スウェーデン クラカケ村(3)

文字数 6,263文字

「スノーモビルの話なんかするんじゃなかった・・・」
 ライチョウは砕雪モビルを取りに一人ホテルへと戻った。小声で呟きながら砕雪モビルにまたがり、ドライブボタンを押す。ほぼ風力エネルギーで走る砕雪モビルはエンジンをかける機会が少ない。走りながら受ける風が電気に換えられそれを動力にできる上、余った電気は次回に持ち越せる。エンジンによる初期動作が必要な時というのは初めて乗る時か、前回の走行で低速が続いて十分な風力を受けられなかった時である。


 レミンとキウイはアザラシの鉄像が立つ村の広場でライチョウを待った。
「アザラシは何か意味があるんですか?」
 鉄像の愛嬌ある表情にレミンは癒しを感じながらも、最近アザラシを食べていないなと思った。アザラシ肉はイヌイットにとって重要な栄養源だ。古来から食され、レミンは今でも狩猟に行く。
「 “クラカケアザラシ” からとってるんです。北欧の海では馴染みがないかもしれません。アラスカやロシア極東の海に棲息しているようで、私や他の村民達も実物を見たことがなくて。かなり希少な種類でもあるそうです」
「聞いたことも見たこともないな。村と所縁(ゆかり)があるんでしょうか?」
 キウイはスマートホンで検索したクラカケアザラシの画像をレミンに見せた。
「ほら、こんな感じの!」
 鉄像と同じようにかわいらしい顔をした、黒と白二色の毛皮のアザラシが水中を泳いでいる。顔や背中、足など全体的に黒い部分が多いが、首や胴体にまるで白いリボンを巻いたようなコントラストの効いたルックスをしている。
「黒と白は極夜と白夜を。アザラシなのは極北地域に生きる私達と同じ哺乳類だから、と昔親から聞きました」
「そう言えば僕らが泊まっているホテルの部屋のナンバープレートがアザラシ型でした。村のシンボルなんですね」
 微かに唸る砕雪モビルの走行音が聞こえた。遠くの雪景色にサファイアブルーとネオンイエローの鮮やかなボディが現れる。
「お待たせ」
「やっぱ村長のマシン離れたとこからでもすごい存在感ですね!僕の乗ってるのはブラックに赤いラインが入ってるんですよ」
 キウイは砕雪モビルに近付いて食い入るような目で見ながら車体の周りを一周した。
「これが砕雪モビル。割りと大きいんですね。スキーの形が真っ直ぐだなんて珍しい。それに何てかわいい色!デザイン性も素晴らしい!」
「かわいい?」
 レミンは思わず笑ってしまった。主張の強い色としか思ったことがない。
「市場に出るものはもう少し大人し目なデザインですけど」
 キウイの関心が本気かお世辞かはさておき、ライチョウは明らかに嬉しそうだった。
「マシンの名前は何て言うんですか?」
「名前!?」
 考えたことはなかった。自分の乗り物に名前を付けるのはこの国ではスタンダードなのだろうか?
