第23話

文字数 5,123文字

 帰りのホームルームが終わると、クラスメイトたちは花火が開くみたいに一斉に外へと向かっていった。
 皆楽しそうに頭に白色のハチマキを頭の上に結びつけている。私のクラスは白色なのだ。
 玄関前のホールへ向かうと赤青黄色緑紫桃色…沢山の色が花みたいに咲き乱れていた。
 クラスごとに色が違うから最初は同じ色が大体同じところに集まっていたが、みるみるうちに混ざり合って色がバラバラになった。お互いがそれぞれ明るく主張している色だからか、その沢山の色たちは決して混ざらずうごめいている。
 カラフルでエネルギッシュなその光景は、それぞれの色が音を発しているようにうるさくて、個々の色は素敵なのに綺麗だと思えなかった。
 もっと静かで真っ白なキャンパスにあの色たちを乗せていったらきっと魅力的な絵を作ることができるだろう。私には彼らがその色を汚す悪童にしかみえなかった。
 私は手の中に包んだ青みがかった新品のハチマキを取り出し、頭を囲むように結んだ。
 頭に程よい圧迫感がかかる。同時にこれから始まる運動会練習が実態を帯びて背中の上にのしかかった。
 目を閉じて瞼の裏を見つめる。
 さっきまでのカラフルなハチマキの色が移ったようにネオンのような光が瞼の裏で飛び回る。それが煩わしくてまぶたを閉じる筋肉に力を込めるが、余計に色がうるさくなってしまってまぶたを上げた。
 今日も屋上へ向かったが珍しくハクがいなくて、静かな屋上で久しぶりに昼ご飯を食べた。音の消えた透明な空間はいつもよりもあせて見えた。
 玄関から外へと、大ホールでうごめいていた色が減って、私も鉛のように重い足を引きずって玄関へと歩みを進めた。
 靴箱で静かに佇む自分の靴を覗くと、靴には何も書かれておらず少しばかり安堵した。今日はまだいつものように嫌がらせがなく、だからこそこれからの練習で何かをやられてしまいそうで背中を冷たい指でなぞられるような感覚になる。
 靴を履き終えてグラウンドへ気持ち早足で向かうと、すでに白色のハチマキを頭に結んだクラスメイトたちの大半が集まっていて、到着するのが遅かっただろうかと一瞬焦ったが、後ろから乱れたリズムの足音が聞こえ、数人がまだ到着していないようでホッとする。
 太陽は青がかった雲に一部が隠されていて、威力の半減した日差しが混ざり合って柔らかく地面に着地する。
 グラウンドで散開している石英が光を小さく透明なその体で懸命に抱きしめ、透き通った鉱石は遠目で見ても居場所がわかるくらいに光っていた。
 集まっていなかったクラスメイトたちもついに集まって、委員長が声を張って皆に集まるように呼びかけた。
 どうやら今日は玉入れを練習するらしい。
 用具係が重そうに玉入れのかごを抱えてこちらに歩いてきた。
 ハチマキの色が白だからか、玉入れの玉の色も白だった。
 毎年この時期になって取り出されるその玉たちは、何度も役目を果たしてきた証とでもいうように白い布が薄く汚れていた。
 玉入れの練習を担当するリーダーがなにか説明している。まあ、大事そうなところだけかいつまんで聞いていればいいだろう。
 私はぼんやりと目の前の用具の準備をしている係たちを眺める。玉入れは学校で保管できるように高さが縮められていて、それを指定の高さまで伸ばさないといけないらしい。
 ふと周りを見渡してみても、他のクラスたちが楽しそうに固まりながら練習をしている。先生方は遠くのほうで話していた。
 無意識に白髪の生徒を探していたが、ハクの姿は見当たらなかった。今日は休みなのかもしれない。明日はいるだろうか。
 背中の上にのしかかった憂鬱感とでも言うような重いものが更に質量を増した気がした。
 「じゃあグループごとに並んで―」
 リーダーの、端の生徒にも聞こえるようにとよく伸ばした声が広い外の空気を揺らした。
 グループ。たしか、事前に教室の壁に貼ってあって、私は3番だったはずだ。
 リーダーを先頭に1番から並んでいく。私も3番のところへ並ぶ。
 ふと横を見ると、何人かのクラスメイトとルカとハルカがいた。
 最悪だ。私は顔に出るのを気にしないくらい嫌な顔をした。背中の重りが更に重くなる。
