十二 与力の藤堂八郎

文字数 1,820文字

 葉月(八月)の商いに区切りがついて、長月(九月)へに向けての商いが始まった。

 葉月(八月)二十五日、昼四ツ(午前十時)。
「松前屋さん。長月(九月)分の干物の他に、必要な品がありますか」
 雪は乾物屋の大店、松前屋庄三郎(しょうざぶろう)に取り引き証文を示した。
「他にはございません。毎月、ありがとうございます」
 大黒屋の店先で、松前屋庄三郎は取り引き証文を巾着袋に入れ、出されたお盆のお茶を手に取った。
「ところで、巷で夜盗の『寝首かき一味』の噂を耳にします。大店の商家では、そろそろ一味が出没するのではないか、と用心棒を傭うなど、噂が持ちきりです。私どもでも手練れの者を傭いました。
 大黒屋さんもお気をつけくださいまし」
 松前屋庄三郎は大黒屋清兵衛夫婦が流行病で他界したと思っている。『寝首かき一味』に斬殺されたのを知らない。

「以前も商家が襲われたのですか」
 雪は興味津々だったが、単なる興味本位で尋ねている振りをした。
「大店の商家は用心棒を傭うなどしていたため、ここ十年以上は被害を受けておりません。 しかしながら近頃は用心が手薄な大店に、年に一度の割で被害が出ております」
「昔は何処が襲われたんですか」
「かれこれ十六年二なりますか・・・。大店の商家は警戒していましたから、大店の料亭が襲われました。主夫婦が寝首をかき斬られて金子が奪われ、娘が拐かされました」

 雪は驚いたが素知らぬ振りして話した。
「そんな事があったんですか。こわいですねえ。どこの料亭ですか」
「内密ですよ。商いで出入りしている円満寺の下女から、以前聞いた話です。
 今は御上が仕切ってますが、神田花房町の料亭兼布佐に・・・」
 松前屋庄三郎は、料亭兼布佐に夜盗が押し入った一件を説明した。

 十六年前。三人の夜盗が料亭兼布佐に押し入り、主夫婦を斬殺した。料亭には長男と長女がいたが二人とも消息は不明だった。松前屋庄三郎の説明に寄れば、三人の夜盗の風体は大黒屋の主夫婦と大番頭に似ていた。

 雪は、何としても与力の藤堂様に会って確かめねばならないと思った。
 それには大番頭と番頭に悟られぬよう、北町奉行所へ行く口実が必要だ・・・。さて、どうしたものか・・・。
 そうだ、大黒屋の身代を継いだ挨拶だと言って藤堂様に会えば良い・・・。番頭が同行すると言ったら、
『野暮な振る舞いはせず、しっかり丁場を管理しなさい』
 と言い含めれば良い。与力の藤堂様はまだ独り身のはずだ・・・。


 葉月(八月)二十九日、朝五ツ(午前八時)。
 雪は北町奉行所に与力の藤堂八郎を訪ね、大黒屋の身代を継いだ報告をし、藤堂八郎にだけ聞こえる小声で、
「商いについて内々にご相談したい事がございます」
 と伝えた。藤堂八郎は雪の意を介し、雪を与力の詰所に通して人払いをした。

 雪は、上女中の沙希が語った大黒屋の裏の商いと、雪が一歳の頃いつも両親を探していた事を話し、料亭兼布佐に夜盗が入って主夫婦を斬殺し夫婦の子ども二人が消息不明になった事件を尋ね、奥座敷の地袋の隠し戸棚にあった、御伽草子の表紙をした裏商いの大福帳を、小袖の袂から出して藤堂八郎に渡した。

「雪さん、こんな事をして大丈夫なのか?」
「御禁制の裏商いを暴露するのは真っ当な商人の生き方です。どのような裁きが下ろうと覚悟はできております」
「抜け荷の件、承知しました。
 しばらく様子を見て御店に立ち入るように致します故、雪さんは一切知らぬ振りをして下さい」

「承知しました。何も知りませぬ」
「雪さんが抜け荷に気づいたのを知っているのは、上女中と番頭ですね」
「上女中は気づいていますが、番頭は疑っているだけに思います。
 そして、上女中と番頭は繋がっていないように思います。と言うのも・・・」
 雪は上女中が父の大黒屋清兵衛と理無(わりな)い仲だった事を話した。寝物語に裏商いの大福帳の存在を知っていたのだ。
「それと上女中が話すに、私が一歳の頃いつも両親を探していた、との事が、料亭兼布佐に夜盗が押し入って主夫婦を斬殺して娘が拐かされた件と重なって気掛かりなのです。
 藤堂様なら事件の全貌を御存じと思い、こうして訪ねてまいりました。
 覚悟はできております」
 雪は藤堂八郎を訪ねた決意の程を語った。

「相分かりました。これから話す事は他言無用です」
 藤堂八郎は雪を見つめて念を押した。
「はい。他言しません」
 藤堂八郎は、十六年前の、料亭兼布佐の主夫婦が斬殺されて娘が拐かされた夜盗事件と、その後を語った。
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