十七 藤堂八郎の説明

文字数 2,910文字

 葉月(八月)二十九日、昼四ツ(午前十時)。
 藤堂八郎は、これまでの料亭兼布佐の夜盗被害を説明し終えた。

「以上が公にしておらぬ、夜盗事件のあらましです。他言はなりませぬぞ」
 藤堂八郎は雪に念を押した。
「わかっています」

 藤堂八郎は雪に言った。
「夜盗三人が料亭兼布佐を襲い、主の兼吉を斬殺して金子を奪って、娘の由紀を拐かした。女房の布佐は深手を負ったが、神田佐久間町の町医者竹原松月に助けを求めた。
 事件の証人は女房の布佐だけです。
 町医者竹原松月は円満寺の丈庵住職と共に、夜盗が布佐を口封じせぬよう、女房を円満寺に匿い、事件を内々に北町奉行に知らせた。
 北町奉行は布佐を下女として円満寺に匿わせ、その一方で手をまわし、事件当時、祖父母の元に泊まりにいっていた当時十歳の子息の芳太郎に、料亭兼布佐の身代を継がせるべく人知れず裏から料亭兼布佐を仕切り、芳太郎を板前として鍛え、元服すると仇討ち許可証文を与えて北町奉行所の密偵として鍛えた。
 芳太郎は料亭兼布佐の亭主になり、板前を続けながら賭場に出入りして父を斬殺した者を探したが、夜盗が誰で何処に居るか不明であった。手掛りは、夜盗の一人の右胸にあった辰巳下がりの彫り物だけだ・・・」

「では、その芳太郎が私の両親を斬殺したのですか・・・」
 雪は己の気持ちを如何に言い表せばよいか、わからなかった。
「まだ、そこまで確証を得ておりませぬ」
「私は誰の娘でしょうか」
「料亭兼布佐の娘は『由紀』です。『雪さんが一歳の頃、いつも両親を探していた事』から判断して、当時の娘は己を『ゆき』と呼んでいた・・・」
「両親は、育ての親で、夜盗だったのですか」
「今はそこまで結びつけらぬ。料亭兼布佐に入った夜盗を捕縛すれば全てが判明する」
 藤堂八郎は雪の育ての親が夜盗か否かも断定を避けた。

 雪は番頭が話した事を言った。
「藤堂様は、人別帳によれば大番頭と番頭が越中の氷見の出だ、と話しましたが、番頭の三吉は、
『私は大番頭の与平さんといっしょに奉公に上がりました。里が同じ美濃国ですから』
 と話し、今は大番頭も番頭も三十代だと話しました。二人とも二十歳前後で大黒屋に奉公したことになります・・・」
 私は今年で十八になる。妹は十七だ。料亭兼布佐に夜盗が入ったのが十六年前なら、私が一歳になる前だ。妹はまだ生まれていない事・・・・。

「それは重要な証言です。
 雪さんが一歳の頃、いつも両親を探していた事。
 この抜け荷の大福帳。
 人別帳に寄れば番頭と大番頭は越中の氷見の出だが、番頭は、己と大番頭が美濃国の出だと言った。
 これらの事から大番頭と番頭を詮議できますが、これだけでは二人が料亭兼布佐の夜盗とは判断つき兼ねます。決め手がありませぬ」
 藤堂八郎は夜盗の確証を得たかった。 
「夜盗の証が必要ですね」
 そう言って雪は、どうしたものかと考え込んだ。


「話は変わりますが、大黒屋さんに夜盗が入った折、妹の多美さんは何処に居ましたか」
 藤堂八郎は大黒屋に侵入した夜盗に話題を変えた。
「わかりません。あの夜、妹は離れの寝所に居ませんでした。
 妹の多美はあの夜から出歩いてばかりで、家に居たためしはありません。
 男ができたみたいです」
「大黒屋さんに入った夜盗で、奥庭で見張っていた夜盗は、雪さんと同じ背格好の女だと言ってましたね・・・。妹の背格好は由紀さんと同じですね・・・」
「はい・・・」
 藤堂様は多美を疑っている・・・。
 雪は両親が斬殺された当夜を思い出した。

