禁書「はじまりの灯火」【1】

文字数 3,825文字

 灰色の雲が垂れ込める空の下、果てしなく広がる枯れ果てた荒野が、寂寥とした風景を描いている。

 そんな大地の中に、突如現れる不釣合いな城壁がある。堅牢なそれは、モンスターや他国の侵略を防ぐために大人が10人を積み上げても届かないほどの高さがある。

 この巨大な城壁は、この世界でもっとも広い大国の城下町を囲っているものだ。

 城壁内の中心地には、城壁の5倍ほどの高さで鎮座する立派な城がある。この城の外装には、この世界でなかなかお目にかかれない高価な装飾品が散りばめられており、この国の権力を見せつけているかのようだ。

 私は、その中にある、無骨な円形の剣術場で、いつものように怒号と鉄拳を容赦なく浴びせられている。日も昇ろうとしているこんな早朝にも関わらずだ。

 私の茶色がかった赤色の髪には、土が絡みこみ、センターパートに整えた髪型は、見るも無惨な状態だ。使い古した稽古着は、すでに汗で重くなり、洗っても落ちないであろう血の汚れもある。

 私に、大砲のような強力な拳を振るってくる男は、さながらモンスターのオーガである。身長は、大人2人分にも届くほどあり、分厚い肉体は、刃をも通さない筋肉の鎧でできている。

 このモンスターは、あろうことかこの国の王であり、第3王子である私の父にあたる。

 彼は戦争と暴力については誰よりも才能に溢れ、たった一代でこの国を横暴な支配によって、この世界で最大の国にまで発展させた。

 その所為もあり、この国では純粋な「暴力」といった、他者を威圧するためのチカラがヒエラルキーの上位に立ち、尊重されている。

 私が朝から武術の鍛錬に駆り出されているのも、それが原因だ。政治や商売、製造に関わっている優れた人材は、暴力が優位に立つこの国において低く扱われてしまっている。

 彼を批判する者たちからは”暴虐王”と密かに蔑まれており、私もその反発する者の1人だ。

 ただ私は、暴虐王を目にすると体が強張り、蛇に睨まれた蛙のようにほとんど動けなくなってしまう。

 原因は、暴力による過度な”教育”のせいだと分かっている。だが頭で理解していても、体に刻まれた恐怖は、しっかりと私にまとわりついており、いまだに克服できずにいる。

 幼い頃から、身体能力に秀でた兄弟たちに混ざり、同じ過酷な訓練を受ける日々。

 成長の遅さを理由に暴虐王の目の前で、終わりなき素振りや腕立て伏せ、腹筋の拷問が続いた。

 手のひらの豆が潰れて血まみれになろうとも、休むことは許されない。一歩でも立ち止まれば、重い拳に胃の中身をひっくり返される。暴君は激しく咳き込む私の首を掴み、喉元を太い指で押し込む。苦しい。

「こんな弱者が俺の子とは嘆かわしいぞ!!」

 稽古場の壁に投げつけられ、身体に激痛が走る。欠けた木片と共に地面へ崩れ落ちる私に、暴虐王は鬼面の形相で拳を振り上げる。

 暴虐王に殴打される度に意識を失い、ヒーラーの手で何度も意識を呼び起こされた。

 時は朝か夜かの区別もつかぬまま、精神が崩壊した瞬間、ようやくその苦痛から解放される。

 今はその残酷な仕打ちがなくなり、平穏が訪れたというのに、私の心は依然としてその恐怖に怯え、過去の影に追われ続けている。

 こんな私は美しくない。情けなさからか、恐怖からか、自然と奥歯を噛みしめる。

「お前は貧弱すぎる、また鍛錬を怠っていたな?!!」 

 普段の私なら、商業ギルドで培った交渉術により、嘘など造作もないことである。

 だが悔しいことに、暴虐王に対してだけは、自身のすべてを見透かされている錯覚に陥ってしまう。

 身体からは冷や汗が噴出し、呼吸は浅くなる。

 正直に答えたことすら、暴虐王によって嘘にされてしまうと危惧し、一種のパニック状態に陥ってしまう。私が体を凍りつけたまま、口だけをパクパクさせていると暴虐王は煮えを切らし、吼えかかってきた。

