ボウキョウ

作者 南葦ミト

[現代ドラマ・社会派]

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3件のファンレター

 中村充希は都内でSEとして働く25歳。とある出来事をきっかけに、福島県いわき市を訪れる。そこで待ち受けていたのは……

 我が家を捨てざるをえなかった両親、結婚を機に日本を離れた同級生、人に言えない家庭環境を持つ彼氏、喧嘩中の祖母と伯父夫妻……様々な人間関係が絡み合い、それぞれが抱える過去と、未来への思いが交錯する。

 家族とは、故郷とは何か?
 充希達親子の出す答えとは……?

※毎週土曜日更新予定

ファンレター

311 風化させたくないあの日のあの記憶

・メッセージ性の強い作品だと思いました。

 本当の作者は、あの事故に対してどのくらいの距離にいらっしゃるのかな、ということを思いながら読んでいました。
 まさにあの地域に暮らしていらっしゃったのだとすれば、これを文字にする勇気はいかばかりであったろうか、と思わずにはいられません。
(いずれにせよ県内の方なのだろうと感じています。……間違っていたらごめんなさい)

 これを読みながら、ぼく自身もあの311を色々と思い出し、追体験していました。
 ぼく自身はあの日を、東京駅にほど近いオフィスビルの15階で迎え、そして一夜をビルの中で過ごしたのですが、逐次流れるニュースに祈り、絶望し、己の無力さや矮小さに呆然となったものでした。
 原発の、建屋が吹き飛んだ瞬間はテレビに齧りついていたのですぐに知りました。
 隣で一緒にそれを見ていた女性社員が、いつもは気丈でとても頼りになる女性が、人前を憚らずに泣き崩れていたのでさえ今でも鮮明に思い出せます。


・家族の絆の強さを感じます。

 311を挟むことで大きく変化した関係、311でも変わらない関係、311によって新たに得た関係。そのいずれもが無駄な経験ではなかったということを何よりもこれを読んだ読者に思わせてくれる作品でした。
 不幸な体験は確かになかったことにしたいものです。
 人は生きながらなんども「もしもあの時」と考えてしまいます。
 けれども、そんな「過去」があるから「今」がある。そして、それはいずれ来るであろう「未来」へと繋がっていく。
 その連綿と繋がりゆく時間のその先に確かな「希望」を見いだせる、しっかりとした作品構成に感心します。
 父親の記憶喪失というショッキングな出来事がこうもすっきりハマるというのもなかなかないであろうと思いました。
 何度か感激のあまり、ぼくの涙腺は緩んで大変でした。


・コロナの時代でさえ変わらない人間の愚かさが思われます。

 福島からの避難者に対する差別、いじめ、偏見。
 それらをぼくはニュースで知ることになり、「それは明日の自分自身の姿なのかもしれない」ということさえ想像のできない人間の愚かさ、浅はかさにあの当時もがっかりしたものでした。
 しかし、コロナが始まってからの感染者に対する人々の目はどうでしょうか。
 ぼくたち人間の愚かさは永遠に進歩することがないのかもしれないと、今や諦めの気持ちです。


・登場するキャラクターがみんな魅力的です。

 ぼく自身のイチオシは恋人の彼なのですが、父親、母親、祖母、そして親戚。
 みんな真剣に生きているその姿に魅力を感じないことがありましょうか。
 それぞれに、それぞれの役割をもって、この物語が伝えたいそのメッセージ性をより強固に補強していっていると感じます。


・100年後にこの物語を読んだ時に

 ここからは気になることになります。
(これを書くと、「じゃあ皐月原、君はどうなんだ。そんな偉そうなことを言って、君は書けるのか?」というツッコミがブーメランのように返ってきてしまうのでいつも心苦しいのですが、書き手としてではなく読者としての素直な目線ということでご理解ください)

 太平洋戦争を取り扱った、そして戦争に対するメッセージ性の強い物語たちがどうしてあれほど生々しく凄惨な描写を選んでいるかといえば、それは50年後、100年後、あるいはもっとずっと先の未来でも読まれ続けていることを前提にしているからだ、と、ぼくは考えています。
 この物語は、基本的に非常に冷静なトーンで話が進行していきます。
 主人公が自分の気持ちや状況を分析している優秀な人間であることが、この物語にある種の落ち着きを与えていると思うのです。もちろん、それでこの作品は完成しているとは思います。ぼくもこれを読みながら、都内で過ごしたあの日、そしてその後を何度も思い出していました。
 ……でも、100年後、311を知らない人類しかいなくなった世界であの日のことを想像してもらうには? と考えた時には、もっと赤裸々に荒々しく、剥き出しでもいいのではと思う箇所がいくつかありました。
 実家に戻ったシーン、実家を売ると聞いて反対したシーン、地震発生時のシーン。
 東電関係者が受けたバッシングの話はノノの逸話で仄めかされていますが、たぶん、100年後の人たちにはその時何が起きたかをもう少し書かないと意味が通じないかもしれません。
 書くのは気持ち的にお辛いかもしれませんが、ぜひにも書いてほしいと思います。


・エピローグで一気に夢から醒めてしまった……

 これを書きたかったのだろうな、と思われる個所もありましたので、きっと、こういうふうに書きたかったのだろうな、とは思うのですが、ぼくはこれ、書かないでほしかったな、というのが本音です。物語の余韻に浸ることが許されず、一気に覚まされてしまった気がします。
 意外性を喜ぶ人もきっといるとは思うのですが、ぼくは、この作品にこういう意外性は要らないかな……と。



 長々と書いてしまいましたが、大変興味深く拝読しました。
 意義のある作品だと思います。
 もっともっと多くの方に、どうか届きますように。

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