十二.

文字数 2,706文字

 おれの疲れを見抜いたのか、尻尾の手を休めることなく、グルマルキンがにんまりといやらしく笑う。

『どう? 少しは堪えてきたかしら? 人間(ホムス)の子のくせに、このあたくしを蔑ろにするからだわ。でも、あたくしの前に跪いて足にキスしたら、許してあげることを考えなくもなくってよ』

 ああ、うっとうしい!おれの頭に血が昇りかける。でもここで怒ってしまったら元も子もない。ホントは正座して、がっつり黙想で頭冷やしたいところだ。
 しかし化け猫の二本の槍は、止まってもくれない。こういう場合の処し方は、たった一つ。『相手の”手”を数えろ』。じいちゃんの教えだ。
 おれは考えるのを止めて、ただ自分の目と、その目が追う槍の穂先に集中する。
 二つの尖端が刻み付ける、ウロコにも似た虚空の残像。瞬きも忘れて薄目に睨むおれの目にも、しっかりと灼きつくほどの猛攻だ。何とか一撃も食らわずに化け猫の槍をかわし弾くおれは、はっきりと確信した。
 
 この槍の動き、やっぱりグレン卿の槍さばきだ。普段から、何度も稽古を付けてくれたグレン卿の動きを、おれが忘れるハズがない。この化け猫、覆面男からおれのことを盗ったように、グレン卿の槍術も掠め盗ったんだろう。泥棒の女王の神力か何だか知らないが……。
 でもたった一つ、この化け猫の攻め手には、グレン卿と決定的に違うところがある。その違い、いや“禁忌”こそが、今のおれにつかみ取れる、絶対に逃せない勝機になるハズだ。
 眉根を寄せた半眼のおれは、体を捻って槍を避けつつ、へへっ、と笑ってやった。わざと余裕たっぷりに。
 途端にグルマルキンの耳がぴくぴくっと動き、槍の切れが一瞬鈍った。

『ア、アナタ何がおかしいの……?』

 グルマルキンの怪訝な問い。おれの舌が、化け猫の意識を確かに引っ掛けた証拠だ。その手ごたえが顔に出ないように、おれは奥歯を噛み締める。

「だってさあ……」

 もったいを付けたおれの半端な言葉が、二本の十字槍を完全に止めた。代わりに化け猫の両耳が、ぴくぴくと絶え間なく動き出す。ひん剥かれた金色の眼は、煤けた光を帯びている。まるで得体の知れないゴミでも映したかのようだ。三日月よりも細かった黒い瞳孔も、今はもう月食ほどに膨れ上がる。
 ようやく二本槍の猛攻から解放されたおれは、棍をカカシのように首の後ろに両手で担ぐ。わざと声を抑え、おれはピキッとと硬直した黒猫に、うつむき加減のジト目を注いだ。

「その槍の動き、聖騎士のグレン卿から、神力とかで盗ったんだろ? 泥棒の女王さま。それにしちゃあ、動きが悪いからさー。あんたがホンモノの泥棒の女王さまだったら、当然、グレン卿の最高の技も盗んでるハズだよな、って、思ってさ。あ、でも無理だった……?」
『な、何ですって!?』

 おれの頭の中に落雷顔負けに文字が轟き、グルマルキンの黒い毛並みが一気に逆立った。

『たかが下賤な人間の分際で! 高貴で美しい、この神なるあたくしに向かって! よくも、よくもそんな口を……!!』

 一文字一文字が灼けた杭のようにおれの脳に叩き込まれ、頭蓋が割れるばかりの激痛が走る。おれを睨む眼にも、白い牙を剥き出した口にも、おれへの憎しみと怒りが煮立った鍋のように滾ってる。ほとばしる最大限の憎悪と殺意は、まるで荒れ狂う向かい風だ。今度こそ、ここまで保ってきたおれの気力と正気の火も、いよいよ吹き消されてしまう。
 でも、もう一息、あと一息で……。
 気力を振り絞り、霞む目でグルマルキンを見返すおれに、化け猫がじっとりと呪いの言葉を吐く。

『いいでしょ……。お望みのようだから、アナタが尊敬する聖騎士の秘技で、アナタの首、刎ねてあげるわ……』
「外さないように、二本の槍でひと思いに殺ってよ」
『言われなくてもそうするわ!!』

 グルマルキンが片手で持った二本の槍を、左右の尻尾の手で高々と掲げた。十字槍の端っこ、石突を片手でしっかりと握った、上段の構えだ。その斜めに天を指す十字型の二つの穂先に、白銀の陽炎が揺らめき始めた。
 間違いない。
 この構えと穂先の法力は、法術を応用したグレン卿の切り札だ。法力を集め、強化した穂先でどんな標的でも水平に両断する、“大切斬(ギガンティック・リーパー)”。
 やっぱり、このグルマルキンはグレン卿の技を全部盗んでた。
 でも、グレン卿とは決定的に違うところが二つある。
 一つは穂先に集めた法力が、グレン卿よりも圧倒的に強くて濃いこと。実際、聖獣の法力を集めた十字槍の二つの穂先は、あり得ない大きさの光の木の葉へと変わっている。
 もう一つの違い、それはグレン卿が、この大切斬を二本の槍では出さなかったことだ。何があっても絶対に。
 グレン卿が忌避した二本槍を、背中の上で構えた化け猫グルマルキン。その穂先、もう子供が座れるような巨大なカエデの葉のように見える。
 ……ホントにいけるのか? 一瞬、自分を疑ったおれだった。でももう自分を信じるしかない。おれは両手で棍を構え直した。
 
 ――んむふふふふぅ――

 眼を細めてほくそ笑む黒猫の口から、気持ちの悪い声が洩れてくる。

『それじゃ、サヨナラね。小生意気なボクちゃん』

 それだけおれの頭に打ち込んだグルマルキンが、ふっと消えた。おれの目には映らないだけで、ヤツはもう向かってきているハズだ。
 化け猫の動く速さを脳裏に描き、おれは息を合わせる。

 ……二、一、来る。

 棍を握り締めたおれの首に、左右から熱い風が冷たく吹き寄せる。その気配を感じ、さっと構えを解いたおれは、素早く石の上に身を伏せて耳をふさいだ。
 刹那、うつ伏せたおれの頭上で、グルマルキンが放った二つの大切斬が交差する。その瞬間、寺院の鐘と鐘とがぶつかるような重低音がほとばしり、周囲をずずん、と地震のように揺るがした。
 ぶつかり合った二つの大切斬が発生させた、強大な衝撃波。おれの内臓の隅々まで、じんじんと揺さぶるものすごい音だ。脳みそまで小刻みに震え、吐き気が襲ってくる。

 グレン卿が、二本槍での“大切斬”を禁忌にした理由が、まさにこれだ。
 標的を左右の大切斬で挟めば、効果は絶大に思える。でも法力と法力がぶつかれば、必ず逆発(バックファイア)が起こって、仕掛けた方がダメージを食らう。
 大きな法力に包まれた二本の槍を、干渉させずに左右から全力で振り切るなんて、グレン卿でも無理な芸当だ。
 その『禁忌』で『無理な芸当』を知らずに犯した、黒い化け猫。おれの数歩前で、がちがちに固まった、つんつんに毛羽立つ真っ黒な毛玉こそ、あの聖獣グルマルキンだ。むなしく穂先がかち合った二本の槍を構えたまま、金色の眼を皿のように見開いて。

 棍を握り直し、おれはすくと立ち上がった。
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