第18話 死中求生
文字数 4,288文字
この後、延岑の名はまたしばらく史書にあらわれない。
だが他の成家軍は漢軍に敗北を重ね、公孫述配下の将軍たちは次々と降 るか殺されるかを繰り返している。
そして延岑が沈水で臧宮に敗れて約一年が過ぎた建武十二年(西暦36)九月、成家帝国の首都・成都は、呉漢率いる漢軍に攻め込まれようとしていた。
このとき成家の他の地域はほぼすべて漢軍に攻略されており、公孫述のもとに残る名のある将も延岑だけになっていた。
「……」
諸将ことごとく敗滅し、援軍のあてもなく、漢軍接近の報を受ける公孫述の表情は白く、発する言葉もなかった。
劉秀からの降伏勧告も幾度も届けられ、そのすべてを拒絶してきた公孫述が何を考えているか、延岑にはうかがい知ることはできない。
が、事 ここに至り、降伏か滅亡か、そのどちらかしか選択肢がないことは、公孫述ならずとも理解していることだろう。
「……いかがすればよいと思う、岑 」
それでもなお、公孫述は延岑に尋ねた。
実際はたいした返答を期待していなかっただろう。
延岑は謀臣 ではなく、また仮に彼が稀代 の名軍師だったとしても、この状況を打開できる策を提示できるとは思えない。
が、延岑は主君のその問いに、強く明確な意志をもって答えた。
「男児当 に死中に生を求むべし。座して窮 するを待つべきではなく、財物を惜しむべきでもありませぬ」
延岑の答えに公孫述はハッと彼の方へ向き直る。延岑のその言葉はなぜか公孫述の心に強く響き、彼の萎縮 した心を揺らしたのだ。
そして振り向いた公孫述は、延岑の表情と眼光を見て、その理由を理解した。
それは延岑の人生そのものの言葉だったのだ。
彼は数えきれないほどの敗北から常に立ち直ってきた。
それはつまり数えきれないほどの死中を経験し、そこから生還してきたということである。
軟 な精神では最初の一回、そうでなくとも数回であきらめ、すり潰されていたに違いない。
ほとんどの人間は真理にはたどり着けず、それは延岑も変わらない。
だがその人が人生でつちかってきた理 には、一定の価値と尊 さがある。
その力が公孫述の心裡 を打ち、彼にも新しい力を与えたのだ。
公孫述は、このとき初めて延岑の真価を知ったのかもしれない。
「そうか。そうだな。よし、今ある財を解き放ち、敢死 の士を集めよ。呉漢を討ち果たすぞ」
公孫述はそれまでの鬱屈した表情を捨て朗 らかに笑うと、延岑に命じた。
敢死の士とは決死の兵のことである。
成都に在 る壮年の男子を宮殿の財を使って集め、決死隊を編成せよと公孫述は命じたのだ。
延岑の言に鬱気 を払った公孫述は、本来の明晰 さも取り戻しており、「財物を惜しむな」という彼の最後の将の意図も即座に理解したのである。
それを知った延岑は、自身も力強い笑みを浮かべると、勢いよく叩頭 した。
「御意!」
それは延岑自身の鬱気を払う笑みと行為であった。
敢死の士は五千余人を集めた。
彼らにしても、金帛 を得たいというだけでなく、故郷滅亡の危機との自覚がある。純然たる戦意に欲望が混ざっているだけに、精強さも統率も充分期待できた。
「敢死 隊の指揮は朕 が執 ろう」
公孫述のその言に延岑は驚いた。
「陛下、そのような。危険であります。ここは臣が迎え撃ちますれば」
「将軍の兵が破れれば、どうせ朕もそれまでだ。であるなら朕にもひと働きさせよ。朕だけ引きこもっていては恰好がつかぬ」
それは延岑が初めて見る公孫述の姿だった。
延岑の知る公孫述は常に皇帝らしい皇帝の風 だったが、今は違う。皇帝の心を持ちつつ、将の風があり、長者の風もある。
「これが本来の陛下だったのか……」
