第3話 仕上げ

文字数 5,766文字

「なんで? わたしが好奇心なんか持ったりしたから?」

 彼女は自分を責めます。それが彼女に出来る唯一の償いなのかもしれないのですから。

「ごめんなさい。謝ってすまないかもしれない……でも、わざとじゃなかったの」

 恵理の瞳から涙がぽろぽろこぼれ落ちます。いくら言い訳しても野良犬は助かるわけではないのです。彼女はどうしようもなくなり、身体から力が抜けていきます。

 膝をつき、途方に暮れます。そんな彼女のポケットから、小瓶がぽとりと落ちて転がっていきます。

 最初は、虚ろな瞳でそれを追いかけるだけでしたが、薬の効力を思い出しはっとする彼女でした。

「まだ、助けられるかもしれない」

 急いでその小瓶を拾い上げると、蓋をとって中の液体を野良犬の傷口部分へと垂らします。
「お願い」

 祈りは通じるはずです。なんといっても魔法の薬なんですから。

 薬を垂らしてほんのしばらくして、何事もなかったかのように犬が立ち上がります。 そして「ワン」と軽く吠えると、尻尾を振りながら恵理のところへとすり寄ってきました。

「よかった」

 犬の頭を撫でながら恵理は考えます。猫についで犬まで飼うなんていったら、ママはなんて顔するのだろうな。


 結局、恵理は警察には届けずに袋ごと家に持ち帰ってしまいました。

 もちろん重いので何回かに分けてです。

 もしかしたら、あのヤクザ屋さんが隠したんじゃないかと思われるんですけど、そんな事は彼女には関係ないようですね。いざとなったら、魔法の薬という武器もあるのですから、心配は無用でしょう。

 さて、肝心の彼女はどうしたかというと、あれから本屋や図書館に通う毎日を送っています。

 え? 何を調べているのかって?

  もちろん、拾って来た物に関する事に決まっているじゃないですか。マニアックな銃器の雑誌から、専門書まで、武器の取り扱いのことを勉強しています。

 たぶん、試験前でもあんなに夢中になったことはないのでは、と思うくらい本人も一生懸命になっています。しかし、いったい彼女は何を企んでいるのでしょう?


**


 弾は4発。弾頭に薬を塗り込めたのはこれだけです。ピーノ(犬に付けた名前)の怪我を治すのと、自分の傷を治す練習に随分使ってしまったので、残り分すべてでこれが精一杯です。ノートをよく見たら、惚れ薬としての最低限の分量が書いてありました。

 ライフルは、パパに内緒で借りた釣り竿のケースに入れて、商店街の一番高いビルの屋上へと登ります。

 今日はサッカー部の朝練があるので、彼はこの通りを歩くはずです。

 まだ、日も昇っていませんが、恵理の心はウキウキでした。ここから狙って奥山くんのハートを撃ち抜きます。大丈夫、弾の先にはなんといっても薬が付いているのです。

 本当に大丈夫、だって彼女は自分で試してみたんですよ。痛みもなく、傷口はみるみる塞がっていったようです。怖くなかったんでしょうか? いえ、恋は何ものにも強いものです。ひとまず彼女の勇気を讃えましょう。

 で、すっかり用意の整った恵理は、体勢を低くしてライフルを構えています。奥山くんが来るまでまだ数時間はあるのですが、彼女にとっては待つ時間も楽しみなのでしょう。なんといっても、彼女は恋をしているのですから。

 恋のスナイパー。なんてぴったりな名前なんでしょう。彼女は、頬を緩めます。

 でも、かのじょー、誰かがあんたの今の姿を見たら……。


 ターゲットスコープに彼の姿が映ります。そうです、待ちかねたあの人がやってきたのです。恵理は高鳴る鼓動を抑えながら、慎重に引き金に指をかけます。

 彼のハートハートハート。目標は、奥山くんのハートです。

 弾は四発しかありません。外さないようにと、神様に祈ります。

-バン!

 大音響とともに奥山くんの右側にあったゴミ箱の蓋が吹っ飛びました。あっけにとられる彼の元へもう一発。

-バン!

 今度は左側の自動販売機の見本の並んだ部分に当たります。その衝撃でガタンガタンと取り出し口にジュースが溢れ出てきました。

 さすがの奥山くんも何が起こったのかに気が付いたのでしょう。血相を変えて走り出しました。

「だめ! 走ったら狙いが定まらない」

-バン!

 「逃げられたらチャンスがなくなる」と、焦っての一発。

-バン!

