雪と硝煙の眠り
文字数 2,104文字
4.
蜂起は潰 え、死と濁った血と、深い悲しみが残った。薔薇園を守っていた士官候補生たちは、消え残る硝煙の中、疲れ果ててほうぼうに座り込み、ロザリオを繰 りながら通り抜けるアズを誰何 しようともしなかった。アズは枯れた茂みに囲まれた幾何学模様の遊歩道を重い足取りで渡り、大聖堂に帰還した。
大聖堂の大扉が閉まると、視界は暗く閉ざされ、静寂の中に、ロザリオの珠の触れ合う音と、囁くような祈りの声が反響するのみとなった。
「憐みの母フローレン、我、御前 に伏して願い奉 る。この一連をもって天の父なる神に我が祈りを取り次ぎたまえ」
アズが歩くと湿った足音がした。
「主 よ、罪人 の身をもって御前に嘆き奉る。全ての身罷 りし人の罪を赦し、御国に導きたまえ」
細長い窓から朝の光が差すようになれば、血を吸った靴底が聖堂 に向かった痕跡が明らかになるだろう。
「絶えざる光で彼らを包み、永遠の歓喜で満たしたまえ――」
広間と廊下の蝋燭は全て消されていた。アズは自分の声の反響によって柱や壁の位置を探りながら、聖堂に辿り着いた。
聖堂内には灯火が残されていた。
「猊下 」アズはロザリオをポケットに押し込み、身廊を大股で渡りながら誰もいない司教座に呼びかけた。「アザリアス・ラティア、帰還いたしました。猊下?」
「居 るよ」
返事は高いところから聞こえた。振り返り、見上げると、聖歌隊が使う吹き抜けの三階の楽楼 の手すりから、パイプオルガンを背景に、太った人影がアズを見下ろしていた。
「報告は受けているよ」
楽楼に上がると、ガイエン大司教ハライは、パイプオルガンの椅子に腰を下ろして待っていた。
「ご苦労だった」
だが、上の空で、労 いの言葉も機械的に口にしているだけのようであった。アズもまた無感情に、大司教の前に膝を屈めた。
「巡礼が起こりました」
背中を丸める老人は、僅かに顔を上げた。
「『王』です。またしても取り逃しました」アズは深く頭を下げる。「申し訳ございません」
「その話はいい」
身じろぎの気配。
「君に本来頼みたかったことについてだが、このまま話させてもらおうか」
「はい」
「君の母校、聖レライヤ学園には伝説がある」
アズは僅かに顔の角度を上げた。
「伝説でございますか」
「壁の聖女と話すことができたという言い伝えの聖レライヤだが、彼女の賜物が『鳥飼い』であったことは有名な話」
夢のお告げを通じて聖レライヤは自分の鳥と出会った。その地に現在の学園がある。
「その学園の至宝が、学生二人に盗まれた」
「学園の至宝とは」
「聞いたこともなかろうね。あまり知られている事実ではない。生徒たちに対しても厳重に伏せられているのだが……」
老人は痰をきった。胸を軽く叩く間、疲労感が楽楼を支配した。
「至宝とは、どのようなものでございましょうか」
「鳥だ」喉が痛むらしく、かすれた声で応えた。「青い背中にオレンジの腹、黒い嘴の小鳥。聖レライヤの鳥だ」
「それがまだ生きているのですか」
レライヤは四百年前の人物だ。
「鳥飼いが生きている間、その鳥は死なない。伝説の通り、聖レライヤが壁の中心の安らぎの地に辿り着いたのなら、鳥もまた永遠の命を得たのだろう」
「にわかには信じられません」
「大切なのは、その鳥が盗まれた、ということだよ。奪い返すのは君だ」
アズは返答に詰まる。
「正式な援助要請だ。レライヤは城下の対応で手一杯。この不祥事が明るみになったその日の夜に蜂起が起きてしまった」
不祥事発覚からその日の夜まで何をしていたのか。アズにはわかる。どうせすぐに見付かると高をくくっていたか、責任逃れをしながら手を拱 いていたかだろう。
「ですが、猊下、ガイエンにて戦える言葉つかいは私以外におりません」
「だからこそ今宵の活躍だ。君がよくやってくれたから、あの悪魔の手先共もしばらくは立ち直れまいよ」
「再び巡礼が起きました場合……」
鼻先に書類を突きつけられ、アズは黙った。
「これが件 の学生だ。二人いる」
書類を拝受し、燭台 にかざした。跪 いたまま目を通すも、暗くて字は読み取れない。が、顔写真は見て取れた。
「巡礼の相手なら『鳥飼い』でも『石工』でもできる。それに、どのみち『王』が出たなら君でもまた取り逃すだろう」