それを察した延岑は、このとき初めて公孫述に心服している自分を知った。
滅亡が迫る窮状 で、二人はようやく互いの真価を知り、真の君臣になったといえた。
遅きに失 したかもしれない。だがそうならないよりずっとよい。
延岑はそう思い、彼の主君へ深く頭 を垂 れた。
「御意にございます。陛下の御心 のままに」
市橋は成都にある七つの橋の一つと『後漢書』の注にある。
どのような橋でどのような価値があるかまではわからないが、おそらく漢軍(呉漢)はこの橋から攻める準備をしていたのだろう。
延岑はこの市橋に陣取った。
どこに布陣したかの記載はないが、対岸に敵がいる以上、橋のこちら側であったろう。橋上で迎え撃ったとも考えられるが、その場合、正面から相対 する兵力はほぼ同数となり、消耗戦に陥 る恐れがある。
すでに中華の九割九分を手中にした劉秀を相手に、成都以外すべてを失った成家が取るには下策であり、またそれでは公孫述の秘計が活きない。
延岑のこの布陣も、その秘計の一環であった。
「旗を掲 げよ」
布陣を終えた延岑は、部下に旗を建てるよう命じる。
が、その旗は「延」ではなく「公孫」の文字を示していた。
それを見て色めきだったのは、対岸の呉漢たちである。
「ついに公孫述本人が出撃してきたか」
公孫述は皇帝で、前線に出て来ることは稀 だった。
皇帝が親征をおこなうことで将兵の士気を上げることもあるが、場所が戦場である以上、相当の確率で戦死の危険が存在するのも確かである。
それが敵兵と直 に干戈 を交える最前線であればなおのこと。
もし皇帝が戦死してしまえば、たとえ後継者(皇太子)が定められていたとしても、国家は少なからぬ混乱に陥るのは必定である。まして後継者が未定であったり、決定していても幼少であったりすれば、その混乱は滅亡に直結する恐れすらある。
だが諸将ことごとくを失った今、成家は皇帝自身が兵を率いて出陣しなければならないほど追いつめられたのだ。
呉漢はそう判断した。
「よし、公孫述を討ち取れ。可能なら生け捕りにせよ。それで陛下の天下は定まる」
現状を客観的に見ても呉漢の判断は間違っていない。
だが千載一遇 のこの好機、新末後漢初のこの乱世をおのれの手で終わらせられるという至上の好機を前にして、さしもの名将も逸 ったところがあったかもしれない。
呉漢は公孫述の思惑をほとんど考慮せず兵を放ってしまっていた。
「来るぞ。予定通りわずかに引け」
「公孫」の旗を建てていくらもしないうちに漢軍が、喚声とともに橋上を突進してくる様が見えると、延岑は緊張を抑えつつ、低い声で新たな命令を発した。
公孫述の軍を装 っている延岑軍は、わずかに兵を引く。
これで橋と延岑軍の間にわずかな空間ができた。さほど広くはないが狭くもなく、一定数の兵が展開するには充分な面積である。
そしてその空間に、呉漢軍が突入してきた。
「迎撃せよ!」
延岑兵も喚声を上げ、呉漢兵を受け止める。
双方が力戦し、押し合う形になる。
だが橋から後続の呉漢兵が次々に到達すると、延岑軍は押し負けたようにじりじりと後退しはじめた。
「公孫述を探せ! 絶対に逃がすな!」
重々しくもよく通る声で命じる呉漢もすでに橋を渡り切り、密集する兵の中に馬を乗り入れて直接指揮をおこなっている。
彼の近くには「呉」の旗があり、将がこの場にいることを戦場にいるすべての兵に知らしめていた。
それは公孫述も同じだろうと呉漢は考える。「公孫」の旗の近くに公孫述はいるはずで、その姿を発見することが、最終勝利の絶対条件なのだ。
指揮官の意が行き渡る呉漢兵は、敵軍をぐいぐいと押してゆく。
が、次の瞬間、呉漢と彼の将兵は、湧き上がる昂揚感に冷水を浴びせかけられた。