 奥庭で見張っていた夜盗は私と似た背格好の女だ・・・。夜盗が押し入った折、妹は私の寝所に居なかった・・・。藤堂様が妹を疑うのも無理はない・・・。
 夜盗二人の身体つきは大番頭と番頭に似ていた。父を斬殺した夜盗の左肩から胸に昇り龍の彫り物があった事は、誰にも話していない。藤堂様に話していいものだろうか・・・。
 そう思いながら、雪は思い切って言った。
「今まで誰にも話さなかったのですが、父の首を斬った夜盗は左肩から胸に昇り龍の彫り物がありました。大番頭も番頭も、私は二人の素肌を見た事がありません。奉公にも聞いた事が無いのです。今まで話さなかったのは、夜盗が大番頭の与平に似ていたから警戒していました・・・」

「大黒屋さんに入った夜盗は、抜け荷の品であろう貴重な商いの品を知っていた・・・。
 そして、夜盗の左肩から胸に昇り龍の彫り物があった。
 人別帳に寄れば大番頭と番頭は越中の氷見の出だが、番頭は、己と大番頭が美濃国の出だと言った。
 大番頭と番頭に不審な点がありますね・・・」
 藤堂八郎は縺れた糸を解くように考えを巡らせた。


「兼布佐の女房の布佐さんは、今も円満寺に居るのですか」
「兼布佐の女房の布佐さんは、今も円満寺に居るのですか」
 雪は料亭兼布佐の女房の布佐に、夜盗の人相などを訊けぬものか思った。だが、料亭兼布佐に夜盗が入ったのは十六年も前だ・・・。

「布佐さんは円満寺を出て、安針町で金貸しをしてます。
 兼布佐の名は、主の兼吉さんと女房の布佐さんの名からつけたのです」
 布佐は北町奉行所からの指示で、円満寺で下女をしていたが、円満寺での年期奉公が明けたことにして、安針町の鍼師室橋幻庵の燐家で金貸しをしている。
 布佐の金貸しは多額を貸付けぬが利息が安く評判だったが、今年六月から利息を二倍にし、頻繁に息子の芳太郎と会うようにしている。全てが料亭兼布佐に侵入した夜盗を炙り出す、北町奉行からの指示だ。藤堂八郎は雪に妙な詮索をさせぬために、布佐が芳太郎と頻繁に会っている事を話さずにいた。

「私が布佐さんを訪ねてはいけませんか」
 雪は藤堂八郎に問いただした。
「今は会わずにいるのが賢明です。と言うのは布佐さんが金貸しの利息を上げました。
 布佐さんから銭を借りている無頼漢の口から、布佐さんの存在が夜盗に知れれば、夜盗は布佐さんを口封じに現われます」

 雪は驚いた。北町奉行所は何をする気だっ。
「では、布佐さんは囮ですかっ。危険ではありませぬかっ」
「始終、燐家で町方が見張っています」
「そうですか・・・」
 布佐に危険が及ぶ前に、布佐の娘について知りたい、と雪は思った。

「くれぐれも、これまで話した事は他言無用です」
「わかっております・・・」
 全て自分の目で確かめるしかない。布佐に会ってならぬなら、菩提寺の住職に会ってみればよい・・・。雪はそう思った。

 藤堂八郎に雪の思いが分った。
「菩提寺の丈庵住職に、布佐さんの事を尋ねよう、などと考えてはなりませぬ。
 丈庵住職にも口止めしてあります。雪さんが布佐さんの事を探っていると知れば、丈庵住職は北町奉行所にその事を知らせます。
 そして、雪さんが布佐さんを探っている、と夜盗一味が知れば、布佐さんの存在が明らかになり、夜盗は布佐さんの命を狙うはずです。布佐さんの立場はそれほど危ういから、町方が始終監視して警護しているのです。
 菩提寺に墓参りに行くのはかまいませぬが、決して、丈庵住職に布佐さんの事を話してはなりませぬぞっ」
 藤堂八郎は雪を睨んで念を押した。
「わかりました」
 藤堂八郎の鋭い眼差しに、雪は思わず身震いした。
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