アズは言い返せなかった。
「だが、早く片付けてくれたまえよ。死者を最もよく斬れるのは、君と君のその剣だ」
我が懐刀よ、と、大司教は付け足した。
「……承知いたしました。学生二人はどのようにいたしましょう」
「君に任せるが、秘匿性の高い案件であることに留意してくれたまえ」
殺せということだ。
アズは大聖堂を辞した。雪が降り始めていた。外の薔薇園には、疲れ果てた士官学生たちがまだ、座り込み、または横たわったまま残っていた。
彼らの体に薄く雪が積もっていた。
とうに死んでいた。
蜂起は
大聖堂の大扉が閉まると、視界は暗く閉ざされ、静寂の中に、ロザリオの珠の触れ合う音と、囁くような祈りの声が反響するのみとなった。
「憐みの母フローレン、我、
アズが歩くと湿った足音がした。
「
細長い窓から朝の光が差すようになれば、血を吸った靴底が
「絶えざる光で彼らを包み、永遠の歓喜で満たしたまえ――」
広間と廊下の蝋燭は全て消されていた。アズは自分の声の反響によって柱や壁の位置を探りながら、聖堂に辿り着いた。
聖堂内には灯火が残されていた。
「
「
返事は高いところから聞こえた。振り返り、見上げると、聖歌隊が使う吹き抜けの三階の
「報告は受けているよ」
楽楼に上がると、ガイエン大司教ハライは、パイプオルガンの椅子に腰を下ろして待っていた。
「ご苦労だった」
だが、上の空で、
「巡礼が起こりました」
背中を丸める老人は、僅かに顔を上げた。
「『王』です。またしても取り逃しました」アズは深く頭を下げる。「申し訳ございません」
「その話はいい」
身じろぎの気配。
「君に本来頼みたかったことについてだが、このまま話させてもらおうか」
「はい」
「君の母校、聖レライヤ学園には伝説がある」
アズは僅かに顔の角度を上げた。
「伝説でございますか」
「壁の聖女と話すことができたという言い伝えの聖レライヤだが、彼女の賜物が『鳥飼い』であったことは有名な話」
夢のお告げを通じて聖レライヤは自分の鳥と出会った。その地に現在の学園がある。
「その学園の至宝が、学生二人に盗まれた」
「学園の至宝とは」
「聞いたこともなかろうね。あまり知られている事実ではない。生徒たちに対しても厳重に伏せられているのだが……」
老人は痰をきった。胸を軽く叩く間、疲労感が楽楼を支配した。
「至宝とは、どのようなものでございましょうか」
「鳥だ」喉が痛むらしく、かすれた声で応えた。「青い背中にオレンジの腹、黒い嘴の小鳥。聖レライヤの鳥だ」
「それがまだ生きているのですか」
レライヤは四百年前の人物だ。
「鳥飼いが生きている間、その鳥は死なない。伝説の通り、聖レライヤが壁の中心の安らぎの地に辿り着いたのなら、鳥もまた永遠の命を得たのだろう」
「にわかには信じられません」
「大切なのは、その鳥が盗まれた、ということだよ。奪い返すのは君だ」
アズは返答に詰まる。
「正式な援助要請だ。レライヤは城下の対応で手一杯。この不祥事が明るみになったその日の夜に蜂起が起きてしまった」
不祥事発覚からその日の夜まで何をしていたのか。アズにはわかる。どうせすぐに見付かると高をくくっていたか、責任逃れをしながら手を
「ですが、猊下、ガイエンにて戦える言葉つかいは私以外におりません」
「だからこそ今宵の活躍だ。君がよくやってくれたから、あの悪魔の手先共もしばらくは立ち直れまいよ」
「再び巡礼が起きました場合……」
鼻先に書類を突きつけられ、アズは黙った。
「これが
書類を拝受し、
「巡礼の相手なら『鳥飼い』でも『石工』でもできる。それに、どのみち『王』が出たなら君でもまた取り逃すだろう」
アズは言い返せなかった。
「だが、早く片付けてくれたまえよ。死者を最もよく斬れるのは、君と君のその剣だ」
我が懐刀よ、と、大司教は付け足した。
「……承知いたしました。学生二人はどのようにいたしましょう」
「君に任せるが、秘匿性の高い案件であることに留意してくれたまえ」
殺せということだ。
アズは大聖堂を辞した。雪が降り始めていた。外の薔薇園には、疲れ果てた士官学生たちがまだ、座り込み、または横たわったまま残っていた。
彼らの体に薄く雪が積もっていた。
とうに死んでいた。