突如斜 め後ろから、強い衝撃を受けたのだ。
その衝撃は強靭 な意志を持っており、明確な意思も示していた。
「呉漢を討て! あそこにおるぞ!」
命令内容はもとより、もしその声に聞き覚えがあったなら、呉漢は仰天したことだろう。
それは公孫述の声だったのだ。彼は敢死隊とともに伏兵として橋の近辺に潜伏。呉漢が橋を渡り終え、なおかつ深く進入したところで、斜め後ろから奇襲をかけたのである。
そして彼と彼の兵は、すでに呉漢の姿を見つけていた。
斜め後方からの喚声に一瞬何が起こったかわからなかった呉漢だったが、それが敵の伏兵による奇襲だと知ると、蒼白になりながらすぐさま敵将の意図を看破した。
「罠か!」
正面にいる兵だけでなく、後方の兵団も「公孫」の旗を掲げていることからもその理解は確信を深めた。
「正面にいる敵は囮か。であるなら本物の公孫述は伏兵の方におるか!」
あるいはどちらも偽物かもしれない。だが今の公孫述陣営にこのような詐術 的な用兵をこなせる将が多数いるとは思えない。それほど公孫述は将を失っているのだ。
この期に及んで呉漢の知らぬ新たな将が出現した可能性もあるが、これほど重要な指揮をいきなり任せられるほどの将軍なら、もっと以前から漢軍迎撃に出撃させているはずである。
なにより今の成家軍は士気の低下がはなはだしく、それを一気に回復させるには、皇帝がみずから最前線で奮戦してみせるしかないであろう。
今の公孫述がそこまでせねばならぬほど追いつめられているのは、呉漢にはわかりすぎるほどわかっていた。
だがそれがわかったからといって、この状況では何の意味もなかった。
いまこの戦場で追いつめられているのは呉漢の方なのだ。
公孫述率いる敢死隊に後方から脇腹をえぐられてのたうちまわる漢軍は、そのまま心臓――呉漢――へ迫る成家軍から逃 れようと、さらにのたうちまわる。
そこへ正面から偽公孫述軍――延岑軍が押し返してきた。
この反攻も当初の策戦通りであり、機 も圧力も尋常なものではなかった。
「おああああっ!」
呉漢軍は押しまくられ、市橋へ押し返されてゆくが、橋の幅はさほどではなく、多数の兵が川へ追い落とされてゆく。
その中には呉漢も含まれており、彼は馬の尻尾にしがみついて命からがら逃げ出すことしかできなかった。
大勝だった。
成家軍がこれほどの大勝を得たのは本当に久しぶりである。
ましてや皇帝が直接陣頭指揮を執 っての勝利なのだ。
将兵は轟くような歓呼とともに、公孫述を讃 えた。
「皇帝陛下万歳! 万歳! 万々歳!!」
公孫述も皇帝らしい表情と鷹揚 さで兵たちの歓呼に応 えると、近くへやってきた延岑にも笑みを向けた。
「呉漢を仕留められなかったのは惜しかった。だがよくやってくれた」
「恐れ入ります。すべて陛下の御力 によるものでございます」
「いや、おぬしがいてくれたからこそだ。次こそは必ず呉漢めを討ち取ってやろうぞ。その次は劉秀だ」
おおらかさと力強さのこもった手で公孫述は延岑の肩を叩き、その手から注ぎ込まれてくるものに延岑もまた同様の笑みを浮かべた。
だが他の成家軍は漢軍に敗北を重ね、公孫述配下の将軍たちは次々と
そして延岑が沈水で臧宮に敗れて約一年が過ぎた建武十二年(西暦36)九月、成家帝国の首都・成都は、呉漢率いる漢軍に攻め込まれようとしていた。
このとき成家の他の地域はほぼすべて漢軍に攻略されており、公孫述のもとに残る名のある将も延岑だけになっていた。
「……」
諸将ことごとく敗滅し、援軍のあてもなく、漢軍接近の報を受ける公孫述の表情は白く、発する言葉もなかった。
劉秀からの降伏勧告も幾度も届けられ、そのすべてを拒絶してきた公孫述が何を考えているか、延岑にはうかがい知ることはできない。
