第2話 拾いもの

文字数 6,033文字

 あれから何日かたち、イモリはすくすくと育っています。恵理もようやくその姿になれ、触れる程度にまでなりました。それはいいのですが、今度はペットとしての情が移ってしまい殺すことを躊躇ってしまうようになりました。

 材料はそろってます。あとはイモリのペロちゃんをどう処理するか? え? あきらめるんですか? もったいない。ここまで用意をしておいて、それを試さないのはもったいないというものです。恵理はやはり優しすぎるのか、それとも勇気がないだけなのか、それは彼女自身にもわからないことなのです。

 そんなある日、学校から帰った恵理が籠の中を見ると、ペロちゃんがいないことに気づきます。よく見ると、フタが少し開いているじゃありませんか。たぶん、彼女が昨日餌をやった時にきちんと閉めるのを忘れたからでしょう。

「ペロちゃーん」

 呼んだところで返事の返ってくるような生き物ではありません。でも、彼女は愛おしげに呼びながら部屋中を探し回りました。

 ふと床を見ると、机に積まれていた辞書の一冊が落ちていることに気づきました。何かの拍子で落ちたのだろうか? そう思い辞書を手に取ると、その下には哀れにも潰れかけたイモリの亡骸がありました。

 こぼれ落ちる涙、そして胸の痛み。あんなにも嫌っていたイモリ。でもやっと好きになれたかもしれなかったのに。そんな想いが恵理の中で沸き上がり、泣かずにはいられなかったのでしょう。

「かわいそう……わたしに飼われなければ、こんなことになることもなかったのに。わたしが欲を出したばかりに」

 泣きながらイモリをハンカチの上に乗せ、このまま土に埋めてお墓でも作ってやろうかと彼女は考えました。

 でも、火葬の方がいいのかな? そんな考えが心を過ぎり、再び邪な考えが浮かび上がります。

 黒焼き。

 かわいそうかもしれない。でも、死んだことを悔やんでもしょうがないのです。運命は早まるか遅まるか二つに一つなのですから。

 棺はハンカチからアルミホイルへと変わりました。そしてペロちゃんの胸にはセージの葉がのせられます。これは香り付けだとノートに書いてありました。

 火葬場はオーブントースターです。親に気づかれないように、自分の部屋へと持っていき、コンセントを探します。

 トレイにのせると「ペロちゃん、安らかに眠ってね」などと弔いの言葉を述べて、スイッチタイマーを最大までひねりました。

 ほどよくしてヒーターは加熱して、じりじりと肉が焦げる音が響いてきます。

 あとは待つだけ、これでペロちゃんは本来の材料となり、魔法の薬の成分の一つとなるのです。ああ、どうかこの罪のなき魂が救われますように、などと彼女はそこまでは考えなかったのでした。

 チン! と音がして、なんだか香ばしい臭いが部屋に充満します。さて、これでこの黒焼きのペロちゃんを粉にすれば、第一段階の準備は終了です。

 いざ、魔法の薬よ。もし本当に効き目があるのなら、わたしは他に何も願うことはないのです。だから、少しだけ期待をさせて。恵理のそんな想いが通じるのかはわかりません。が、一つだけはっきり言えるとすれば、それは彼女が少しだけ欲張りになったということです。


 あれだけの材料で、できた分量は50ccあるかないかです。でも、問題は分量ではありません。効き目なのですから。

 ノートによれば、この薬を相手の体内に入れればそれでいいそうです。飲ませるか、吸わせるか、皮膚からの吸収はかなり効果が薄いらしいとのことでした。

 恵理は考えます。せっかく苦労して作ったはいいのだけど、問題はまだまだあります。飲ませるにしろ、吸わせるにしろ、直接行ったのでは不信がられてしまいます。なにせ彼女と奥山くんはそれほど親しい間柄ではないのですから。だったら、人に頼みましょうか? それもダメです。頼んだ人間が今度は不信がります。それよりも、恵理の知り合いに奥山くんとそれほど親しい人がいないことの方がネックでしょう。

 水風船に入れて投げつけるとか? それもダメです。皮膚からの吸収は効果が薄いらしく、第一そんな子供っぽいことして、もし外れたりしたら薬を失うばかりか彼に嫌われてしまいます。

 さて、どうしたものかと恵理は再び頭を悩まします。

 何かヒントはないかと、ノートを再び読み返すことにしました。

 項目「副効能:心ばかりでなく肉体の傷口をも回復する力があります。ただし使いすぎに注意」

 惚れ薬が傷薬? なんだか妙な副効能に頬を緩める恵理でした。でも、試してみる価値はあるかもしれない。それが効き目を確かめる確実な方法なのだから。彼女はそう思い立って、裁縫箱からまち針を取り出します。そしてそれを小指に刺しました。

