十一.

文字数 2,612文字

 ――んみゃおぉぉぅ――
 満足そうな鳴き声を上げ、黒い化け猫のグルマルキンが、十字槍を回す尻尾を止めた。空気を切る低い唸りも止んで、黒猫は音もなく床に着地する。二本の槍を、尻尾の両手に握ったままに。
 突進の衝撃にじり下がったおれから四歩の間を空けて、グルマルキンは床の上にちょんと座り込む。ビロードの毛並みに怪しい篝火を照り返し、尻尾に握った二本の槍を、体の左右につんとおっ立てている。

『アナタ、人間(ホムス)のお子さまにしては、なかなかよろしくてよ』

 おれの頭に、威張った文字がまた並ぶ。どうやら、おれの頭に浮かぶこの言葉は、すかした仕草で顔を洗う化け猫の“声”らしい。ホントにどこまで気色悪い化け猫なんだろ。でもどうやって、おれのとっておきのことを……?
 ぶるっと首を振って、おれは素早く棍の鉄環を戻す。
 その間も疑いの眼差しを注ぎ続けるおれに、一瞬顔を洗う手を休めたグルマルキンが、チラ見をよこす。

『あなたの太刀筋と奥の手の記憶は、さっき“ぼん”から盗ったのよ』
「はあ? 『ぼん』? 『盗った』あ?」

 おれは思わず、頭の中にねじ込まれる意味不明な言葉を繰り返した。すると黒猫グルマルキンは、金色の眼を満月のように見開いて、おれを凝視する。その煌めき、ものすごい目力だ。

『このあたくしこそ、この世に君臨する泥棒の女王なの。そして“ぼん”は、ひとの盗賊たちを支配する君主にして、あたくしの可愛い忠実なしもべ。その“ぼん”から、あたくしは盗ってきたの。あなたの戦い方と、返し技の事を』

 何言ってんだ? コイツは。ワケ分かんね……。おれは思いっ切りのジト目で化け猫を見てやった。
 確かにグルマルキンの台詞は、ワケが分からない。
 でも、逆に分かったこともある。この化け猫が言っている『ぼん』というのは、おれが“外界の杜”の入口で戦った覆面男のことに違いない。おれのとっておき“刃殺し《エッジ・ブレイク》”を食らわせたのは、あの男だけなんだから。この化け猫は、きっと魔力だか妖力だかを使って、覆面男の記憶をかすめ盗ったんだろう。でも、この化け猫が『泥棒の女王』で、あの覆面男が『盗賊の支配者』なんてのは、全然想像もつかないヨタ話としか……。

 と、そこでおれの頭の中に、『キーッ!!』なんておかしな文字が書き殴られた。四つ足を着いたあのグルマルキンが、背中の毛をヤマアラシのように逆立てて、おれを爛々と睨んでる。二本の尻尾も、まるで煙突掃除のブラシだ。

『なんて失礼なお子様なんでしょう!! いいこと!? このあたくしが持つのは、魔力でもなければ妖力でもない、この上なく高貴で尊い”神力”なのよ!!』

 ハンマーとノミで叩くように頭の中に刻まれる、上品で乱雑な文字。どうやらグルマルキンは、おれの考えを読み取って、激怒したようだ。

『それに“ヨタ話”なんてお下品な言葉、使わないで頂戴! 今でこそ美貌の黒猫に身をやつしても、あたくしの本相は……!!』

 おれはピンと閃いた。
 
 ああ そうか! それなら……
 閃きをグルマルキンに悟られないように浅くとどめ、おれは憤りの文字を遮るように言い返す。わざと、バカにしたような笑い顔を作って、冷やかすように。

「だって『泥棒の女王』なんて、あんたとてもそうは見えねーんだもん。その辺にいそうな野良猫にしか……」
『きぃぃぃっ!!』

 錆びた釘で石板をひっかいたような書き文字が、おれの頭の中をめちゃくちゃに乱舞する。そのうるさいこと、目を開けているのもつらいほどだ。

『よくもこのあたくしを侮辱したわね!! 思い知らせてやるから、覚悟なさい!! あたくしの手で、あなたの血の雨雲を拵えてやるわ!!』

 おれの脳裏に脅しの言葉を叩きつけ、グルマルキンが二本の槍を押っ取った。途端に真っ黒なもやが、グルマルキンの大きな体を包み込む。
 その圧倒的で足がすくむほどの存在感と、鼻の奥まで沁みる濃い殺意は、あの鎧姿の金剛歓喜天(カタフラクト・ラグジール)なんか、足元を這う小さなカニのように思えてくる。
 小さな体から大きくはみ出した存在感を漂わせ、怒り狂った化け猫がおれへと突進してくる。二本の十字槍を尻尾で振りかざしつ、石の床を音もなく四つ脚で疾駆して。
 カッと見開き、おれを睨みつける金色の眼と、針のような瞳。強烈な殺意をまき散らし、もうおれを食い殺す気満々の化け猫の様子に、おれの肝も背筋も冷たく凍り付き、腰が砕けそうになる。でも、退くわけにはいかない。これが、おれの狙いなんだから。
 おれは、向こうの方で全力に戦うマリ姉とカレ兄へ、ほんの一瞬だけ視線を向けた。
 十字槍の切れも、いつものマリ姉にだいぶ戻ってる。マリ姉の怒りも、少しは静まったらしい。『短気は損気』、じいちゃんの言葉だ。
 
 このグルマルキンは、物欲の神の聖獣だという。自分で言ったとおり『神力』を持っていて、そんなものを使われたら、おれはまずやられる。
 でも誇りを傷付けて怒りを誘えば、この高慢ちきな化け猫は、慣れない槍で短絡的に、おれを傷め付けにくるのは間違いない。武器と武器のぶつかり合いなら、おれにもまだ……
 そこまで考えた時、グルマルキンの憤怒の声が、おれの足元に響いた。

 ――ふしゃぁぁぁぁっ!!――

 そして虚空に二重の半月が銀色に閃いて、鋭い穂先がおれに襲い掛かる。一本の尻尾の手に一本の槍を握り、二本槍のグルマルキンは、めったやたらと衝きかかり、斬り付けてくる。その動き、でたらめに暴れまわる竜巻のようだ。

「うあっ……!」

 おれも両手で握った棍を振るって、襲い来る二つの尖端を一心に弾き、(たい)をよじって必死にかわす。髪の毛はばさばさになびき、鼻の頭と額から汗が飛び散る。
 化け猫だけに、槍術には明確な型はないハズだ。でもこの槍さばき、何となくおれの体が覚えてる、そう感じるのは何故だろう……?
 それでも、てらてら光る穂先を髪一筋にやり過ごすだけで、いっぱいいっぱい。とても反撃の隙なんか見つけられない。それに一見怒り任せ、感情任せに風を貫き、宙をえぐって繰り出される無数の刺突は、一撃一撃がものすごく重い。棍で十字型の刃をかつんかつん打ち跳ばすたびに、おれの手はびりびりしびれ、かわしたはずの斬撃が、服と髪とを浅く薙ぐ。
 
 ……やばい。さすが、見た目は黒猫でも中身は聖獣。
 動きはいまいちでも、素の力は人間(ホムス)とは比較にならない。防戦一方のおれの方が参ってくる……。
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