第4話 エピローグ
文字数 3,844文字
「ねぇ、ブラッド。本当にここらへんで落としたの?」
地上から十数メートル辺りでマリーは魔法箒の速度を落とします。
「たぶん、そうだにゃ。ノートの気配はここらへんで消えてるにゃ」
黒猫のブラッドは下の方を見ながらそう呟きました。
「ああ、見つからなかったらどうしよう。お師匠さまに提出する期限は明日だっていうのに」
マリーは頭を抱え込みます。これでは、今月末にある魔法試験が受けられません。
「もう一回探すかにゃ?」
「うーん。もしかしたら誰かに拾われちゃったのかも……誰かがあのレポートの通り薬を作っていたら大変! なんとかしないと」
「それだったら魔法の薬の気配を探してみるかにゃ」
「お願い、ブラッド」
彼女は使い魔であるはずの黒猫にそう懇願します。
しばらくしてブラッドは、ひょいと顔をあげました。
「わずかだけど、魔法の効果が見えるにゃ」
「それを辿っていきましょう」
「なんだか下の様子が騒がしいにゃ」
ブラッドが何かに気づいたらしくマリーへとそう呟きました。
「なんか火薬の臭いがする。わたしの魔法薬に火薬なんか使ったのなんてあったかなぁ」
マリーは首を傾げながら下の様子を見ます。
パトカーらしい赤いランプが火薬の臭いのしてくる方角へと向かっていました。
「わたしとは無関係だよね」
何か嫌な予感がして彼女はブラッドの方を見ます。
「でも、火薬に混じって魔法薬の臭いも感じるにゃ」
「仕方がない。行ってみるしかないか」
なんかあったら、お師匠さまに怒られてしまう。そんな事を気にしながら、マリーは魔法箒の速度を上げます。
-ダダダダダダダッ!
銃声らしいものが聞こえてきます。彼女は念のためにと防御の魔法をかけました。
「ご主人さま! あの子の撃っている弾に魔法の気配がプンプンするにゃ」
「ということは、ノートを拾ったのはあの子ってわけか。ああ、なんかめまいがする」
「ご主人さま! 回収するのが先にゃ」
「わかってるって。でも、この状況をなんとかしないと」
なぜかわからないけど機関銃を乱射している少女がいます。たぶん、魔法薬の副作用で彼女は麻薬中毒状態に陥っているのでしょう。大変なのは、その状況です。
弾には魔法効果があるので、撃たれても死人が出ることはありません。でも、彼女の周りにはたくさんの警察官が彼女の様子を遠巻きに見張っています。
場合によっては狙撃される可能性もあるのかもしれません。
マリーは少女の元へと急降下します。それと同時に魔法の霧を発生させました。いわゆるアムネジアの霧というものです。霧によって記憶を奪われる効果があるのです。
そして彼女は、眠りの魔法を少女へとかけました。
ふらっと少女の身体が傾きます。すかさず、箒のフックを背中の赤いバッグにかけ、身体ごと空中へと持ち上げました。
「ふうー。これで最悪の状態にはならずに済んだね」
マリーは大きな溜息をつきます。そして、独り言のように呟きます。
「早くこの子からノートの在処を訊かないと」
「目覚めの気分は?」
少女は目をこすりながら起きあがります。
「ここはどこ? あなたは誰?」
それまでの記憶がないのでしょう。少女はそんなことを言いました。
「あなたのお家よ。わたしは……信じてくれないかもしれないけど、これでも見習い魔法使いなの」
「え?」
少女は短く声をあげます
「いきなり本題で悪いんだけど、ノート返してくれないかな? 明日までにお師匠さまに提出しないと試験が受けられないの」
「ノート? あ!」
少女は思い出したらしく、口に手を当てました。
「ごめんなさい。けーさつに届けようと思ったんだけど、つい……」
「いいの。かえって警察に届けられた方が面倒だったかもしれないから。それよりも」
マリーの口調はあくまでも優しくあり続けます。
「えっと、これです。すいませんでした」
少女は机の引き出しの中にしまってあったノートを取り出すと、マリーへと丁寧に頭を下げました。
「好きな人がいたんでしょ? あのノートに書いてあることがとても魅力的だったってのはわかる。だから、謝らなくてもいいよ。大事な物を落とした私が悪いんだから」
「あ! わたし……わたし、どうしよう。奥山くんにひどいことしちゃった。……どうしよう……」
記憶が戻ってきたのだろうか、少女の瞳からふいに大粒の涙がこぼれ出ます。
「大丈夫。あなたの魔法に関わったすべての出来事にはちゃんと私が後始末をつけてきから。奥山くんもあなたがやった事は覚えていないよ」