が、
「……いかがすればよいと思う、
それでもなお、公孫述は延岑に尋ねた。
実際はたいした返答を期待していなかっただろう。
延岑は
が、延岑は主君のその問いに、強く明確な意志をもって答えた。
「男児
延岑の答えに公孫述はハッと彼の方へ向き直る。延岑のその言葉はなぜか公孫述の心に強く響き、彼の
そして振り向いた公孫述は、延岑の表情と眼光を見て、その理由を理解した。
それは延岑の人生そのものの言葉だったのだ。
彼は数えきれないほどの敗北から常に立ち直ってきた。
それはつまり数えきれないほどの死中を経験し、そこから生還してきたということである。
ほとんどの人間は真理にはたどり着けず、それは延岑も変わらない。
だがその人が人生でつちかってきた
その力が公孫述の
公孫述は、このとき初めて延岑の真価を知ったのかもしれない。
「そうか。そうだな。よし、今ある財を解き放ち、
公孫述はそれまでの鬱屈した表情を捨て
敢死の士とは決死の兵のことである。
成都に
延岑の言に
それを知った延岑は、自身も力強い笑みを浮かべると、勢いよく
「御意!」
それは延岑自身の鬱気を払う笑みと行為であった。
敢死の士は五千余人を集めた。
彼らにしても、
「
公孫述のその言に延岑は驚いた。
「陛下、そのような。危険であります。ここは臣が迎え撃ちますれば」
「将軍の兵が破れれば、どうせ朕もそれまでだ。であるなら朕にもひと働きさせよ。朕だけ引きこもっていては恰好がつかぬ」
それは延岑が初めて見る公孫述の姿だった。
延岑の知る公孫述は常に皇帝らしい皇帝の
「これが本来の陛下だったのか……」
それを察した延岑は、このとき初めて公孫述に心服している自分を知った。
滅亡が迫る
遅きに
延岑はそう思い、彼の主君へ深く
「御意にございます。陛下の
市橋は成都にある七つの橋の一つと『後漢書』の注にある。
どのような橋でどのような価値があるかまではわからないが、おそらく漢軍(呉漢)はこの橋から攻める準備をしていたのだろう。
延岑はこの市橋に陣取った。
どこに布陣したかの記載はないが、対岸に敵がいる以上、橋のこちら側であったろう。橋上で迎え撃ったとも考えられるが、その場合、正面から
すでに中華の九割九分を手中にした劉秀を相手に、成都以外すべてを失った成家が取るには下策であり、またそれでは公孫述の秘計が活きない。
延岑のこの布陣も、その秘計の一環であった。
「旗を
布陣を終えた延岑は、部下に旗を建てるよう命じる。
が、その旗は「延」ではなく「公孫」の文字を示していた。
それを見て色めきだったのは、対岸の呉漢たちである。
「ついに公孫述本人が出撃してきたか」
公孫述は皇帝で、前線に出て来ることは
皇帝が親征をおこなうことで将兵の士気を上げることもあるが、場所が戦場である以上、相当の確率で戦死の危険が存在するのも確かである。
それが敵兵と
もし皇帝が戦死してしまえば、たとえ後継者(皇太子)が定められていたとしても、国家は少なからぬ混乱に陥るのは必定である。まして後継者が未定であったり、決定していても幼少であったりすれば、その混乱は滅亡に直結する恐れすらある。
だが諸将ことごとくを失った今、成家は皇帝自身が兵を率いて出陣しなければならないほど追いつめられたのだ。
呉漢はそう判断した。
「よし、公孫述を討ち取れ。可能なら生け捕りにせよ。それで陛下の天下は定まる」
現状を客観的に見ても呉漢の判断は間違っていない。
だが
呉漢は公孫述の思惑をほとんど考慮せず兵を放ってしまっていた。
「来るぞ。予定通りわずかに引け」
「公孫」の旗を建てていくらもしないうちに漢軍が、喚声とともに橋上を突進してくる様が見えると、延岑は緊張を抑えつつ、低い声で新たな命令を発した。
