第8話 それぞれの身勝手
文字数 1,662文字
風は追いかけっこを続ける。巻き込まれたミースの髪が、眼前に広がっていた。ミースは鬱陶しそうに払う。ペンギンは海鳥らしい重く低い声で笑い出した。痛々しく空に広がり、大地をなぞっていく。自然音に比べて、どうして彼らの声はよく耳に響くのだろう。心をかき乱すのだろう。この間、ペンギンが僕に顔を向けることはなかった。
「わかってないね」
「何が」
「言ったじゃない。私の願いは、あの子の子孫の為という私の身勝手だって」
ペンギンは翼で水を掬い、広げた。
「ペンギンをペンギンたらしめるものは、私が決める。厳密な意味での復活なんか、望んでいない。姿形でも文化でもない。一番大事なことは、一つだけ……。私にとっての意味で、ペンギンは復活する。私の喧騒は帰ってくる」
「自分に、嘘をつくの?」
「嘘? なんのこと?」
疑問の余地など何もないと言わんばかりの、無垢な態度だった。
「私は、約束を果たすよ」
高原の割れ目を降りる。振り返ればペンギンは遠く、強風に耐えながら、月の光を魔力に変えていた。結論を急いていた。せめて討論になったのなら、救いがあったのに。ペンギンは答えを決めていた。疑うことさえ拒んでいた。
「あの子は変わらないよ」
ひょいひょいと岩場に飛び移りながら、ミースが言う。
「自分が絶滅を防げなかったこと、行動さえ起こせなかったこと、約束を破ったこと、自分の愛した世界が二度と戻らないこと……もう何も出来ないこと。絶対に認めない。がむしゃらに、盲目に復活に突き進む」
「なんで……」
ミースは振り向いた。
「それはとてもつらいことだから」
薄く薄く微笑む。
「復活という、病んだ希望にすがるしかないの」
本当にどうしようもないのだと、絶望がその身を貫く瞬間まで。
頑なに現実から目を逸らし、妖精譚を求めるその様は、人間のようだった。一途にただ一つの感情に従うのは、善き隣人のそれだった。それとも、同情を秘めて、ペンギンらしいと言うべきだろうか。
ミースは明るく言った。
「でも別に、成功するかもしれないよ? あの子の魔法がとても強くて、個体差を超えて、交尾できるかもしれない。第二の始祖立候補者がたくさん現れて、人間を上手にあしらえば、ペンギンで海岸を埋め尽くせるかもしれない。真の意味でなくとも、あの子の意味では、復活は成し遂げられるかもしれない。……身勝手だとしても」
「ゼロとは言わないよ」
「なら君は、何が不満なの?」
ミースは何一つ変わりなく、僕にあっさりとプロポーズを問う。
「明日ペンギンになって、わたしと交尾するの?」
希望も絶望もない目で。
おかして笑いたくなる。ミースは揺るがない。道義的責任も交尾の気恥ずかしさも感じない。彼女は、彼女なだけだ。他の一切に無関心だ。隣人らしく、羨ましく、憧れる。僕が願ったものを体現している。
見習わなくてはならない。
非道で端的な事実を受け入れるときが、ついに来たようだ。
「僕はペンギンにはならないよ」
「そっか」
「交尾もしない」
「ふーん」
ミースは軽くつぶやく。
「なら、これでお別――」
「僕はペンギンより、善き隣人のほうが好きなんだ」
藁の灯、山麓の人型、ミース。本当の気持ちに従い、やりたいことをやりまくる異界の住民たち。あの心地よい笑い声。人間という自然に淘汰されたペンギンを憐れども、あの愛らしさに狂えども、僕にはもっと大事なことがあった。ミースを見つめる。善き隣人の友を見つめる。あの異界の大広間に、ペンギンの君でなく、隣人の君がいないのは嫌だ。
「君をペンギンにはさせない」
「え。なに、いきなり」
ミースが困惑の声を上げる。僕は頂上に残してきたペンギンに振り返る。
隣人が本物に振る舞えないなんて、我慢できない。病んだ希望にすがる姿なんて、見ていられない。彼らは元来、陽気な存在だ。何世紀も絵描きに夢中になるような子なんだ。いまのペンギンのあり方は間違っている。
