第8話

文字数 1,678文字

「令和の浦島太郎物語」(広島県福山市バージョン)第8話。

それは、私が高校3年生の秋の事だった。
天気予報では曇り。
朝学校に行く時も晴れていた。
しかし、天気予報が外れることはよくあるが、今回のハズレは酷く、帰りになると土砂降りになった。
少し待てば止むとは分かりながら、私はバイトの事が気になった。
私は、家の事情で学校は公立ではありながら、バイトを認められていた。

バイトに行かないといけない。
公立の高校でも、母に苦労だけはかけたくなくて、ひたすら勉強して特待生で大学に入れる事も決まっていた。

しかし、いくら学費免除でも、広大に行くには下宿しないといけない。
医学は目指してない。
6年は長すぎる。
私は、福山で教師をしながら母を支えようと思っていたのだ。

教師なら、大変ではあるが倒産したりはしない。
仕送りも出来る。
だから、バイトをクビにはなりたくなかったのだ。

土砂降りの中、私は意を決して走り出した。
大丈夫。
あっちに制服も置いてある。

しかし、これが悲劇に繋がった。
坂と階段が多い町の中、足は雨で滑る。
そこに聞き覚えがある母の声がした。

「美波! 風邪ひくけぇ、傘持って来たよ!」
母が石段を上ってきたが、私の足は急には止まれず、そのまま石段でよろめいたまま転がり、母の上に崩れ落ちた。

「あっ!」
ズダダダダダダーーー!

下まで転がり落ちた後、私は所々痛みはあったが、体を起こした。
「痛たたた…」
しかし、あれだけの高さを落ちて、ほとんど無傷な代わりに、下にある柔らかい感触で、血の気が引いた。

「お母さん?」
「お母さん! お母さん!」
下じきになった母は、顔が真っ青に青ざめて、目は見開いたまま視点が合わず、小刻みに痙攣していた。

「お母さん! ねぇ、お母さん!」
私が母を揺すろうと手を肩にかけたその時!

「動かしちゃいけん!」
この事故に気が付いた人が、集まってきた。
母さんはそのまま病院に運ばれ、命は助かったが、腰から下は全く動かない身体になってしまったのだ。

それから、私は高校は卒業したが、広大には行かなかった。
母を残して西条にはいけない。
大学を諦めた変わりに、パソコンを買い、最初は母に訪問看護を使いながら、母の介護のかたわら通信大学で教員免許を取得した。
その後自宅でオンラインで子供たちを教える仕事をした。

ちょうどコロナが大流行したこともあり、自宅でオンライン授業を日本全国の子供たちにする事で、母から離れず仕事をする事にしたのだ。

しかし、私はあの日から考えが変わった。
父への憎しみは増す一方で、世の中の男全てに対して、異常なまでに嫌悪感を抱くようになった。

さらに、自分が今生きていることにも、嫌悪しかない。
三年間毎日考える。

「あの日、母さんがあと数分遅れて来たら良かったんじゃ。
そしたら、うちだけが石段から落ちて死ねたんじゃけ。
うちが死んだら、母さんはあの時まだ37歳じゃった。 綺麗な母さんは、また新しい人生を歩めたはずじゃ。
いや、最初からうちを妊娠せんかったら良かったんじゃ。
それなら、ただの初恋。
他の人と結婚して、幸せに暮らしたんじゃ。
うちがお母さんを守るとか、うちはバカじゃ。
うちが、出来たときから母さんは不幸になったんじゃけ。
うちが死ねば良かったんじゃ。」

毎日同じ事を考える。
でも、今は自殺すら出来ない。
私が死んだら、母はどうなるのか。
こんな皮肉な事があって良いのだろうか?

私は父よりも、ずっとずっと母を犠牲にしている。
私が、最初からいなければ良かった。

そして、月日は流れ福山市に未曾有の大雨で警報なり止まない中、母のオムツを買うために飛び出したのだ。
母に惨めな思いだけはさせたくないと。

もし死ぬなら、私が死ねばいい。
母さんの物をきちんとして、避難所に連れていき、安全を確保できるなら、私は一人土砂に流されて死にたい。

そんな事がよぎったあのスーパーの前で、私の「本当の願い」は神様に届いたのかも知れない。

スーパーの前で、折れた傘を振り回しながら、私がそんな事を考えていた矢先に、大量の何かが私を押し潰して、その「本当の願い」もろとも、プチンと思考が消えたのだ。


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