スバールバル諸島 コイド島(4)

文字数 3,082文字

コイド島連絡船埠頭

 バスが連絡船乗り場へ到着する頃、コイド島からの船がスピッツベルゲン島へやって来るのが見えた。ライチョウはレミンを起こして降りる準備をした。
「もう着いたんですか?」
 レミンがライチョウを見て言った。
「今二時半だ、出航まで一時間ある。昼飯食べてないし何か腹に入れてから乗るか?」
 ライチョウが言うとレミンは窓の外をキョロキョロと見渡した。
「ホットドッグ売ってますよ」
 レミンは嬉しそうに路面にあるホットドッグ屋を指差した。


「小型の砕氷船か。旧式だな」
「言ってくれるな兄ちゃん、これでも二十年前『ナイト オブ マシン』に選ばれたんだぞ。世界一小型の砕氷船であり南極まで行ったビザイ号だ」
 ライチョウとレミンは船尾に立って出航を待っていた。船員のコイドカゼの機嫌を損ねさせるつもりはなかったが、年季の入った船体はお世辞にもクールだとは言えなかった。
「こんな小さな船が南極まで!じゃあ他の三隻も?」
 連絡船は四隻で運航している。レミンはガイドブックに掲載されているコイド島連絡船の紹介ページを読んでいたため、そのことを知っていた。
「いや、他の三隻はビザイ号の後造られたモデルで南極までは行ってない。あんたらたまたまビザイに乗れてラッキーなんだよ。こいつはもうすぐ改良・・・」
 汽笛がコイドカゼの声をかき消した。乗客はライチョウとレミン、船員は二人、合計四人を乗せた砕氷船ビザイ号は東のコイド島へ向かって動き出した。


「首長のズリという方にお会いすることは可能でしょうか?」
 スピッツベルゲン島を離れて二十分が経過した。ライチョウは船尾から立ち去ろうとする船員に質問した。
「首長に?まあ村役場へ行けば会えると思うが。あんたら何の目的でコイド島に行くんだ?」
 船員のコイドカゼはライチョウ達を(いぶかし)むように視線を細めて言った。
「僕達はグリーンランドから来たイヌイットです。コイド島の港建設の件で首長にお話を伺いたくて」
 先程バスの運転手にも同じ質問をされたことを思い出した。観光シーズン前にこの辺りを訪れるのはそれほど珍しいのだろうか?
「そうかい。あ、さっき言いかけたが、ビザイ号は今年夏までの運航だ。秋には改良のために本土へ送る。これから港建設へ向けて島へやって来る人も増えるだろう。連絡船も順番に良くしていかないとな」
「建設はすでに進んでいるんですか?」
「いいや、構想段階だと思うぜ。上の連中の間では色々と決まってんだろうが、俺達一般の島民が知ってることなんざ実際目に見えてることだけ。本当に港ができんのかって疑うくらい、今はまだ何もない海岸だ」
 風が強くなった。船が進行方向から逸れる。ライチョウのフードは脱げ、デッキの手すりで体を支えなければ吹き飛ばされそうだった。
「そのまま掴まっとれよ!じきに止む」
 ライチョウはレミンの方を見た。飛ばされないように床に座って手すりにしがみついている。波打つ海、船が氷を砕く音が一層激しくなった。
「小型船なのにすごい馬力だ」
 海水がデッキの上を濡らす。時折水が豪快にせり上がってくる。風が止む様子はない。
「こんな風毎回吹くんですか?」
 レミンが叫んだ。
「何回かに一回は吹く!大抵すぐ止むが今回は長い!」