放っておけない。
たとえ身勝手と恨まれても、壊したい。
しばらく立ち尽くしたままの僕の背中を、ミースはこう評した。
「変なの」
「わかってないね」
「何が」
「言ったじゃない。私の願いは、あの子の子孫の為という私の身勝手だって」
ペンギンは翼で水を掬い、広げた。
「ペンギンをペンギンたらしめるものは、私が決める。厳密な意味での復活なんか、望んでいない。姿形でも文化でもない。一番大事なことは、一つだけ……。私にとっての意味で、ペンギンは復活する。私の喧騒は帰ってくる」
「自分に、嘘をつくの?」
「嘘? なんのこと?」
疑問の余地など何もないと言わんばかりの、無垢な態度だった。
「私は、約束を果たすよ」
高原の割れ目を降りる。振り返ればペンギンは遠く、強風に耐えながら、月の光を魔力に変えていた。結論を急いていた。せめて討論になったのなら、救いがあったのに。ペンギンは答えを決めていた。疑うことさえ拒んでいた。
「あの子は変わらないよ」
ひょいひょいと岩場に飛び移りながら、ミースが言う。
「自分が絶滅を防げなかったこと、行動さえ起こせなかったこと、約束を破ったこと、自分の愛した世界が二度と戻らないこと……もう何も出来ないこと。絶対に認めない。がむしゃらに、盲目に復活に突き進む」
「なんで……」
ミースは振り向いた。
「それはとてもつらいことだから」
薄く薄く微笑む。
「復活という、病んだ希望にすがるしかないの」
本当にどうしようもないのだと、絶望がその身を貫く瞬間まで。
頑なに現実から目を逸らし、妖精譚を求めるその様は、人間のようだった。一途にただ一つの感情に従うのは、善き隣人のそれだった。それとも、同情を秘めて、ペンギンらしいと言うべきだろうか。
ミースは明るく言った。
「でも別に、成功するかもしれないよ? あの子の魔法がとても強くて、個体差を超えて、交尾できるかもしれない。第二の始祖立候補者がたくさん現れて、人間を上手にあしらえば、ペンギンで海岸を埋め尽くせるかもしれない。真の意味でなくとも、あの子の意味では、復活は成し遂げられるかもしれない。……身勝手だとしても」
「ゼロとは言わないよ」
「なら君は、何が不満なの?」
ミースは何一つ変わりなく、僕にあっさりとプロポーズを問う。
「明日ペンギンになって、わたしと交尾するの?」
希望も絶望もない目で。
おかして笑いたくなる。ミースは揺るがない。道義的責任も交尾の気恥ずかしさも感じない。彼女は、彼女なだけだ。他の一切に無関心だ。隣人らしく、羨ましく、憧れる。僕が願ったものを体現している。
見習わなくてはならない。
非道で端的な事実を受け入れるときが、ついに来たようだ。
「僕はペンギンにはならないよ」
「そっか」
「交尾もしない」
「ふーん」
ミースは軽くつぶやく。
「なら、これでお別――」
「僕はペンギンより、善き隣人のほうが好きなんだ」
藁の灯、山麓の人型、ミース。本当の気持ちに従い、やりたいことをやりまくる異界の住民たち。あの心地よい笑い声。人間という自然に淘汰されたペンギンを憐れども、あの愛らしさに狂えども、僕にはもっと大事なことがあった。ミースを見つめる。善き隣人の友を見つめる。あの異界の大広間に、ペンギンの君でなく、隣人の君がいないのは嫌だ。
「君をペンギンにはさせない」
「え。なに、いきなり」
ミースが困惑の声を上げる。僕は頂上に残してきたペンギンに振り返る。
隣人が本物に振る舞えないなんて、我慢できない。病んだ希望にすがる姿なんて、見ていられない。彼らは元来、陽気な存在だ。何世紀も絵描きに夢中になるような子なんだ。いまのペンギンのあり方は間違っている。
放っておけない。
たとえ身勝手と恨まれても、壊したい。
しばらく立ち尽くしたままの僕の背中を、ミースはこう評した。
「変なの」