「名前なんて考えたことなかった」
 レミンが言った。
「付けると愛着がより強くなりますよ。ご自分で開発されたならなおのこと」
 まさか人工アイスウェッジ一基一基に名前を付けてるのか?と疑問が浮かんだライチョウだったが、そこの話を掘り下げるのはやめておいた。
「名前ね・・・砕雪モビル『カラーリットR』、カラーリットはグリーンランドに住む僕らイヌイットのこと、Rはライチョウの頭文字」
「ほぼ自分のことじゃないですか」
「即興で考えたにしてはいいネーミングだ」
「残念だわ・・・」
 キウイは寂し気な眼差しで砕雪モビルのフロントに手を置いた。
「え!?」
 ダサいネーミングだと思われた?ライチョウの表情が引きつった。
「砕雪モビルとレースをしたかったなと思って。コースが使えたら」
「ああ、そういうこと・・・でも僕は速さを競うレースには出たことがないし・・・キウイさんには勝てませんよきっと」
 ライチョウの頭の中ではマックスに犬ぞりとの勝負を吹っ掛けられた記憶がまざまざと蘇った。
「僕達はウィンタースポーツっていうより日常の交通手段として使うことの方が圧倒的に多いですからね」
「そうそう、砕雪モビルは競技を想定して製作してはいないんです。第一に環境に優しい乗り物であること、そして普通のスノーモビルでは行けない谷間や凸凹道でも一定のスピードを保つパワーを備えていること、これらが砕雪モビルで重視した要素です」
 キウイは深く頷いた。
「なるほど。さっきライチョウさん、今年のレースはできるといいですねって、言ってくださいましたよね。私も本当そう思っています。焦ってもいけないんですけど、そのためには人工アイスウェッジの実験を成功させなければ」
 キウイの目には強い冒険心が宿っていた。成功すると言い切れはしない、しかし壁にぶち当たったとしても、それを乗り越える自信が彼女にはあるのだ。必ずやり遂げてみせると決意した研究者の覚悟がどれだけ強いか、ライチョウは知っている。
「次の冷気蓄積期間が始まる前に、今年の融解がどうだったか教えてください。僕も冷却装置が仕事する必要がないのが一番だとは思いますが」
「ええ。今年の冬の始まりに結果をご報告します。レースが再開できるかどうかも」


 ライチョウとレミンはキルナの町を目指し、砕雪モビルを運転していた。
「ところで何でキウイは村長になったんだろう?」
 まだ昼間の明るい時間帯だった。昨日のように焦る必要もなく、二人には気持ちに余裕があった。
「それは聞かなかったですね。一年前ぐらいに会社を辞めてからのようでしたけど。村長と境遇が似てますよね、歳も近い感じだし」
「彼女は志があって会社を辞めたんだ。俺はお前に言われて。これは大きな違いだよ」
 キルナ郊外の林道。東側に広がる樹林の西の果てにあたる車道に、 “キルナ方面 南へ7km” と書かれた看板が見えた。
「この辺りはタイガですよ。レースコースは針葉樹林の中まで延びていたんでしょうか?」
「かもな。森の中をスノーモビルで走れたら気持ちいいだろう。しかし針葉樹林帯の中も凍土エリアだ」
「果てしないですね。永久凍土もそうだけど、キウイさんの実験も」
「さすがに森の中に人工アイスウェッジを埋めようとは思ってないだろう。多分、より広範囲に土壌を冷やす方法を考えてると思う。人工アイスウェッジはエリアが限定的過ぎる」
「村長、言うことがシビアですね。同じ研究者としてですか?」
「次の可能性に期待してるし彼女ならやってくれると思ってるからだよ。何よりもまず、俺達が温暖化を進行させない生活をしなくちゃいけないんだ」
「確かに・・・技術に頼る以前に、ですね」
 車道を走行中一台の乗用車とすれ違った。ドライバーは変わった形のスノーモビルに関心を抱いたのか、すれ違った後も後方を気にするかのようにスピードを上げることなくのろのろと走っていた。ライチョウは砕雪モビルが一体どの程度需要が見込めるか考えた。そういうことは開発前から十分視野に入れた上で、当然売れることを前提として完成に至らせたわけだが、果たして実情はどうか。一般向けの販売が始まるのは来月、時々考え過ぎて自信がなくなる。


