第4話 (殺されかけた話)

文字数 1,839文字

 
 
 人生に何度か、殺されかけたことがある。

 殺そうとするほうは、本当に何の気もなく。
 たいした考えもなく。
 へたすれば、悪意も殺意すらもなく。
 ひょいと、殺そうとするのだ。

 四歳の時に、実父に、どがっと殴り飛ばされて死にかけた。
 
 それから。

 たしか小学校二年生の時だったと思う。
 夏休みで、鎌倉の祖母の家のそばの、
 短いが深い、
 渓谷の橋のうえ。

 実の叔父。つまり、母の弟である。

 なんでそんなことになったのか、
 まったく分からないのだが。
 母よりたしか十四歳?ほど年下で、
 まだごく若かった叔父は。
 なんだかんだで祖父の法事の支度だかで、
 母や祖母たち女衆が、忙しくしている間。
 まだ幼い姪と甥の子守を、押し付けられたのだと思う。

 とにかく。
 小学校二年生の子ども心には、その橋は高く。
 岩だらけでゴミだらけの汚れた渓谷は、
 はるかかなたの下に思えて、
 通るたびに、かなり怖かった。
「怖~い…」と。
 だからこそ逆に、欄干から下を見下ろして
 立ち止まってしまった小学校二年生の女のコの私の。
 二本の細い足首を。
 ひょいと。
 中学生だか高校生だかの詰襟姿の若い叔父が。
 握って。

 ひょいっとそのまま、いきなり持ち上げて。
 小学校二年生の女のコを前触れもなくイキナリ、
 逆さづりにして。
 さらに。

 ひょいっと。
 橋の欄干から外へ…
 落ちたら、まず死ぬであろう高さの、
 岩だらけの渓谷のうえへ…
 突き出した、のである。

 私はパニックに陥った。

 何故そんなことになったのか、まったく分からなかったし。
 いきなり視界が反転したかと思うと、
 命の危険を感じる高さに、逆さづりにされていた…
 叫んだ。暴れた。
 暴れたら落ちるぞ~! 落とすぞ~!
 と。
 叔父はげらげら笑いながら、掴んだ二本の足首を揺さぶった。
 さらに。
 そのころの私はすでに性別違和感を抱えてはいたが。
 だからこそ。
「ひとにパンツを見られてはいけない!」
 という、「女のコなんだから!」という、
 母の強い叱責と体罰が、身に染みついてもいた。
 狭い橋の上から。
 高い渓谷の岩だらけの上に、
 いきなり、逆さ吊りで。
 しかも、
 揺すられたら、スカートがめくれて。
 小学校二年生の女のこの、
 パンツがまる見えになったのである。

 私は、パニックした。
 あるいは自分の腕が自由になるのであれば。
 腹筋を使って起き上がって、
 自分の叔父の手のひらを外そうという、
 無謀な選択肢もあったかもしれない。

 しかし下手に暴れたら、
 そのまま下に落とされて殺されてしまうかもしれない。
 しかも。

 めくれるスカートを必死に押さえて、
【パンツを隠さなければならない!】という、
 社会的な抑圧の恐怖にも、縛られていたから…
 …命の危険!に対して…
 なんの、行動を、起こすこともできずに…

 屈辱と、恐怖に。

 哭きながら、必死で。

 叫ぶしかなかった。


「たすけて~ッ! たすけて~ッ!」
 …


 幸い? 車で通りかかった近所のおじさんが。
 慌てて車を停めて、叔父を叱責してくれた。
 とにかく橋の外の【落ちたら死ぬ!】という危機から。
 橋の上のコンクリの硬いうえに。
 逆さになった頭から、叩きつけるように、落とされた。
(痛かった!)

 パンツは丸見えだっただろうし。
 私は恐怖で、ちびった。

「…おれはコイツの叔父さんです。
 遊んでやってたんです!」
 …と。
 叔父は。
 とおりすがりの見知らぬ人あいてに、
 ふてくされて、開き直った。

 そして。

 そこから徒歩5分の祖母の家まで。
 ちびって哭いて恐怖でがくがく震えて。
 まともに歩けない私を。

 ほうっておいて。

「なんかしらんが勝手にちびって哭いてる」
 と?
 母に、通報?したらしい。

 母は。
 とうぜん、私に理由なんか、聞きもせず…
「うちのバカが迷惑かけてすみません!」と。
 心配して、そばについていてくれた、
 知らないおじさんから。
 ひったくるように、私を連れ帰って…
 なんの、心配の声も、かけず。

「…忙しいのに! このコはもうッ!」
 …と。

 水風呂に、服のままでほうりこんで、放置された。


 いらい、とにかく。
 自分より体の大きい、男というものは。

 怖くて、しかたがない…

 



 ===

 なんで昼寝の夢から覚めたらそんなことを、
 思い出していたかというと。
 その叔父が。
 ガンなのに。
 このご時世なのに、あっさり手術を受けられるという話で。
 まだ、とうぶん、死にそうにない。

 という母からの手紙を、読んでしまったせいであろう…


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