「痛!」

 ぷつんという感覚とともに赤い点がじわじわを広がり、刺したところから血が盛り上がって出てきます。

「もし本当に効き目があるのなら」

 スポイトで魔法の薬を吸い取り、血が出た指先へとぽとりと落とします。するとどうでしょう。痛みがすぅーっと引いていき、ぴたりと血が止まりました。ティッシュでふき取ると、そこには刺された後がありません。

「嘘?」

 思わず声にだしてしまう恵理でしたが、小さな傷では気のせいという可能性も強いのです。今度は思い切って手のひらに、カッターで1センチくらいの傷をつけました。

 これなら見た目にもわかりやすいです。もしこの傷がきれいさっぱり消えたのなら、薬の効果は本当だということでしょう。

 再びスポイトで傷口に数滴たらします。まるで、麻酔のようにすぅーっと痛みが消えていき、傷口も嘘のようにふさがってしまいました。

「あとは本当に惚れ薬としての効果があるかね」

 次の日恵理は、コンビニで猫用の缶詰を買います。もちろんポケットには小瓶にいれた数ccの薬が入っています。

 近所にいる野良猫は人見知りが激しく、いくら優しく話しかけても寄ってきたりなんかしません。それは単に恵理が、猫をあまり好きじゃないからかもしれませんが。

 でも、今日は魔法の薬があります。もし、この薬の入った餌を食べたのなら期待通りの効果が持てましょう。

 しかし、人間以外に効くのかな? そんな疑問も浮かびあがります。人間で実験できない以上、猫で試すしか手はないのですから、それもしょうがないのでしょう。効果がなかった時は別な方法を考えればいいのですから。

 猫缶のフタを開けます。缶切り不要なので、そのまま引っ張るだけの簡単なものです。その中に魔法の薬を小瓶から数滴垂らします。

 恵理の嗅覚にはとても甘く心地よい感じが伝わります。猫にはどうなのでしょう。かえって警戒してしまうのかもしれません。そんなことを考えながら、彼女は缶詰を猫のよく通りそうな建物と建物の間の狭い通路部分に置きます。

 明日再び来て、餌がなくなっていればどこかの猫が食べた証拠です。もしその猫が恵理になついてきたのなら成功なのかもしれません。

 食べてなかった場合は猫が臭いに警戒してしまったということ、食べていても猫が寄ってこなかった場合は、人間以外の動物には効かないのか、それともそんな効果なんて初めからなかったのかのどちらかになります。

 ほんとは人体実験をやりたいのですが、親を試すわけにはいきません。もちろん親友の美咲なんかにこの薬を飲ませたら大変なことになるのです。

 あくまでも、あせらずじっくり様子を見ましょう。そう心の中で落ち着けて家に戻ることにします。

 真夜中。

 何かの音で恵理は目覚めます。時計の針は2時16分。なんだかうるさいなぁ、と思いながら眠い眼を擦ります。

マャーオ。

 なんとも甘ったるい猫の鳴き声とともに、彼女の部屋の外壁をがりがりと引っ掻くような音も聞こえてきます。

「なんだろなぁ」

 寝ぼけた頭には、夕方に仕掛けた猫の餌のことなど思い出せるはずがありません。仕方なく恵理は、部屋の窓を静かに開けます。

 窓から顔を出した途端、鳴き声の主であろうと思われる猫と目が合います。猫のほうはというと、何かを訴えかけるようにミャーミャーと鳴いています。

「あなた、もしかしてあの餌食べたの?」

 恵理はやっとそのことに気が付きました。でも、そんな質問をしたところで伝わるわけがなく、猫はただミャーミャーと鳴いているだけです。

 彼女は窓から身を乗り出して、庭に迷い込んだ猫を抱き上げました。

 猫の瞳はどこか焦点の合っていない感じです。部屋の中にそっと置くと、猫は彼女の方へとすり寄ってきました。

「本当にわたしに惚れちゃったのね?」

 恵理は微笑みながら猫を見つめます。惚れさせちゃった責任もあるのだから一緒に寝てもいいかな、そんなことを考えながら自分のベッドに猫を招き入れました。

 今はまだ少し肌寒い季節。なんにせよ、ぬくもりはありがたいものです。

 彼女は薬の効果に喜びながら、その日は奥山くんのことを想いながら眠りにつきました。


**


『料理は愛情!』

 だらだらとテレビを見ていると、いつもの料理番組が始まります。

 恵理は学校から帰ると、頭を抱えながら部屋に戻り、悩み疲れていつしかリビングでソファーに寝転がりながらテレビを見ていました。

 薬の効果があることは証明されました。あとは方法です。学校で、奥山くんに接触する方法をいくつか考えました。

 でも、それほど親しくない間柄です。もっとも接近できてもせいぜい2、3メートル、無理矢理薬を口に押し込むことなんてできません。人目も気になりますし、そんな態度に出た時点で警戒されてしまいます。そうなったら二度とチャンスはないのですから。