 「もう! 狙いが定められないじゃない」と、自棄になっての一発。

 これで弾はなくなりました。ついでに奥山くんもいなくなりました。
 さあ、落ち込んでいる場合ではありません。彼女も逃げなくては、もう二度と彼に会えなくなってしまいます。

 急いでケースにライフルをしまい込むと、恵理は一目散に逃げ出しました。

 でも、そんな彼女を見ても誰も疑うことはないでしょう。中学生の女の子がライフルをぶっ放すなんて、この治安国家の日本じゃ考えられないことなんですから。ほんと、よかったですね。


**


 薬はもうないのです。

 だけど、どうすればいいかは考えるまでもありません。

 さっそく恵理は買い物に行きます。今度は大量に作ろうと、材料も多めに買い込みます。最後はペットショップ。イモリはペロちゃんのことで慣れましたから、怖くはありません。気持ち悪くもないのです。

「いらっしゃいませ!」

 あの元気な店員さんの声が聞こえてきます。

「すいません。イモリを百匹ほどもらえますか? 今度は買うんじゃないんですよ。うちのペットの餌ですから」

 少し知恵をつけた彼女はそう言って誤魔化しました。百匹分の餌を買わされては予算をオーバーしてしまいますから、彼女も必死なのでしょう。でも、なんだか声は明るいですね。

 店を出た彼女は、近くのビルが警察によって封鎖されていることに気が付きます。ちょっと悪びれた感じを受けながらもさりげなく歩く彼女を、警察どころか誰も気にとめようとしません。それは当然といえば当然のことなのでしょう。

 でも、いいのかな?

 家に帰ると彼女は薬作りに取り掛かりました。明日は日曜日、いくら夜更かししても大丈夫です。

 恋は時に人を変えてしまうことがあります。人を強くすることもあります。でもでもぉ、最近の彼女ってなんか変じゃない? なんて噂を耳にすることもあるのですが、恵理にとってはそれは些細なことなんです。

 彼女にとっては奥山くんがすべてなんですから。

 さて、部屋には数十匹分のイモリの黒焼きが出来上がりつつあります。このペースで行けば明日の朝までには完成するでしょう。イモリを焼いている間ちょっと暇になるし、クッキーでも作っちゃおうかな、とピンクのかわいいエプロンをしたにわか魔女さんは呟きました。


**


 朝から戦闘準備開始です。オーバオールの胸ポケットには拳銃を、背中の赤い小さめのリュックにはクッキーと換えの弾倉を、釣り竿ケースにはライフルではなくLMG(軽機関銃)が入っています。これは最後の手段、「数撃ちゃ当たる」の論法です。

 さあ、いざ出発です。お目当ての奥山くんは、今日は隣町までサッカーの練習試合に行ったらしくお昼過ぎには帰ってくるでしょう。

 今度は慣れない狙撃なんて真似はやめたのです。至近距離からの一発、2、3メートルもあればいくら拳銃の扱いに不慣れな恵理でも当たるでしょう。

 ライフルよりも全然短いから、こっちの方がかわいくて好きだな、と訳のわからない感情を拳銃に抱いている彼女です。

 隣駅の改札の近くで恵理は待つことにします。お昼過ぎに試合が終わるというだけで、ここに来るの正確な時間なんてわかりません。でも、家に帰るためには確実にここを通るはずです。その点においては、すっぽかされることもないので彼女は安心して待っていられます。

 なんだか初デートのような感覚ですね。恵理は嬉しくて頬を染めてしまいます。

 待つこと数時間、奥山くんはクラブの仲間たちと騒ぎながらやってきます。もちろん恵理のことなんかに気づくはずはありません。

 彼女は、そっと後を付けます。彼が一人になったところを狙おうと考えているのです。でもでもぉー、それってストーカー行為っていいません? か弱い女の子なら許されるってわけでもないでしょう。

 彼女は相変わらず心をときめかせながら、彼の後を追います。次の駅で彼は降りません。どこか寄る所があると、仲間たちと別れます。これは、チャンスとしかいえないでしょう。恵理は彼との間合いを詰めます。

 目の前には彼の背中が2、3メートル近くまで迫っています。今は電車の中、こんなところで拳銃を取り出すわけにはいきません。必死に気持ちを抑えます。

 しばらく電車に揺られ、大きなターミナル駅に着きました。そこで彼は下車して行きます。

 すかさず、恵理は彼を追いかけて距離を離さないように、また近づきすぎないように気をつけながら歩きます。

 駅前の大通りを渡って少し行くと、緑地公園が見えてきました。大きな公園ですので、もしかしたら二人っきりになれるかもしれません。

 期待が高まり、それと同時に胸の鼓動も早くなります。とうとう薬を使うことができるんだ、そんな想いが今までの苦労の記憶を引き出します。

 突然降ってきたノート。あれはやっぱり神様の仕業だったのかもしれない。

 そして、初めて試したおまじない。その次の日、初めて名前を呼んでもらえた。とても嬉しくて眠れなくて、また同じおまじないをやったりしたものでした。

 それから、忘れられないのがペロちゃんの尊い犠牲です。あのコがいなければ、恵理もこの薬を作る事ができなかったに違いありません。

 あとは、猫のジャックや犬のピーノの協力。今ではこのにわか魔女の、まるで使い魔のような忠実なる下僕です。これも怪我の功名?

