婚礼
文字数 2,717文字
※
全てを自分たちのせいだと思う必要はないはずだ。聖教軍の兵士が自分に向けられた追手だと決まったわけじゃない。
それでもチルーは動悸を抑えることができなかった。この場の空気が自分のことを責めているように感じる。
村人たちはめいめい地面の起伏を上ったり、低い壁に手と膝をかけて乗り、手庇 をして農場の様子を窺った。彼らが目を細める先に、人影が見えてきた。
七人。
「忘れないで」
飛び上がるほど驚いたが、声をかけてきたのはラナだった。
「あなたの敵が最も憎むのは、あなたが自由になることよ」
リリスがチルーと向き直り、手をつないだ。二人の背中をラナの夫が押した。
「隠れていなさい」
二人は礼もそこそこに広場を離れ、低い塀の陰に身を隠した。
兵士たちと学園からの逃走者に何の関わりもないことは、すぐに証明された。
「……この辺りを偵察……」
そう漏れ聞こえた。
兵士たちの服は汚れ、髭は伸び、遠目にも垢にまみれていた。
「多いよ」
リリスが半笑いになって壁に背中を預けた。
「偵察で七人は多い」
しかるべき流れとして、やがて誰かが兵士たちに水を振る舞った。
「おい、これを見ろ」
兵士の一人が流れを変える。
「抵抗教会の印だ」
その低い声は離れていてもしっかり聞き取れた。リリスが動いた。やっと逃げられる、と思った。だがリリスは広場の中央に近い別の壁の陰に移った。
放っておけず、チルーもついていく。
「ほら、これ」
兵士は仲間にガラスのコップの底を見せていた。
抵抗教会の印といえば、星を戴 く馬小屋だ。
「これはどこで?」
一人が尋ね、他の六人が広場にあるものを手に取り始めた。皿。ワイン。テーブルクロス。黙々とサンドイッチを口に押し込み、仲間に肘で脇腹を突かれる兵士もいた。
「それは、あの」
ドレス姿の新婦が勇敢にも前に出た。
「行商も……限られた人しか来なくて。辺鄙 な村ですから」
「残念だが、それは公教会の敵に資金を流しているのと同じことだ」
「失礼ですが、それはあなた方の偵察任務と何の関係が?」
新郎が尋ね、兵は淀みなく答える。
「抵抗教会の武装勢力はいつでも、都市や村を略奪しようと狙っている。連中からあなた方を守るのが我々聖教軍の務めです。あなた方が連中と取引を行っているのなら、我々は部隊に戻り報告しなければならない。
だがあなた方は我々に水と、ささやかな食事を振る舞ってくださった。酌量の余地はある」
広場に満ちる、重苦しく陰鬱な希望という矛盾した空気をチルーも感じることができた。話が厄介にならずに済むことを村人たちは期待している。彼らは目で尋ねている。で、いくら払えばいいんだ?
「違う」
新郎の一声がその期待を裂いた。
「本物の兵士ならそんな交渉はしない」
ああ。
見ていられなくなり、チルーは壁に完全に体を隠して目を伏せた。目を閉ざしてしまうのは、それはそれで怖かった。
「あなたたちは偵察兵じゃない。脱走兵だ」
沈黙が聞こえた。
チルーの隣では、リリスがまだ広場を見続けていた。
だから、リリスは見た。
兵士の一人がテーブルを挟んで長身銃を下ろし、その銃口を新郎に向けるのを。
「そうさ、我が弟よ」
警告はなかった。引き鉄 が引かれた。あの声、冗談を言うような、暗い、負の情熱に満ちた声こそが警告だったのだろう。我が弟よ、と。
弟と呼ばれた新郎の胸が薔薇のように赤く染まり、人体の破片が飛び散った。突き飛ばされたようによろめき、新郎は頭を庇うこともせず、後ろ向きに倒れた。
一人ずつ事態を理解していき、群衆が叫び声をあげた。リリスにはそう見えた。だが、チルーは見ていない分だけ正確に聞き分けた。叫んでいるのは、広場にいる八十名余りのうち、片手に余る程度の人数だ。
事実その通りで、大多数の人は次の的になるまいとして逃げも叫びもしなかった。ただ、隣にいる人と身を寄せ合っただけだった。湧き上がった悲鳴が収まり、失うものが何もない老婆がおいおいと泣くのみとなった。
他の六人の兵士たちは、銃を撃った仲間を見つめていた。彼がそんなことをするとは思っていなかったのだろう。
「トサ?」
新婦が、愛する人の死を直視することもできぬまま、ふっくらした唇を動かした。紅 が塗られているが、唇の皮はめくれていた。
彼女は兵士に再度問いかけた。
「あなた、トサなの?」
「リム!」
立ち尽くしている新婦へ銃口が動く。
「リムじゃないか! ひっさしぶりだなあ!」