「あ、ありがとうございます」
少女は安堵の吐息をしました。
「でもね、そのかわりというか、あなたが魔法で行ったすべての事柄について消し去ってしまったから」
「どういういことです?」
再び不安げに少女は訊いてきます。
「魔法のおかげであなたと彼との間は少しずつ進展したかもしれない。でも、それをすべて消してしまったから」
「最初の頃と同じってことですか? わたしと奥山くんは話もしていないって状況ですか?」
「そういうことかな」
「……」
しばらく沈黙が続きます。マリーはこれ以上何も言ってやれないなと思い、そろそろおいとましようかと考えていた時、少女の口から言葉がこぼれました。
「惚れ薬とまでは言いません。なにか、わたしの性格を変えられるような薬はないでしょうか? 奥山くんの事はどうしても忘れられそうもないんです。かといって、気軽に話しかけられるほどの勇気がないんです。魔法の薬があったから、あれだけ積極的になれたと思うんです。さんざん迷惑をかけといてこんな事を願うなんて、虫のいい話かもしれません。でも、もしあるならば欲しいんです」
「うーん……」
マリーは考え込みます。この子の気持ちは痛いほどよくわかるのですから。
「もちろんただでとは言いません。わたしに出来ることならなんでもします。なんなら新しい薬の実験台になったって構いません」
少女の想いがまっすぐに伝わってきます。マリーだって好きな人に告白できずにうじうじと悩んでいた時期だってありました。
「彼の事が忘れられない?」
マリーは何かを思い立ってそう訊きます。
「はい」
「あきらめられないくらい好き?」
「はい」
いくつかの質問ののちに、彼女はポケットから小瓶を取り出します。
「これは勇気の出る薬。誰かに告白するときに飲むと効果が出るの。でも、告白する相手の前に立たないと完全に効果は表れないの」
「それを頂けるんですか?」
「うん。ま、迷惑料ってとこかな」
「いいんですか? わたしは何かお礼をしなくて」
「構わないって、ただし、注意があるの。飲んだら24時間以内に告白しないと大変なことになるの」
「大変なことってなんですか?」
少女は目をまんまるくさせて驚きます。
「もう二度と彼の前で口がきけなくなってしまうの」
「そ、それは大変ですぅ!」
「そういうわけだから、注意してね。あ、私そろそろ行くね」
マリーは立ち上がります。
「いろいろと本当にありがとうございました」
「ま、気にすることじゃないから。じゃあね」
「はい。お気をつけて」
少女に背を向けると、マリーは窓の外に待たしておいた魔法箒によいしょっとのっかります。
「グッドラック」
ウインクをして一気に上空へと加速します。
「人間に魔法薬をあげるのは御法度じゃなかったにゃ?」
雲の上に抜けると、ブラッドがそう訊いてきました。
「私は魔法薬なんかあげてないよ」
マリーは涼しい顔でそう答えます。
「でも魔法の小瓶を渡してたにゃ」
納得の行かないブラッドが不信な顔で見つめてきます。
「あれは、セージから作ったハーブタブよ。精神安定剤みたいなもの。人間だって作ってるじゃない」
「にゃー! それだったらなんで渡したにゃ? 嘘をつくのはよくないにゃ」
「あの子には勇気が必要だった。それは私も経験があるからよくわかるの。放っておけなかったんだ」
「という事はにゃ、ご主人様は彼の方にも気があることを知ってたにゃか。さすがだにゃー」
ブラッドは感心したかのように呟きました。
「誰が知ってるなんて言った?」
「にゃ?」
「わたしは背中を押しただけ、後のことは知らないよ」
「そんにゃー! それじゃあの子がフラれたにゃどうするにゃー?」
「それはあの子の人生よ。恋を始めるのも終わらせるのもあの子が決めること。もしフラれたとしても、このままずっと片想いを続けているよりはマシなの。いつまでも中途半端な恋をしていてはあの子はかわいそうなだけ」
「そんなものなのかにゃー」
「魔女も人間も恋に違いはないはずよ。そうやってみんな大人になるんだから」
「にゃー……なんだか、面倒だにゃー」
「そんなことより、早くしないと日付が変わっちゃう。お師匠さまに情けは通じないんだから」
マリーは、魔法で異次元へと続くゲートを開くと、その中へ向かって加速していきました。
さてさて、その後、恵理と奥山くんがどうなったかは内緒です。ただ、マリーのレポートが間に合った事だけは確かのようでした。