 武器を拾った時は、恵理はどうしようかと思ったけど、こんな使い方があるなんて考えもしなかった。あの時の閃きはわたしの一生分の能力を使ってしまったのかもしれない。

 物思いに耽りながらも、足はしっかりと奥山くんを追いかけています。

 公園の手前を曲がられたらどうしようかと思いましたが、彼はそこを突っ切っていくようです。それとも公園自体に用事があるのでしょうか?

 今日は、なんだか人通りが少ないようです。これはかなりチャンス、今日の恵理はかなりツイてます。魚座のA型、よく当たる占い雑誌の通り、赤いものを身につけてきて正解でした。彼女は単純に喜びます。

 ポケットから静かに拳銃を抜きます。安全装置を外して、目の前の彼の背中へと銃口を向けます。この距離なら当たる、そう思って引き金を引いた瞬間に、彼はしゃがみ込みます。靴ひもがほどけたのでしょうか?

-バン!

 銃声だけが響きわたります。

 奥山くんは驚いて後ろを振り返りました。

 目が合ってしまいます。恵理は照れ隠しにと、微笑みを浮かべました。

「水谷さん? なにかの冗談?」

 彼がひきつった顔で言いました。

「ううん。本気」

 わたしは本気であなたのことが好きなの。そう言いたかったのでしょう。でも、恵理が持っているのはまぎれもなく拳銃です。それも本物なんですよ。

「それ、モデルガンだよね?」

 早くしないと、また逃げられちゃう。そんな思いが、彼女の行動を焦らせます。

-バン!

 弾は地面に当たって凄い音をしながら跳ねてどこかへ飛んでいきます。

「ちょっ、ちょっと水谷さん。俺、なんかキミに恨みを持たれるようなことしたっけ?」

 両手のひらをこちらへ向けて、奥山くんは後ずさりします。

「ううん。恨みなんかないよ」

-バン!

 また外れます。こんな至近距離でなぜ当たらないんだろう。そんな思いがますます彼女を焦らせます。

「人殺し!」

 怯えたように彼は駆け出していきます。

「あ、待ってよ。奥山くん」

 彼女はすぐにその背中を追いかけます。もちろん、拳銃を撃ちながら。待ってといったって止まってくれるわけがありません。彼女はそれに気づいているんでしょうか?

 走りながら何発か撃つと、すぐに弾切れになりました。本で勉強した通りにグリップ部分にある弾倉を交換し、バレルを引っ張って再装填します。

-バン!
-バン!
-バン!

 彼との距離はだんだんと離れていきます。恵理は一生懸命撃ち続けます。そのうちまた弾切れになりました。弾倉を交換し、また撃ちます。彼女はもう半ば自棄になってきています。

「なんで当たらないの?」

 遠くの方からパトカーのサイレンの音が聞こえてきました。もう時間がありません。こうなったら最後の手段です。彼女は、拳銃をしまい込むと、釣り竿のケースからLMGを出しました。彼女の背丈ほどはある機関銃です。ちょっと重いですが、両手で扱えるのでなんとかなるでしょう。

 彼女は遠くの方で奥山くんの姿を見つけると、そちらへ銃口を向けました。後は引き金を引けば、一分間に何十発という弾が自動的に撃ちだされるのです。これならば、いくら下手くそでも一発くらいは当たるでしょう。

-ダダダダダダダッ!

 あちこちで悲鳴が上がります。しかし、奥山くんの足は止まりません。

-ダダダダダダダッ!

 とにかく撃ちまくります。それが彼女に今できる唯一の彼への想いなのですから。

-ダダダダダダダッ!

 身体に伝わる振動がだんだん快感になってきます。頭の中がなんだか、真っ白になってきました。

-ダダダダダダダッ!

 そうです。恋には勢いが肝心です。勇気が必要です。

-ダダダダダダダッ!

「待ってよ。奥山くーん!」

 目を血走らせながら恵理は機関銃の引き金を引き続けます。

 だって、恋には情熱が必要! 誰もわたしの邪魔はさせない。そんな想いが彼女を動かしているのでしょうか?

-ダダダダダダダッ!

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