「おやめ!」
主導を奪った声の主は、ラナだった。
「うちの大事な嫁に近づくんじゃないよ」
チルーは想像する。ラナが足を引きずりながら、果敢にも、銃口の前に進み出るところを。それはリリスが見ている光景でもあった。
ラナはテーブル越しに目を細めた。
「トサ。やつれたね」
彼女は息子を撃ち殺された悲劇の当事者でありながら、それをした者の心に踏み込もうとしていた。
「あれから……」
加害者の母親でもあったのだ。
「母親ぶるんじゃねえ」
「お前はずっと私の息子でした」ラナはまだ威厳を保っていた。「今も」
「お前らに実の息子ができるまではな」
「聞きなさい、トサ」
銃が吼えた。チルーは震え上がったが、今度は威嚇だった。
「モトのクソチビが生まれてから俺は犬みたいに玄関でメシを食わされた!」
ラナの返事が遅れた。
「……たしかにそんな日もあったわ。でも」
「俺が熱を出したって、あんたは俺を部屋に一人で放っておいた! 俺がベッドシーツに吐いたらあんたは俺を床に叩きつけた! モトのためなら夜通し駆けずり回ってたのに!」
「待って、誤解があるよう――」
「モトが俺を階段から突き飛ばしても」
「おやめなさい」
「ああ、あんたら親子は仲がよかったさ、共通の敵がいたんだからな」
「話を聞――」
「やつれただって? そりゃそうさ!」
テーブルを銃の台尻で打つ音。フォークが磁器の皿を叩く。
「そうするしかなかったからな! あんたは俺が志願してクソみたいな軍隊に入ったと思ってんだろうがよ! 俺が殴られてるときに、飯を取り上げられてるときに、あんたは何してた? 歌って踊ってたんだろうがよ!」
「違うの、それは」
兵士はラナを踊らせた。
立て続けに銃声が響く。誰が撃たれたのか、チルーは確かめたくもなかった。緊張が限度を迎え、今度こそ、人が逃げ始めた。
リリスがチルーの腕を取り、強引に立たせたとき、また、誰かが撃たれた。
全てを自分たちのせいだと思う必要はないはずだ。聖教軍の兵士が自分に向けられた追手だと決まったわけじゃない。
それでもチルーは動悸を抑えることができなかった。この場の空気が自分のことを責めているように感じる。
村人たちはめいめい地面の起伏を上ったり、低い壁に手と膝をかけて乗り、
七人。
「忘れないで」
飛び上がるほど驚いたが、声をかけてきたのはラナだった。
「あなたの敵が最も憎むのは、あなたが自由になることよ」
リリスがチルーと向き直り、手をつないだ。二人の背中をラナの夫が押した。
「隠れていなさい」
二人は礼もそこそこに広場を離れ、低い塀の陰に身を隠した。
兵士たちと学園からの逃走者に何の関わりもないことは、すぐに証明された。
「……この辺りを偵察……」
そう漏れ聞こえた。
兵士たちの服は汚れ、髭は伸び、遠目にも垢にまみれていた。
「多いよ」
リリスが半笑いになって壁に背中を預けた。
「偵察で七人は多い」
しかるべき流れとして、やがて誰かが兵士たちに水を振る舞った。
「おい、これを見ろ」
兵士の一人が流れを変える。
「抵抗教会の印だ」
その低い声は離れていてもしっかり聞き取れた。リリスが動いた。やっと逃げられる、と思った。だがリリスは広場の中央に近い別の壁の陰に移った。
放っておけず、チルーもついていく。
「ほら、これ」
兵士は仲間にガラスのコップの底を見せていた。
抵抗教会の印といえば、星を
「これはどこで?」
一人が尋ね、他の六人が広場にあるものを手に取り始めた。皿。ワイン。テーブルクロス。黙々とサンドイッチを口に押し込み、仲間に肘で脇腹を突かれる兵士もいた。
「それは、あの」
ドレス姿の新婦が勇敢にも前に出た。
「行商も……限られた人しか来なくて。
「残念だが、それは公教会の敵に資金を流しているのと同じことだ」
「失礼ですが、それはあなた方の偵察任務と何の関係が?」
新郎が尋ね、兵は淀みなく答える。
「抵抗教会の武装勢力はいつでも、都市や村を略奪しようと狙っている。連中からあなた方を守るのが我々聖教軍の務めです。あなた方が連中と取引を行っているのなら、我々は部隊に戻り報告しなければならない。
だがあなた方は我々に水と、ささやかな食事を振る舞ってくださった。酌量の余地はある」
広場に満ちる、重苦しく陰鬱な希望という矛盾した空気をチルーも感じることができた。話が厄介にならずに済むことを村人たちは期待している。彼らは目で尋ねている。で、いくら払えばいいんだ?