「情けないやつだ!!」

 そう暴虐王は言い放ちながら、体勢を崩した私めがけて手加減のないラッシュを飛ばしてくる。私は身を守るために、その場にしゃがみこみ、亀のように丸くなる。

 嵐の雨に打たれる小動物のように、猛攻が収まるのを惨めになりながらも耐え続ける。

「他の兄弟たちは、ここまで軟弱ではないぞ!!」

 縮こまった私に対しても、暴力の手を緩めることはなく、終いにはケンタウロスのような鋭い蹴りを叩き込まれ、私は地面を3度、4度と転がり、天を仰いだ。

 朝日が城内を照らし始めており、鍛錬の終わりも近いことに気がつく。

 暴虐王の前では、こんな醜態をさらしている私だが、商業ギルドでいくつもの会社を運営している。”商業”では、それなりに名を馳せているつもりだ。

 私は、暴虐王からこの国を解放するために、すでにそれなりの権力を備えているのである。

 戦争や暴力など、下等な手段に頼らずとも、国を統べ維持できることを私が証明してやるのだ。

「王族の恥さらしが!!せめて立てるくらいにはならないか!!」

 私を現実に引き戻すように、そう暴虐王は吐き捨てると、何事もなかったかのように側近を連れ、王室へと戻っていった。

 対する私も暴虐王がいなくなったことを確認すると、身体の膠着が嘘みたいになくなる。

 痛む身体は無視して、砂埃を大雑把に払いながら立ち上がる。

 そして、自身の側近へ「服が汚れた。次の商談に間に合うように着替えを用意してくれないか」と声を掛ける。

 こうしていつもの状態へと、朝の鍛錬は白昼夢かと疑うくらい自然に戻っていくのだ。

 私がここに連れて来るほどの側近であれば、この光景は見慣れたもので「すでにご用意済みでございます」と更衣室まで先導してくれる。私を気遣い、別室に控えさせていたであろうヒーラーを、手際よく私にあてがってもくれた。

 私は時間を有効活用するために、更衣室に向かう足を止めずに、治癒の魔術をかけてもらう。

 治療してくれている従者のヒーラーは、私の記憶にないので新人で間違いない。

 暴虐王の悪癖の所為で、また入れ替えがあったのだ。

 ただ、これは私の会社で開発している商品を試してもらうチャンスだと、懐に忍ばせてあった試作品のハンドクリームを取り出した。

 更衣室に着くや否や、タイミング良く治療を終えてくれたヒーラーに、ハンドクリームの蓋をあけ中身が見えるように差し出す。

「手際の良い治療をありがとう。君は新入りだが優秀だ。これからよろしく頼む。

 そしてこれは、手の美容を保つためのものだ。治療のお礼に特別に使ってもらいたい。手の甲を出してくれないか?」

 ヒーラーは、初めて見るはずの得体の知れない薬品にも関わらず、「ありがとうございます」と言い頭を下げてから、素直に手を差し出してくれる。

 彼女のように優秀な人材は、できる限り暴虐王から遠ざけなければならない。私は、彼女に新しい勤め先を用意しようと頭に書き留めた。

「君の果敢な挑戦心を讃えよう。このクリームは、手荒れを防止して、さらに美肌を保つことができる。満遍なく手に広げるように塗って使うんだ。私の着替えが終わったら使用感を聞かせてほしい。質問は?」

 ヒーラーの「ありません」という声を聞き、うなずき返し更衣室に入る。

 更衣室で待機させていたメイドたちに、急ぎで着替えと化粧を施してもらい、商談の準備に取り掛かった。

 私が身に纏うのは、深海のように澄んだ青色を基調とした長いコートだ。それは、金色の糸で緻密に縁取られ、輝く夜空の星々のように煌びやかである。

 内側に着込んだ装飾的なベストは、微妙な動きに合わせて繊細な光を放ち、黒のズボンと相まって、私の動作一つ一つをより洗練されたものに昇華させる作用を持っている。

 そして、その足元を飾るのは、歩みを支える堅牢なブーツだ。この衣装は、剣を持たずとも一目で畏敬を集めるに足るものであると自負している。

 順調に準備は進み、ヒーラーからもハンドクリームの使用感について有益な情報を得られた。

 しかし、そろそろ出発しようかというタイミングで、暴虐王から最悪の呼び出しがかかる。

 内容は「珍しい芸をする旅人を城へ招いたから食事を共にしよう」というもので、十中八九旅人は強引に連れ去られたのだと、これまでの経験から断言できる。

 暴虐王が満足できない芸をする旅人なら、その場で処刑もありえるだろう。

 逆に、暴虐王に気に入られた者には、この国で拘束され自由のない生活が待っている。

 どう転んでも最悪な展開の食事は、暴虐王とその側近しか喜べないものだ。

 だが断ろうものなら、王位継承の地位を失いかねない。暴虐王からこの国を解放するためには、それは避けなければならない。

 私は常にこうならないよう隣国の旅人に向け、城下町で芸をしないように忠告を広めてあったはずなのだが。

 余ほどの痴れ者か、可能性は低いが暗殺者だろうかと推測する。

 後者は、私の願望が強いと考えを改めた。しかし、痴れ者であっても、暴虐王のお眼鏡にかなうだけの、芸に秀でたものであるはずだ。

 なぜなら、よっぽど見当違いの芸人を連れてきたとあれば、連れてきた衛兵にも罰が下るからである。

 こんなところで失うのが惜しいほどの人材であれば、せめて無事に帰れるようにだけでも手を打たねばなるまい。

 即決断した私は本日の予定を急遽キャンセルし、代わりの者をあてがった。

 食事までに、芸人を逃がすだけの算段を整えるために、閃光の如く用意に取りかかった。
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