(了)
地上から十数メートル辺りでマリーは魔法箒の速度を落とします。
「たぶん、そうだにゃ。ノートの気配はここらへんで消えてるにゃ」
黒猫のブラッドは下の方を見ながらそう呟きました。
「ああ、見つからなかったらどうしよう。お師匠さまに提出する期限は明日だっていうのに」
マリーは頭を抱え込みます。これでは、今月末にある魔法試験が受けられません。
「もう一回探すかにゃ?」
「うーん。もしかしたら誰かに拾われちゃったのかも……誰かがあのレポートの通り薬を作っていたら大変! なんとかしないと」
「それだったら魔法の薬の気配を探してみるかにゃ」
「お願い、ブラッド」
彼女は使い魔であるはずの黒猫にそう懇願します。
しばらくしてブラッドは、ひょいと顔をあげました。
「わずかだけど、魔法の効果が見えるにゃ」
「それを辿っていきましょう」
「なんだか下の様子が騒がしいにゃ」
ブラッドが何かに気づいたらしくマリーへとそう呟きました。
「なんか火薬の臭いがする。わたしの魔法薬に火薬なんか使ったのなんてあったかなぁ」
マリーは首を傾げながら下の様子を見ます。
パトカーらしい赤いランプが火薬の臭いのしてくる方角へと向かっていました。
「わたしとは無関係だよね」
何か嫌な予感がして彼女はブラッドの方を見ます。
「でも、火薬に混じって魔法薬の臭いも感じるにゃ」
「仕方がない。行ってみるしかないか」
なんかあったら、お師匠さまに怒られてしまう。そんな事を気にしながら、マリーは魔法箒の速度を上げます。
-ダダダダダダダッ!
銃声らしいものが聞こえてきます。彼女は念のためにと防御の魔法をかけました。
「ご主人さま! あの子の撃っている弾に魔法の気配がプンプンするにゃ」
「ということは、ノートを拾ったのはあの子ってわけか。ああ、なんかめまいがする」
「ご主人さま! 回収するのが先にゃ」
「わかってるって。でも、この状況をなんとかしないと」
なぜかわからないけど機関銃を乱射している少女がいます。たぶん、魔法薬の副作用で彼女は麻薬中毒状態に陥っているのでしょう。大変なのは、その状況です。
弾には魔法効果があるので、撃たれても死人が出ることはありません。でも、彼女の周りにはたくさんの警察官が彼女の様子を遠巻きに見張っています。
場合によっては狙撃される可能性もあるのかもしれません。
マリーは少女の元へと急降下します。それと同時に魔法の霧を発生させました。いわゆるアムネジアの霧というものです。霧によって記憶を奪われる効果があるのです。
そして彼女は、眠りの魔法を少女へとかけました。
ふらっと少女の身体が傾きます。すかさず、箒のフックを背中の赤いバッグにかけ、身体ごと空中へと持ち上げました。
「ふうー。これで最悪の状態にはならずに済んだね」
マリーは大きな溜息をつきます。そして、独り言のように呟きます。
「早くこの子からノートの在処を訊かないと」
「目覚めの気分は?」
少女は目をこすりながら起きあがります。
「ここはどこ? あなたは誰?」
それまでの記憶がないのでしょう。少女はそんなことを言いました。
「あなたのお家よ。わたしは……信じてくれないかもしれないけど、これでも見習い魔法使いなの」
「え?」
少女は短く声をあげます
「いきなり本題で悪いんだけど、ノート返してくれないかな? 明日までにお師匠さまに提出しないと試験が受けられないの」
「ノート? あ!」
少女は思い出したらしく、口に手を当てました。
「ごめんなさい。けーさつに届けようと思ったんだけど、つい……」
「いいの。かえって警察に届けられた方が面倒だったかもしれないから。それよりも」
マリーの口調はあくまでも優しくあり続けます。
「えっと、これです。すいませんでした」
少女は机の引き出しの中にしまってあったノートを取り出すと、マリーへと丁寧に頭を下げました。
「好きな人がいたんでしょ? あのノートに書いてあることがとても魅力的だったってのはわかる。だから、謝らなくてもいいよ。大事な物を落とした私が悪いんだから」
「あ! わたし……わたし、どうしよう。奥山くんにひどいことしちゃった。……どうしよう……」
記憶が戻ってきたのだろうか、少女の瞳からふいに大粒の涙がこぼれ出ます。
「大丈夫。あなたの魔法に関わったすべての出来事にはちゃんと私が後始末をつけてきから。奥山くんもあなたがやった事は覚えていないよ」
