第9話 故郷での再起

文字数 2,907文字

 延岑(えんしん)が逃走先に東方を選んだのは、その方向に故郷の南陽(なんよう)郡があったからだ。
 敗走ゆえに錦を飾るというわけにはいかないが、それでも今回のような完全な「都落ち」は、さすがの延岑も落胆を隠せなかった。
 そんなとき傷心を癒やすため帰りたくなるのが故郷なのだろう。だが延岑にとってそれだけが目的ではない。
「故郷であればまた再起ができるはずだ。一からやり直すには地縁のあるところが一番だ」
 落胆し傷心していても、延岑はやはり不屈の精神を持っていた。


 南陽に戻った延岑は、ここでもあらたな勢力を築き、数県を手に入れることに成功した。やはり延岑の組織構築力は抜群と言っていい。
 だが延岑の限界は、組織を作ることができても、それを維持するための知識や経験、人材に(とぼ)しいことだった。


 そして今、南陽は一つの勢力の支配圏に入っている。
 劉秀(りゅうしゅう)である。
 南陽に兵を起こした頃の延岑は、その暴掠(ぼうりゃく)更始帝(こうしてい)に見とがめられ、劉嘉(りゅうか)により討伐(とうばつ)されたのだが、劉秀もまた彼を見逃(みのが)すはずがなかった。
 六月、劉秀は若き勇将である耿弇(こうえん)に延岑討伐を命じ、それを知った延岑は南陽の(じょう)県で耿弇を迎え撃つも敗退。またしても敗走を余儀なくされてしまった。


 ここに至って延岑は、単独で戦うことに限界を感じ始めていた。
 だが誰かの下につくことは、延岑の矜持(きょうじ)と自意識が許さない。
 李宝(りほう)をはじめ、三輔(さんぽ)でも何度か他勢力と共闘することはあったが、そのときも主将は常に延岑自身であった。
「この近辺で相応の勢力を持ち、なおかつ、わしより下の群雄はおるか」
 と、延岑は周辺を見回してみるが、ちょうど都合のいい相手が見つかった。
 秦豊(しんほう)という男である。
 秦豊は荊州(けいしゅう)(なん)郡(南陽郡の南に隣接する郡)にある黎丘(れいきゅう)を根拠地とする群雄だった。
 もともとは県吏(けんり)(県の役人)だったが時勢に乗って挙兵。この段階で南陽郡南部と南郡北部の県、合わせて十二を有し、黎王を自称している。
 これは王を名乗るには過少だが、それでも相当の勢力である。
 とはいえ数県を領しているに過ぎない身で、秦豊を自分と同等以下と見なしている延岑は、やはり楽天的で強い自尊心を持っているのであろう。


 その秦豊が今現在、南陽の(とう)県において、劉秀麾下の将軍・岑彭(しんほう)対峙(たいじ)しているというのである。
 すでに皇帝として名乗りを上げている以上、劉秀も天下統一をめざすのは当然である。秦豊も劉秀にとって討伐の対象になるのは必然だった。


 (とう)県は南陽郡の南端にあり、南郡北部にある黎丘に近い。それゆえ鄧を防衛線として岑彭を迎撃しているのだ。
 そして延岑が叩き出された(じょう)は、鄧とさほど離れていない場所にあった。
「よし、秦豊と盟を結ぶか」
 確実に自身より下位とはいえないかもしれないが、王を名乗る以上、「武安王」である自分と同格と考えてもいい。
 であるならとりあえず同盟を組み、その中で主導権を握ってゆけばよい。
 秦豊は今現在、劉秀に攻められ、かなりの苦境に陥っている。味方はいくらでも欲しいはずで、自分との盟約に乗ってくる可能性は充分にある。
 自身の状況は棚に上げて、延岑はそう算段した。


 延岑は劉秀につくことは考えていなかった。
 現時点で劉秀と延岑では、勢力の規模に差がありすぎ、仮に同盟するとしても対等以下のものになってしまうのは確実である。
 また劉秀の麾下には、不倶戴天の敵・劉嘉がいるのだ。
 とてものこと劉秀陣営には接触できなかった。