「違う」
新郎の一声がその期待を裂いた。
「本物の兵士ならそんな交渉はしない」
ああ。
見ていられなくなり、チルーは壁に完全に体を隠して目を伏せた。目を閉ざしてしまうのは、それはそれで怖かった。
「あなたたちは偵察兵じゃない。脱走兵だ」
沈黙が聞こえた。
チルーの隣では、リリスがまだ広場を見続けていた。
だから、リリスは見た。
兵士の一人がテーブルを挟んで長身銃を下ろし、その銃口を新郎に向けるのを。
「そうさ、我が弟よ」
警告はなかった。引き
弟と呼ばれた新郎の胸が薔薇のように赤く染まり、人体の破片が飛び散った。突き飛ばされたようによろめき、新郎は頭を庇うこともせず、後ろ向きに倒れた。
一人ずつ事態を理解していき、群衆が叫び声をあげた。リリスにはそう見えた。だが、チルーは見ていない分だけ正確に聞き分けた。叫んでいるのは、広場にいる八十名余りのうち、片手に余る程度の人数だ。
事実その通りで、大多数の人は次の的になるまいとして逃げも叫びもしなかった。ただ、隣にいる人と身を寄せ合っただけだった。湧き上がった悲鳴が収まり、失うものが何もない老婆がおいおいと泣くのみとなった。
他の六人の兵士たちは、銃を撃った仲間を見つめていた。彼がそんなことをするとは思っていなかったのだろう。
「トサ?」
新婦が、愛する人の死を直視することもできぬまま、ふっくらした唇を動かした。
彼女は兵士に再度問いかけた。
「あなた、トサなの?」
「リム!」
立ち尽くしている新婦へ銃口が動く。
「リムじゃないか! ひっさしぶりだなあ!」
「おやめ!」
主導を奪った声の主は、ラナだった。
「うちの大事な嫁に近づくんじゃないよ」
チルーは想像する。ラナが足を引きずりながら、果敢にも、銃口の前に進み出るところを。それはリリスが見ている光景でもあった。
ラナはテーブル越しに目を細めた。
「トサ。やつれたね」
彼女は息子を撃ち殺された悲劇の当事者でありながら、それをした者の心に踏み込もうとしていた。
「あれから……」
加害者の母親でもあったのだ。
「母親ぶるんじゃねえ」
「お前はずっと私の息子でした」ラナはまだ威厳を保っていた。「今も」
「お前らに実の息子ができるまではな」
「聞きなさい、トサ」
銃が吼えた。チルーは震え上がったが、今度は威嚇だった。
「モトのクソチビが生まれてから俺は犬みたいに玄関でメシを食わされた!」
ラナの返事が遅れた。
「……たしかにそんな日もあったわ。でも」
「俺が熱を出したって、あんたは俺を部屋に一人で放っておいた! 俺がベッドシーツに吐いたらあんたは俺を床に叩きつけた! モトのためなら夜通し駆けずり回ってたのに!」
「待って、誤解があるよう――」
「モトが俺を階段から突き飛ばしても」
「おやめなさい」
「ああ、あんたら親子は仲がよかったさ、共通の敵がいたんだからな」
「話を聞――」
「やつれただって? そりゃそうさ!」
テーブルを銃の台尻で打つ音。フォークが磁器の皿を叩く。
「そうするしかなかったからな! あんたは俺が志願してクソみたいな軍隊に入ったと思ってんだろうがよ! 俺が殴られてるときに、飯を取り上げられてるときに、あんたは何してた? 歌って踊ってたんだろうがよ!」
「違うの、それは」
兵士はラナを踊らせた。
立て続けに銃声が響く。誰が撃たれたのか、チルーは確かめたくもなかった。緊張が限度を迎え、今度こそ、人が逃げ始めた。
リリスがチルーの腕を取り、強引に立たせたとき、また、誰かが撃たれた。