第1話 猫の言い分

文字数 1,084文字

 この妖精譚は、いつも尻尾を立てて独り歩く猫の横を、その尻尾が折れる最後の瞬間まで、前を向き、胸を張り、同じ速度で、けれどけして彼と交差することなく、独り歩き続けた僕の軌跡だ。

 僕とその猫の関係を、ひとえに炉端仲間、残飯争奪戦の天敵、民話クラブ会員一号二号と説明するには、どこかもの足りなくて、最適な言葉を求めて困る。ある晩、冬の強風が死を嘆く哀悼歌のように唸り、学生寮は哀しみを押しつけられて泣いていた。あまりの悲嘆に自室にいられなくて、僕は食堂の暖炉の前に避難していた。

 エーレ国の民話を聴衆に語り聴かせる。籠の中の魂を解放した漁師、話を知らなかった男の話、王様猫による裁判。唯一の聴衆たる猫は、エメラルドグリーンの目を皿のように開き、僕をじっと見つめた。魂を射抜くような狩人の視線だった。

 その猫は独り歩く猫だった。誰の足元でも食事をとらなかった。黒猫で、胸元だけが白く、三日月型の模様を描いていた。大きさは椅子のクッションと同じくらいで、比較的痩せ型だ。残飯目当てにふらりと食堂に現れ、暖炉の前で丸くなり、絶対に撫でさせてくれない。愛想よく鳴くこともないし、笑顔を見せることもない。

「そうそう。今日不思議なことがあったの」

 寮母がしみじみと語り出した。

 買いものを終えた帰り、寮母は人通りの少ない裏道を歩いていた。黒猫が道に飛び出し、明確な意思で立ち塞がる。唐突に名を呼ばれた。紛れもなくゲール語だった。寮母は驚きのあまり声が出ず、立ち竦んでいると、黒猫が言った。

「独り歩きとその従者アラン・フリールによろしく。独り歩きには、グリマルキンが死んだと伝えてほしい」

 それだけ言って、黒猫は物陰に消えたという。

 暖炉の泥炭が爆ぜる。夜風が抜かせろと窓に貼り付く……不気味な顔だ。僕はさりげなく猫の反応を探っていた。彼は首を伸ばし、寮母を凝視した。猫毛は緊張でとがり、耳はピンとしていた。丸めた体をゆっくりと起こし、敏捷に、テーブルに跳び乗る。

 若く、疲れた声だった。

「そうか。グリマルキンは、死んだのか」

 彼は喉を鳴らし、風と共に哀悼歌を歌い出した。余分な感傷に穢されていない、純粋な嘆きの歌だった。

「死ぬ前に解放したかった。あの朝日を仰いでほしかった。だが、もう、遅すぎた。だからといって、諦める理由にはならない。呪われた同志を見捨てるわけにはいかない。縊り殺されたとしても」

 歌い終えて、歩き出す。

「お嬢様、さらばです。残飯にしては豪勢でしたよ、ずっと」

 前足で戸口を開き、悲劇うず巻く冬の嵐の中へ、彼は去っていった。

 寮母が呟く。

「あ、あたしが、お嬢様……」
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