 延岑はそのように考え、鄧にいる秦豊へ使者を送った。
 耿弇(こうえん)に破れ、敗走したとはいえ、延岑にはまだ相応の兵力がある。いきなりそのような一団を率いて鄧へおもむけば、岑彭だけでなく秦豊も刺激してしまうだろう。下手をすれば岑・秦の両軍に叩きつぶされる恐れすらあった。
 延岑も乱世に揉まれ、その程度の判断はできるようになっている。


 鄧に布陣し、延岑とにらみ合いながら、秦豊は延岑の使者に会った。
「ほう、あの延岑がか」
 延岑の名とその申し出を聞いた秦豊は、小さな驚きと、かすかな喜びを見せた。
 奇妙なことにというべきか、後世から見れば負けが多い印象のある延岑だが、同時代の人間にはその将才を高く評価されていた。
 李宝とともに赤眉軍十余万を潰滅させたことがその一因かもしれない。あるいは彼の戦い方自体が他者に(こころよ)さを与えるものだったのだろうか。
 どちらにしても秦豊にとって、これは朗報だった。
「わかった、同盟を結ぼう。すぐにこちらへ来て岑彭の背後を撃ってくれ」
 秦豊としては、長く対陣し続けている岑彭の後背を延岑が攻撃してくれれば、それに呼応して挟撃が可能になる。そうなればいかに岑彭であっても潰滅か、よくて敗走はまぬがれないであろう。


 が、使者はその要請に即応しなかった。
「かしこまりました。ですが武安王は耿弇(こうえん)との一戦を終えたばかりゆえ、兵を(いこ)わせるに今しばらくお時間をいただきたく存じます」
 使者のこの言に嘘はないが、すべてを明かしてもいなかった。
 秦豊は岑彭との戦いに注力していて、具体的に延岑が今、どのような状況にあるかは知らない。延岑は自らの敗北は秘し、可能な限り敗残兵をかき集め、また近隣の(むら)から兵を徴集して、あらたな軍勢を作り上げてから秦豊と合流しようと考えていたのだ。
 それゆえさほど疑うこともなく、秦豊は使者の言にうなずいた。
「わかった。では準備が整ったらまた連絡をくれ。岑彭襲撃の日時を決しよう」
「かしこまりました。それでは失礼いたします」
 このように、二人の同盟は双方にとってひとまず満足できる形で収まったのだが、この猶予(ゆうよ)の時間が彼らの思惑を狂わせることとなってしまう。
 同年七月、岑彭が妙技といえる用兵を駆使し、秦豊を撃破してしまったのである。
 それゆえ秦豊は南下し、本拠地である黎丘に逃げ込まざるを得なくなり、彼を追撃した岑彭は、その黎丘をそのまま包囲してしまったのだ。


「なんと」
 その報を聞いた延岑は目を剝き、しばし言葉を失ってしまった。
 この時、延岑はかき集められるだけの敗残兵と徴集兵を手に入れ、ひとかどの軍団を作り出すことに成功してはいたが、それでも岑彭をはじめ、劉秀や他の群雄の軍勢には遠く及ばない。延岑にはやはり同盟が必要なのだが、秦豊以外が相手では兵の少なさから足元を見られてしまう。
 それゆえ延岑は黎丘に立てこもる秦豊となんとか連絡を取らなければならなかったのだが、これは比較的容易に()すことができた。岑彭にも城全体を(みつ)に包囲できるほど兵の余裕はなかったのだ。
 とはいえ城外から食糧を運び込もうとする動きは徹底的につぶし、兵糧攻めの態勢は完備している。また城内から兵が出てきても、城外から援軍がやってきても、即応できる態勢も作り上げている。
 これらを決して豊かではない兵力で完遂するのは困難だが、岑彭の力量なら可能であった。
 そのことを城内の秦豊も、城外の延岑も、岑彭の布陣を遠望するだけで理解した。
「簡単には動けぬ」
 延岑も秦豊も、互いの状況から同盟を破棄するつもりはなかったが、手詰まりの観は否めなかった。
 しかし時間が豊富なわけではない。兵糧攻めは時間が()てば経つほど効果が発揮されるのだ。
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