「『ナイト オブ マシン』に選ばれたら爆発的に売れるんだろうか?」
 キルナの町に着くや否やライチョウが言った。
「え?何ですか急に?」
 レミンはゴーグルを取って風で乱れた髪をかき上げた。
「砕雪モビルの店頭販売が来月から始まるんだよ。企業とか大学は先行してすでに販売してるけど、個人のお客さんにはこれからでさ。あんまり問い合わせもないみたいだから期待しないようにしてるんだ」
「村長らしくないですよ、自信持ってください!僕だったらこのビジュアル見ただけで欲しくなりますよ!スキーが真っ直ぐストレートになってるスノーモビルなんて見たことない!力強くてかっこいい!来年の『ナイト オブ マシン』の可能性だってあるんでしょ?」
 一生懸命励まそうとするレミン。しかし彼が砕雪モビルを購入する予定は今の所ない。今乗っているのはハンメルフェスト極地研究所からの借りものだった。
「ありがとよ。売れなかったらグリーンランドの新しいアクティビティとして流行らせるよ・・・」
 キルナで宿をとった二人は町のメインストリートにあるレストランへと入った。時刻は六時過ぎ、数組の先客が談笑しながら食事を楽しんでいる。男性三人のグループはキルナに本社を置く鉄鉱事業を営む会社の社員と思われた。三人共背中に社名がデザインされた同じ作業着を身に付けている。
「ホテルで聞いたところこの店が地元で人気なんだって」
「スウェーデン郷土料理って表の看板に書いてましたね」
 二人は窓側のテーブル席に着いた。


「ザリガニは夏にならないと出ないのか、食べてみたかったな。あ、トナカイのステーキ、頼んでいいですか?」
「何でもいいよ。あんまり高いのじゃなければ」
 旅の宿泊代や食費は環境管理局が出してくれた予算内でライチョウがやり繰りしていた。始めに告げられた旅費は驚くほど少なく、ライチョウは一度管理局と予算交渉をした。それによって少しは余裕を持って旅が出来るようにはなった。フィンランドを最終目的地とすれば。
「じゃ他はフライドポテトとニシンの酢漬けと・・・全粒粉のパン・・・これぐらいかな」
 レミンが注文している間、ライチョウは窓の外遠くに見える教会を眺めていた。
「疲れはどうだレミン?」
 テーブルの上に頬杖をついて外の景色を眺めたままライチョウが聞いた。
「クラカケ村のホテルで熟睡できましたから。筋肉痛はまだ残ってますけど大丈夫です」
 レミンの顔色は良く、本当に一晩寝たら回復したようだった。
「村長疲れてるんじゃないですか?さっきから元気が・・・」
「疲れてはないけど考え事があって」
「どうしたんです?」
 ライチョウは少し考えた後、レミンの方に向き直って話し始めた。
「数日前ネアから・・・極地研の同僚だけど、フィンランドから俺宛てに連絡が入ったって知らせがあったの覚えてるか?」
「ええ、ノルウェーのキルケネスで。メルゲセイルフィヨルドへ向かう前でしたよね」
「そう。その日の夜に折り返しかけてみたんだ。フィンランドのオウガンという気候活動家に。彼とは全く面識がなかった。しかしオウガンと俺には共通の知り合いがいてな。レミンにはあまり深く話したことはなかったけど、サイガという名のドランメン海洋科学大学の准教授で、気候活動家でもあった男だ」
 レミンは何か言おうとして口を開けかけた。が、瞬きだけしてライチョウの話に再び耳を傾けた。
「オウガンのじいさんはサイガを通じて俺のことを知っていた。電話をかけてきた理由は友人のサイガに関することだった」
 店内が賑やかになってきた。夕食時、新たに入って来る客と、食事を終えて帰ろうとする客で入り口付近はごった返している。従業員達は機敏に動き回りながら笑顔で爽やかな挨拶を交わす。ビジネスマン三人組はいつの間にかいなくなっていた。
「俺の極地研での最後の仕事が気候調査団だった。一時グリーンランドに帰って来た時があっただろ?気候調査団のリーダーがサイガだったんだ。で、俺達は短い間ペアで活動してた。活動っつっても俺はサイガの横でサバの話とか海面水温を計る話とか、ただ聞いてただけだけど」
「村長の家の軒先に機械吊るしに帰って来た時ですね。僕が村長になってほしいってお願いした時だ」
