彼の話③
文字数 501文字
あれからそう遠くはない港に車を停めて、夜の海風を浴びていた。
水っぽくて、塩辛くて、何もかもを忘れさせてくれそうな強い風。その風で記憶ごと攫っていって欲しかった。
楽しい記憶は切ない思い出に変わり、自分を作り上げていたものが崩れたみたいだった。思い出さないようにしたいけど、覚えていたい。忘れたくない。
心臓が飛び出しそうなほど鼓動が鳴り響いて、聴覚、視覚、嗅覚、味覚、触覚、全てが彼女を感じて、同じように自分を感じていてくれたんだと嬉しくなった、あの瞬間。それがいつまでも忘れられない。
外から見ると気高くて力強く見えたのに、実際は誰よりも打たれ弱くて、涙もろくて、か弱かった。嬉しかったのは、心を許してそれを見せてくれた事だった。
だから絶対に守りたいと思ったし、苦しい時に力になりたいと思った。だから誰よりも彼女のことを見たかった。
でも、それが相手にとっては重荷だったのかもしれない。分かっていたようで、理解していたようで、何も分かっていなかったのかもしれない。彼女にとって一番であるという事に甘えてしまっていたのかもしれない。
そんなこと考えていたって、仕方のない事なのかもしれないけれど。