 紙飛行機の先に薬をつけて……なんてことも考えましたが、うまくいくわけがない。頭からどぼどぼと薬をかけるなんてのは問題外。彼女は、考えに詰まってしまい気分転換にとテレビをつけたのでした。

『今日は鯉を使った中華料理です。中華は火力が勝負ですからね』

 たわいもない説明を出演者の一人がしています。

「恋も料理みたいに誰でも簡単に作れればねぇ」

 恵理は自分では気づいていないようですが、ギャグではないのでしょう。思い詰めた頭にはそんなユーモアなんか欠片も残っていないのですから。

 さてさて、テレビでの気分転換もうまくいかず、恵理は再び外へ出かけることにします。外をぶらぶらと散歩する。人間の頭というのは、身体を適度に動かしてリラックスしている時の方が良いアイデアが浮かぶことが多いのです。

 もう日も暮れかけて、長い時間は散歩できないな、と思いながら空を見上げます。夕焼けの茜が空を染めかけています。

 茜色はとても寂しい色だけど、なんだか暖かみも感じる。そんな詩的なことを考えて上を向いていたものだから、何かがぶつかってきても、それを避けることはできませんでした。

「痛!」

 衝撃で尻餅をついて、おもわず恵理は軽く悲鳴をあげます。
「気をつけろ!」

 我に返って前を見るとヤクザ風の男の人も同じように尻餅をついて倒れています。

「ごめんなさい」

 たしかに前を向いていなかった恵理も悪いのですが、この男の人だって同じことでしょう。でも彼女は、それを追及する気にはなれませんでした。

 男は無言で立ち上がると、焦ったように走り出していきます。

 恵理はあっけにとられて倒れたままの状態なのです。なんだか、嵐が過ぎ去っていったような気分でした。

 お尻の埃を払い落とすと、恵理は何事もなかったかのように歩き始めました。今、考えなければいけないのは、いかに効率よく薬の効果を引き出すかなのです。

 考えに考えながら歩いていたので、思った以上に遠出をしてしまいました。気が付くと工場跡地の寂れたところにまで来てしまっていました。

 ここは、ひとけがないので気をつけなさいと学校からも親からも注意されていた場所です。早く帰らなくちゃいけないと思い、どうせなら近道をと思ったのでしょう。恵理はそのまま工場跡地内に入り、反対側にある道路まで突っ切って行こうと走り出しました。

 何かの突起物で、彼女の足が引っかかります。倒れそうになりましたが、なんとか持ちこたえます。

「なに?」

 好奇心にかられて、恵理はその場所を調べてみることにしました。

 地面からわずかに出たその突起物は、布袋のようなものに包まれています。しかも、ここだけ埋め直したような後がある。幸い、工場のその部分は砂地だったためか、物体を掘り起こすのにそれほど手間はかかりませんでした。

 恵理と同じくらいの丈はあるだろう長い布袋に棒状の物が2、3本、それから底の方に箱に入った何かが触った感じからわかります。重さはけっこうなものなので、持ち帰るわけにもいきません。

 彼女はますます好奇心にかられて、袋の中を出してみることにしました。

 最初に冷たい金属の感触。それが棒状のものの正体でした。まさか、鉄でできたほうきなんてことはありませんよ。棒と言うより筒状のものと言ったほうが正確なのでしょう。

 恵理は恐る恐る袋からその物体を出してみます。それはどこかで見たような物でした。彼女は記憶をたどります。この前、美咲と行ったアクション映画に似たような物が出てきたよね? そう自問する彼女です。

 もし彼女の見間違いでないのなら、それは銃の類のものでした。この大きさはライフルって言うんだっけ? 正確な名称を知らない彼女は首を傾げます。

「でも、本物じゃないよね?」

 恵理は試しに構えてみます。と、言っても映画の見よう見まねなのでした。引き金に指をかけ「ばん!」とまるで悪戯好きの子供のように言ってみました。

 バン!

 もの凄い爆音が彼女の耳を劈きます。しばらく耳鳴りがして呆気にとられる彼女でした。

「本物なの?」

 彼女はびっくり仰天、目をまんまるくさせながらライフルを見つめます。

 けーさつに届けなくちゃ。彼女は素直に考え、暴発しないようにそっと地面にライフルを置くと、すかさず駆け出します。

 ふと何か嫌な予感が頭をよぎります。痛々しい鳴き声が僅かながらに聞こえてきます。

 「まさか」と思い、目を凝らして辺りを見回します。

 クゥーンと、こちらを見つめる瞳を見つけました。そこに倒れていたのは野良犬です。

 血?

 はっきりとは見えませんが、お腹の部分が黒く濡れたように見えます。

「まさか……わたしが撃ったから?」

 手で触るとべとりと血液がつきました。
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