反応にがっくりとうなだれると、彼女は再び真面目な表情になって、
「ひとまずクラスタの代表者にして現世に蘇りし大師の御霊を導く巫女、わたし美代子が今から尊師をビオトープの中をご案内いたします。およそ常識的な世界で生きてきた貴方様からすると、幻想的かつ耽美かつ退廃的すぎる欧山概念的世界観の奔流に面食らってしまうかもしれませんが、どうか悲鳴をあげて取り乱したりはせず冷静かつ寛大に対処していただければ幸いです」
「できればご遠慮願いたいところではあるが……どうせそうもいかぬのだろうしな。我が輩としてはなるべく早いところ引きこもりたいし、ちゃちゃっと終わらせてもらおうか」
ぼくが渋い表情でそう言うと、まことさんは無言でにっこりとうなずく。
そして相変わらずのイタズラ小僧めいたまなざしで、こう言った。
「でしたら極端にヤバいエリアを中心に見ていきましょう。尊師は当面の間ビオトープに滞在するのですから、ショック療法的に慣らしていったほうがいいかもしれませんし」
「ちょっ……待っ……!?」
本能的に危機感を覚えて後ずさるものの、まことさんはぼくの手をがっしりと握ると、エアポートの外にぐいぐいと引っぱっていく。
カルト集団が作りあげたマジカルミステリーなテーマパークを、虚言癖のある教祖様が直々にガイドするという、この世でもっとも心がおどらないデートのはじまりだ。
◇
「……で、この人はいったいなにをやっているのだ」
「ごらんのとおり、全身にカブトムシを貼りつけているところですね」
いきなりパンチが強すぎる住民を紹介された。
ぼくの目の前にいるのは頭に巻いたハチマキから枯れ枝を生やした半裸の若い男性で、薄茶色の肌に樹液を塗りたくり、虫かごのカブトムシを一匹ずつ身体に貼りつけているところだった。
唖然として眺めていると、期待に満ちた視線をチラリと向けられる。キツい。
「だからなぜこんなことを……。あ、いや、ロールプレイの一種なんだろうけども」
「左様でございます。彼はクラスタの理念に基づいて、
「ギギギ……。ソンシニアエテ、ウレシイデス……」
カブトムシをうじゃうじゃ貼りつけたグルートのような枯れ枝男は、甲高い裏声で握手を求めてくる。これで取り乱すなというのも無理があるものの、すでに金色夜叉さんで耐性をつけていたぼくは、なんとか笑みを浮かべて彼の手を握った。
「コンゴトモヨロシク……ゴホッゴホゴホッ!!」
裏声を出すのがきつかったのか、彼は盛大にむせてしまう。堰をするたびに肌に貼りつけたカブトムシがボトボト落ちてきて、それを慌てて拾う様子がなんとも不条理だった。
まことさんが無表情で眺めているのもしんどい。
誰かこの状況にツッコミを入れてくれ。
「樹精を再現しようとしているビオトープの住民はほかにもおりますが、現在では彼が一番完成度が高いかもしれません。以前はもっとすごい方がいらっしゃったのですけど、原作を忠実に再現しようとするあまり自力で肌から樹液を分泌しようと考え、大量の蜜を服用する生活を続けた結果、重度の糖尿病にかかり現在はクラスタの施設にて療養中です」
「そ、そうか……。どうコメントしたらいいかわからんぞ……」
というわけで樹精の男と別れ、次のエリアに向かう。
道中、まことさんと並んで歩いていると、平凡なビオトープの住民(つまりカブトムシを貼りつけていない人間だ)とすれ違うことがあった。
彼女がクラスタの代表というのはやはり事実らしく、住民たちは平伏したように手を合わせる。
そしてぼくの名前が紹介されると、彼らは感激のあまり地面に頭をつけるのだ。
「嗚呼……! 現世に蘇りし大師の御魂が貴方様の頭上に見えまする……!!」
「再来じゃ!! 欧山概念大師の再来じゃあ!! お願いします!! 新作を!! 我らささやかな読者に化生賛歌の新作を授けたまへ!!」
「う、うむ……。善処しよう。気が向いたらな」
そして彼らと別れたあと。眉間にしわを寄せてひょこひょこと文豪ウォークを続けるぼくに、まことさんが挑発的な声音でこう囁きかけてくる。
「多くの読者にああして崇拝されるのは、作家冥利に尽きますでしょう。尊師が長年求めてきた理想の生活がこのビオトープにあるのではございませんか?」
「やめてくれ。我が輩は普通に作品を楽しんでもらえればそれでいいのだ。おおげさに崇拝されるのもこんな芝居を続けるのも、まったくもって居心地が悪い」
「しかしいずれ、それが当たり前のことになりましょう。尊師が小説を書くたびにクラスタの信者は感涙し、熱意のこもった賛辞を贈るのですから」
「でも彼らが求めているのは、本当にぼくの新作なのかな。欧山概念のではなく?」
ロールプレイを忘れてぼくがそうたずねると、まことさんは困ったように曖昧な笑みを浮かべる。そして逡巡したのかわずかに間を置いたあと、静かにこう答えた。
「同じことです。わたしが美代子であるように、今はあなたが欧山概念なのですから」
「……どういう意味だよ、それ」
しかしまことさんはぼくの問いに沈黙を返し、やがて前方を指さした。
見ればうっそうと茂る林の先に、なにやら大きな建物が見える。
白い壁で特徴がなく、しかしどことなく不穏な気配があり、いかにもカルトの施設といった感じだ。