「ああ。俺がグリーンランドに戻ってる間、サイガは海面水温調査から異常な割れ方をした海氷を発見した」
 注文した食事がワゴンに乗って運ばれてきた。ステーキソースや焼き立てパンの香りがレミンの表情を和らげていく。新人のウェイターは最後の一皿の置き場に迷ったが、ライチョウが受け取って皿を寄せながら狭いテーブルの上に並べた。
「先に食べよう」
 二人は静かに食事を始めた。レミンは食事しながらも話の続きが気になった。
「すみません、こちらを忘れていました! “柚子胡椒” です。トナカイのステーキに合いますよ」
 新人ウエイターが戻って来て小瓶に入った謎のスパイスを置いていった。
「ゆずこしょう?」
 レミンは瓶のラベルをよくよく見た。
「日本のだろ?」
 とライチョウ。
「知ってるんですか?」
「日本食のレストランに行った時に。ステーキに付けたらうまいと思うよ」
 レミンは瓶を開けて匂いを嗅いだ。ペッパーの刺激と柑橘の爽やかな香り。トナカイのステーキに付けて食べてみた。
「・・・あっ、辛っ!でもうまい!」
 食後のコーヒーにライチョウは珍しく砂糖を入れた。普段ブラックを好むライチョウは入れてから少し後悔した。
「お前につられて甘くし過ぎたよ」
 レミンは眉間にしわを寄せるライチョウを見てケラケラと笑った。ライチョウはそれを無視して、オウガンとのやりとりの続きを再び話し出した。
「割れた海氷の話だったな」
 レミンは笑うのをやめて話の続きに集中しようと姿勢を正した。
「サイガは “芸術的な割れ方” と表現していた。何故海でこのような現象が起こったのか、あいつは解明するつもりだった。けど、調査を始める前に、サイガは死んだ」
 レミンは驚かなかった。ライチョウの話しぶりから、サイガという人はもうこの世にいないように聞こえていた。
「サイガの死の要因もはっきりわかっちゃいない。船での事故か或いは自殺かと言われている。オウガンはサイガの死の真相と、彼の残した異様な海氷割れの謎を解明したいと、俺に連絡をしてきた」
 ライチョウはコーヒーを一口飲んだ。
「で、ここでレミンに相談がある」
「えっ、相談?」
「次に俺達が向かうのはフィンランドだろう?目的地のビオマサキュラに行く前に、オウガンの住むクオピオという街に行きたいんだ」
「もちろんいいですよ。行き先は村長が決めてください。寄り道ならすでにノルウェーでフロム村に行ったじゃないですか」
 レミンは笑顔で答えた。
「そっか・・・それとだな、もう一つ相談が・・・・・環境管理局からは四つの村に行くよう指示されてるんだけど、もう一ヵ所行きたい場所があって・・・」
 ライチョウは言いにくそうな様子で頭をかきむしった。
「どこですか?僕もお供しますよ」
「・・・・・スバールバル諸島」
 小さな声でライチョウが言った。
「スバールバル諸島!すごい!なかなか行けないとこじゃないですか」
 レミンは興奮気味に椅子から尻を浮かせて喜んだ。レミンのこういうしぐさが、年の割に彼を幼く見せている。
「でもどうしてスバールバル諸島なんですか?」
「サイガの死の真相と、海氷割れの謎を解くために行かなきゃならない場所なんだ。サイガはひょっとしたら自分が死ぬことをわかっていて、海氷割れの謎解きを同じ気候活動家だったオウガンに託したのかもしれない。けどオウガンは高齢で、なかなか自分の足を使って調べることは難しい。だから俺に連絡してきたんだよ」
「つまりオウガンさんに代わって村長が調査をするということですね。そのヒントがスバールバル諸島に・・・」
「確信はない・・・サイガが辿った足跡を追えば何かわかるかもしれないってだけで」
 ライチョウはコーヒーをすすった。全部飲み切れそうにない甘さだ。
「わかりました。僕も最後まで村長について行きますよ!村長も一人で考えるより話し相手がいた方がいいでしょう?」
「ああ・・・ありがとう・・・ただ問題がある」
「そんなの二人で解決しましょうよ、何の問題です?」
 ライチョウは一呼吸おいてはっきりと言った。
「金がない。スバールバル諸島行きは自腹だ。それでも来てくれるか?」
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