 視線を外して自分の足元を眺めてうつむいた。
 土のこびりついた運動靴には薄っすらと、ペンで落書きされた跡が残っている。いつか消えるんだろうか。
 きっと、リーダーたちにルカとハルカが私と同じグループになるよう仕向けたんだろう。リーダーがこちらをちらりと横目で流すように一瞥したが、私と目があって慌てて視線を外した。
 「え〜こいつと一緒じゃん、私本気で勝ちたいからしっかりしてね。」
 ルカが、私の肩にぽんと手をおいて滑らかで耳を逆撫でるような声で言う。ルカが触れたところからなにか冷たいものが同心円状に広がっていった。それが広がっていくと、どんどん肌が粟立っていく。気持ちが悪い。
 ルカの隣でハルカが笑っている気配を感じるが、私は黙って前の列を見つめる。
 呼吸を深く吸って、周りを気にしないように芯を叩き起こす。太陽はまだ雲に隠れていた。
 その私の様子を見て、二人は面白くなかったのか、チッと顔周りの空気なら切り裂けるんじゃないかと思うような鋭い舌打ちを一つして、「おもんな」「こいつ運動会にマジで邪魔なんだけど」「クラスに近づかないでほしい」など、しきりに私に向けて黒い言葉を吐き捨ててきた。
 リーダーの指示で、実際に玉入れをやってみることになった。
 制限時間は三十秒。その中でどれだけ多くの玉をかごの中にいれれるかを競う。
 リーダーの合図でそれぞれのグループが玉をかごに向けて投げていく。
 意外と自分の背より高いかごに玉を入れるのは難しいのか、どのグループも結果はそこそこのものだった。風が吹いているのも関係しているかもしれない。
 前のグループたちが練習しているさまを眺めていると、気づけば二人は私に対して何も言わなくなっていた。悪口のボキャブラリーが尽きたのだろうか。
 前に並んでいたグループがいなくなったとき、私達のグループの番になった。
 用具係がかごに入った玉をかごを傾けて取り出していく。準備をしている隙にかごを囲んで円形状に並ぶ。
 用具係がかごに入った玉をすべて取り出すと、かごの下に均等になるように放り投げた。
 「位置について―よーい」
 リーダーの、さっきとは打って変わって少し気だるげに呼びかける。その時にまた目があった気がした。思わず目を背けた。
 「どん!」
 ピ、とタイマーをスタートする高い機械音が同時に響く。
 脊髄反射のように私はしゃがみ込み、足元にある玉を掴む。
 ジャリ、と玉の中に入ったじゅず玉が力を加えられて音を鳴らした。実際に音がなったのか感触から脳が音と判断したのかはわからない。
 一度に拾えたのは三つだけで、グループの他の人達がもうすでに玉を掴んで立ち上がろうとしたため私も斜め前の少し遠くにある玉をつかもうとした手を既のところで引いて立ち上がった。
 足をバネのように動かして、それと同時に玉から手を離す。すっと一瞬の布がこすれる感覚のあとに私の手は空を掴み、横から優しく撫でて吹く風の冷たさが指先をかすむ。
 見上げた少しくすんだ青空に手から離れた玉が遠ざかって小さくなっていく。それは真っすぐ飛んでいったが、他の玉にもみくちゃにされてかごの縁に触れてなかに入ることなく外れてしまった。
 投げた玉がかごへ向かって飛んで行き、その一瞬が過ぎると時が戻ったようにぼたぼたと地面に玉が一斉に落ちてくる。
 私も重力に逆らうことなく、されるがままにグラウンドの小さな粒の集まった地面に足をつま先から着地させる。それと同時に同じグループのメンバーの動きを模範してまるで機械的にしゃがんでさっきと同じ動きを繰り返す。
 その動作を四回ほど繰り返したとき、気づけばメンバーたちはタイミングを合わせることなく各自で焦るように玉を投げていた。
 「終了」
 タイマーの機械的な音とともに、私達が玉を投げる音でかき消されないようスタートのときよりはしっかりとした声でリーダーが私達を制止した。
 用具係がかごの中に入った玉の数を数えるために近寄ってきて、私はかごから数歩身を引いた。足元の地面には足跡は出来ず、よく乾いているおかげでサラリと数粒の砂が表面を転がった。
 「結構入れたよ、私。」
 ハルカが自信ありげにルカに口角のあげた顔を披露している。