 ライチョウのズボンとブーツは海水で濡れてしまった。まるで泳いだ後のように体がぐったりしている。風はおさまり、船は本来の航路へと戻っていった。
「大丈夫か?」
 操舵室にいたもう一人の船員がデッキへ出て来て言った。
「こっちは大丈夫だ!今のはやばかったな!よく持ちこたえたもんだ。さすがビザイ号!」
「ああ!操舵室に戻るからそっちは頼んだぞ、乗客の安全が第一だ」
 ライチョウはレミンのそばへ行って隣にしゃがみ込んだ。レミンの防水仕様の服も随分濡れていた。
「一瞬 “海氷荒らし” かと思った」
「えっ!?」
「いや、“海氷荒らし” はもっとピンポイントで起こるはずだ。今のは違うよ」
「乗って早々驚かせたな、大丈夫か?」
 船員がライチョウ達に近づいて言った。
「ビザイはまだまだ北極の海で通用するんじゃないですか?小型船で凄まじい強風に耐えながら砕氷力も落ちないなんて」
「そうだろう!ビザイは新型砕氷船にも劣らない。だけど船体の痛みが激しいんだ。今の風でダメージが増したかもしれん」
 ライチョウはシロカモメのキーホルダーをダウンコートの内ポケットから取り出した。まだ機械として生きている。ラジオゾンデが壊れていなかったらこのキーホルダーを目指して動く。立ち上がってデッキから海を見降ろした。シロカモメを見つけたラジオゾンデは船にくっついて航海していたのだろうか。
「モウコ博士ならビザイ号をどんな風に改良するんでしょうね?造船はもうやってないって言ってましたけど、依頼がくれば改造でも何でもできそうですよね」
 レミンがライチョウに言った。
「そうだな。モウコがビザイ号を改良したら、もう一度『ナイト オブ マシン』に選ばれるかもな」


 十七時三十分、連絡船は予定通りコイド島へ到着した。埠頭では三人の男達が船を迎え入れ、ライチョウ達の姿を見ると皆人懐っこい笑顔で近寄ってきた。
「ようこそ!コイド島へ!」
「足元に気をつけて。エキサイティングな船旅だったな」
「ビザイじゃなかったら転覆してたかもしれん。何年かに一遍しか経験しないような強風だったさ」
 仲間達の迎えを受けて船員が言った。
 港には漁船五隻と連絡船が一隻停泊している。短い草が生える土地の先には青い山々がそびえ立つ。ライチョウは遠くの景色に目を凝らした。赤い壁の家か小屋が見えるが、そちらに集落らしき雰囲気はない。
「背の高い兄さん達だな。あんたらどこの国の人だい?」
 迎えてくれた三人の内、一番年長のコイドカゼがライチョウ達を見上げて言った。
「グリーンランドから来たんだってよ!イヌイットの兄ちゃん達だ!」
 ビザイ号に乗っていた船員がロープを束ねながら代わりに叫んだ。
「グリーンランドからか。珍しいな」
「村はどちらに?」
 ライチョウが聞いた。
「集落は南側だよ」
「あそこに建つ赤い壁の家は誰か住んでいるんですか?」
 ライチョウは北側に見える一軒家を指差して言った。
「首長の家さ。村には住まずにあんなとこに一人で住んでんだ」
「その兄ちゃん達首長に会いに来たんだよ。ズリのやついつも帰り遅いしまだ役場にいるよな?」
 再び船員が離れた所から大声で言った。
「多分な。役場は村に行けばすぐさ。ここから歩いて十五分かからねえ」
「ありがとうございます」
 港から離れると人の姿はなく、血の気のない冷えた大地が広がっているだけだった。
「ズリというコイド島を統治している人物に会う。一年前サイガとも接触してるようだ」
 日没が近い。早足で歩きながらライチョウはレミンに言った。
「えっ!そんな情報いつ知ったんですか?」
「バスの中で運転手から。お前が眠ってた間だよ」
 ちらちらと雪が降り出した。風は弱く穏やかな空気に包まれている。年長のコイドカゼが言っていた通り、十分程歩くと集落へ辿り着いた。
「暗くて村の様子がよくわかんねえな。セツド村といい勝負だ」
「今夜はオーロラ見れそうにないですね」
 レミンは空を見上げて言った。曇った夜空に三日月が。
「期待してたのか?」
「村長の元気が戻る気がして」
 暗闇でレミンの顔をよく見ることはできない。通り過ぎた民家から人が出てくるのを背後に感じながら、ライチョウは言った。
「サイガのことは、わかってもわからなくてもこの旅で終わりにするよ」
 レミンはライチョウの言葉を信じなかった。
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