公孫述の軍を
これで橋と延岑軍の間にわずかな空間ができた。さほど広くはないが狭くもなく、一定数の兵が展開するには充分な面積である。
そしてその空間に、呉漢軍が突入してきた。
「迎撃せよ!」
延岑兵も喚声を上げ、呉漢兵を受け止める。
双方が力戦し、押し合う形になる。
だが橋から後続の呉漢兵が次々に到達すると、延岑軍は押し負けたようにじりじりと後退しはじめた。
「公孫述を探せ! 絶対に逃がすな!」
重々しくもよく通る声で命じる呉漢もすでに橋を渡り切り、密集する兵の中に馬を乗り入れて直接指揮をおこなっている。
彼の近くには「呉」の旗があり、将がこの場にいることを戦場にいるすべての兵に知らしめていた。
それは公孫述も同じだろうと呉漢は考える。「公孫」の旗の近くに公孫述はいるはずで、その姿を発見することが、最終勝利の絶対条件なのだ。
指揮官の意が行き渡る呉漢兵は、敵軍をぐいぐいと押してゆく。
が、次の瞬間、呉漢と彼の将兵は、湧き上がる昂揚感に冷水を浴びせかけられた。
突如
その衝撃は
「呉漢を討て! あそこにおるぞ!」
命令内容はもとより、もしその声に聞き覚えがあったなら、呉漢は仰天したことだろう。
それは公孫述の声だったのだ。彼は敢死隊とともに伏兵として橋の近辺に潜伏。呉漢が橋を渡り終え、なおかつ深く進入したところで、斜め後ろから奇襲をかけたのである。
そして彼と彼の兵は、すでに呉漢の姿を見つけていた。
斜め後方からの喚声に一瞬何が起こったかわからなかった呉漢だったが、それが敵の伏兵による奇襲だと知ると、蒼白になりながらすぐさま敵将の意図を看破した。
「罠か!」
正面にいる兵だけでなく、後方の兵団も「公孫」の旗を掲げていることからもその理解は確信を深めた。
「正面にいる敵は囮か。であるなら本物の公孫述は伏兵の方におるか!」
あるいはどちらも偽物かもしれない。だが今の公孫述陣営にこのような
この期に及んで呉漢の知らぬ新たな将が出現した可能性もあるが、これほど重要な指揮をいきなり任せられるほどの将軍なら、もっと以前から漢軍迎撃に出撃させているはずである。
なにより今の成家軍は士気の低下がはなはだしく、それを一気に回復させるには、皇帝がみずから最前線で奮戦してみせるしかないであろう。
今の公孫述がそこまでせねばならぬほど追いつめられているのは、呉漢にはわかりすぎるほどわかっていた。
だがそれがわかったからといって、この状況では何の意味もなかった。
いまこの戦場で追いつめられているのは呉漢の方なのだ。
公孫述率いる敢死隊に後方から脇腹をえぐられてのたうちまわる漢軍は、そのまま心臓――呉漢――へ迫る成家軍から
そこへ正面から偽公孫述軍――延岑軍が押し返してきた。
この反攻も当初の策戦通りであり、
「おああああっ!」
呉漢軍は押しまくられ、市橋へ押し返されてゆくが、橋の幅はさほどではなく、多数の兵が川へ追い落とされてゆく。
その中には呉漢も含まれており、彼は馬の尻尾にしがみついて命からがら逃げ出すことしかできなかった。
大勝だった。
成家軍がこれほどの大勝を得たのは本当に久しぶりである。
ましてや皇帝が直接陣頭指揮を
将兵は轟くような歓呼とともに、公孫述を
「皇帝陛下万歳! 万歳! 万々歳!!」
公孫述も皇帝らしい表情と
「呉漢を仕留められなかったのは惜しかった。だがよくやってくれた」
「恐れ入ります。すべて陛下の
「いや、おぬしがいてくれたからこそだ。次こそは必ず呉漢めを討ち取ってやろうぞ。その次は劉秀だ」
おおらかさと力強さのこもった手で公孫述は延岑の肩を叩き、その手から注ぎ込まれてくるものに延岑もまた同様の笑みを浮かべた。