「あ、ありがとうございます」
少女は安堵の吐息をしました。
「でもね、そのかわりというか、あなたが魔法で行ったすべての事柄について消し去ってしまったから」
「どういういことです?」
再び不安げに少女は訊いてきます。
「魔法のおかげであなたと彼との間は少しずつ進展したかもしれない。でも、それをすべて消してしまったから」
「最初の頃と同じってことですか? わたしと奥山くんは話もしていないって状況ですか?」
「そういうことかな」
「……」
しばらく沈黙が続きます。マリーはこれ以上何も言ってやれないなと思い、そろそろおいとましようかと考えていた時、少女の口から言葉がこぼれました。
「惚れ薬とまでは言いません。なにか、わたしの性格を変えられるような薬はないでしょうか? 奥山くんの事はどうしても忘れられそうもないんです。かといって、気軽に話しかけられるほどの勇気がないんです。魔法の薬があったから、あれだけ積極的になれたと思うんです。さんざん迷惑をかけといてこんな事を願うなんて、虫のいい話かもしれません。でも、もしあるならば欲しいんです」
「うーん……」
マリーは考え込みます。この子の気持ちは痛いほどよくわかるのですから。
「もちろんただでとは言いません。わたしに出来ることならなんでもします。なんなら新しい薬の実験台になったって構いません」
少女の想いがまっすぐに伝わってきます。マリーだって好きな人に告白できずにうじうじと悩んでいた時期だってありました。
「彼の事が忘れられない?」
マリーは何かを思い立ってそう訊きます。
「はい」
「あきらめられないくらい好き?」
「はい」
いくつかの質問ののちに、彼女はポケットから小瓶を取り出します。
「これは勇気の出る薬。誰かに告白するときに飲むと効果が出るの。でも、告白する相手の前に立たないと完全に効果は表れないの」
「それを頂けるんですか?」
「うん。ま、迷惑料ってとこかな」
「いいんですか? わたしは何かお礼をしなくて」
「構わないって、ただし、注意があるの。飲んだら24時間以内に告白しないと大変なことになるの」
「大変なことってなんですか?」
少女は目をまんまるくさせて驚きます。
「もう二度と彼の前で口がきけなくなってしまうの」
「そ、それは大変ですぅ!」
「そういうわけだから、注意してね。あ、私そろそろ行くね」
マリーは立ち上がります。
「いろいろと本当にありがとうございました」
「ま、気にすることじゃないから。じゃあね」
「はい。お気をつけて」
少女に背を向けると、マリーは窓の外に待たしておいた魔法箒によいしょっとのっかります。
「グッドラック」
ウインクをして一気に上空へと加速します。
「人間に魔法薬をあげるのは御法度じゃなかったにゃ?」
雲の上に抜けると、ブラッドがそう訊いてきました。
「私は魔法薬なんかあげてないよ」
マリーは涼しい顔でそう答えます。
「でも魔法の小瓶を渡してたにゃ」
納得の行かないブラッドが不信な顔で見つめてきます。
「あれは、セージから作ったハーブタブよ。精神安定剤みたいなもの。人間だって作ってるじゃない」
「にゃー! それだったらなんで渡したにゃ? 嘘をつくのはよくないにゃ」
「あの子には勇気が必要だった。それは私も経験があるからよくわかるの。放っておけなかったんだ」
「という事はにゃ、ご主人様は彼の方にも気があることを知ってたにゃか。さすがだにゃー」
ブラッドは感心したかのように呟きました。
「誰が知ってるなんて言った?」
「にゃ?」
「わたしは背中を押しただけ、後のことは知らないよ」
「そんにゃー! それじゃあの子がフラれたにゃどうするにゃー?」
「それはあの子の人生よ。恋を始めるのも終わらせるのもあの子が決めること。もしフラれたとしても、このままずっと片想いを続けているよりはマシなの。いつまでも中途半端な恋をしていてはあの子はかわいそうなだけ」
「そんなものなのかにゃー」
「魔女も人間も恋に違いはないはずよ。そうやってみんな大人になるんだから」
「にゃー……なんだか、面倒だにゃー」
「そんなことより、早くしないと日付が変わっちゃう。お師匠さまに情けは通じないんだから」
マリーは、魔法で異次元へと続くゲートを開くと、その中へ向かって加速していきました。
さてさて、その後、恵理と奥山くんがどうなったかは内緒です。ただ、マリーのレポートが間に合った事だけは確かのようでした。
(了)