 私は用具係が一つ、時々二つまとめてかごの外へ玉を放り投げる何の変哲もないその光景を、何をするでもなくただ眺めた。
 「七、八、九…三十。ぴったり三十個。」
 玉の数を数えていた髪を高めの位置で結ったミディアムヘアの用具係が最後の方を大きめに、玉の数を答えた。
 たしか、一グループ目が四十一個、二グループ目が三十八個だったはず。少し少なめだろうか。
 「えー!」
 用具係がそういった直後、ルカの意味もなくムダに高い声が空気を乱れて響いていった。
 「もっと入ってたと思ったのに。」
 「私、七個位入れたはずだよ。」
 ハルカとルカがつらつらと文句を垂れる。こころなしか、他のメンバーの子も不服そうに表情を歪ませた。
 私は特に玉入れに力を入れたいわけでも、そもそも運動会自体に思いがないのでメンバーの子たちのようになにか思うところはない。
 そろそろ列に戻ってもいいか。頃合いを見て、私は踵を返した。
 視界の端っこで、ルカが玉入れのかごへ駆け寄っていった。髪に結ばれた白いリボンのように結ばれたハチマキが風で揺れている。
 太陽が上の方にあるせいで短くなった影は青くて少し緑っぽかった。
 ゆらゆら揺れるその影を眺めていたら、細長いような黒い影が現れた。
 それがなにか理解するよりも先に、ドスンっと地面にまで振動するような低い音だけれど、金属が当たるせいで気味が悪いほどに高い音を出した玉入れのかごが、私のすぐ横に倒れ込んだ。
 思わず心臓が跳ね返った。裏返った心臓は戻ることなく裏返ったままだった。
 「ルカ下手すぎ。ちゃんと狙った?」
 「狙ったってば。じゃあ今度やるときはハルカがやってよ、そんなに言うならさ。」
 かごが立っていたであろう場所には、ルカとハルカがこちらを睨みつけながらも、お互い口を横に伸ばして笑みのようなものを作ったその見にくい顔を見せていた。
 さっき視界の端でルカが見えたのはこのせいか、と点と点が線になってつながった。私はその線をすぐさま切り裂いて糸くずを丸めるみたいにグシャグシャにする。
 先生は近くにいない。
 今更気がついても、事故だと判断されるだろう。
 また、心臓が握り締められるような感覚。胸なのかお腹なのかよくわからない、体の真ん中あたりがどうしてかすごく苦しい。
 クラスメイトたちが、皆、二人に同調するように笑い出した。
 「あいつ下手すぎ。クラスの勝利の邪魔なんだけど。」
 ルカでもハルカでもない、しかもアミでもない。鼻にかかったような、少しこもった声が一つ、聞こえた。
 特に静かでもない騒がしいグラウンドに、その声は嫌に響いた気がした。私だけかもしれない。
 それに共鳴していくように、「確かに」という声がチラホラとあがった。
 その声はどんどん大きくなって、混ざり合って不協和音となり私の耳を圧迫する。
 全身の毛を逆なでされるような気分だ。
 さっきの苦しさが体の真ん中から、全身へとじわじわ広がっていく。今すぐにでもこの場から走って逃げて、誰もいない行きのできる場所に行きたい。
 頭の隅で、ふっとハクの顔が通った。
 ハク。どうして今日いなかったのだろう。
 ハクに会いたい。ハクと会って、カオリのこともこのことも全部話して、体についたこの汚れを洗い落としてほしい。
 練習前に二人にあれだけ悪口を言われたというのに、クラスメイトたちのその言葉はルカやハルカたちよりも何倍も鋭利で、大きさがわからないほど怖かった。
 今までのただ傍観していた彼らとは違う。何かが壊れた。もう、とっくに壊れていたのかもしれないけれど。
 薄々気づいていたけれど、懸命に無視していたそのバリアは、この一瞬でガラスのクズみたいに砕かれた。
 徒競走のときも、誰がやったのかわからない濡らされた机のときも。
 正しい生き方で生きる彼らは、もう第三者じゃなくてアミたちの側につくことを決めたようだ。
 腹の底が冷えていく。私は口で呼吸をした。
 皆同じようなことを口にして、同じ笑顔を浮かべている。もはや宗教じみたその同調圧力は、とても気持ちが悪くて、得体のしれなくて、そして怖かった。
 私はハチマキをほどいた。
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