第3話

文字数 2,707文字

 久しぶりに実家へ帰ってきた。四年ぶりだった。その前は五年ぶりだった。私は二十代の間に二度しか実家には帰っていない。兄・大幹の顔を最後に見たのは、四年前、私が転職をした年の正月だったはず。正月といっても元旦ではなく、一月三日の一日のみで、日帰りの予定が、母親に五月蠅く言われて仕方なく一泊だけ宿泊して早朝に帰阪した。その日の晩に食卓を囲んだ際に大幹もいたのだ。私が十九歳のとき、大幹があの騒動を起こして呼び出されて以来だったから、とてつもなく気まずかった。大幹もそう感じているのが分かった。大幹が食事も十分も経たずして自室へ戻って行ったのを覚えている。私は大幹とは直接連絡のやり取りをしない。連絡先を知らないからだ。
「佳子」
父が私を呼んだ。
「お父さん。」
「すまんな、駅まで迎えに行けなくて。」
「それは別に。お父さん、大丈夫?」
父の顔は深い皴が影を落としていた。
「いや、まぁ…。正直、結構動揺しとんが。でも俺が何とかせんと、母さんがなぁ。」
「…お母さんは?」
「今はあんまり声掛けんといて。ショックが大きくてな。」
「…なにがあったの?お父さん知ってるんだよね?」
「うん、まぁ…。でも全部じゃない。それは母さんも一緒。責めんといてね。」
私が誰を責めるというのか。責める相手なら、もうそいつは死んでいる。
「説明してくれる?」
父は了承し、私は母に挨拶をする前に父とふたりで大幹の部屋へ向かった。

 兄・岩瀬大幹という男は、現代の精神病の塊みたいな男になってしまった、と思っている。私が四、五歳、大幹が小学低学年の頃は仲が良かった。ふたりで同じ書道教室やスイミングスクールに通っていたし、家では一緒にアニメを見たり、兄が夢中になっているゲームを私が後ろから覗いていたのを覚えている。しかし、私が小学校へ進級した頃だったか、家内のそれぞれの関係性の変化が読み取れた。それまでは一見普通で一般的な仲のいい家庭だっただろう。私の通っていた田舎の小学校は一学年に一クラスのみで、クラスは三十人ほどでしかいなかった。過疎が進む地方の小学校の学童数なんてそんなものだろう。その学年の中でも私は勉強ができた。特に計算が早くて、算数はいつも満点だった。足が速くてリレーの選手にも選ばれた。スイミングでも賞を獲った。書道では段を着実に上げていった。漫画のような絵を描くのも上手だった。当時は週刊少年ジャンプ黄金期だ。当時人気の漫画のキャラクターを黒板に描けばすごいともてはやされた。容姿は普通だったからクラスの中心にはならなかったが、当時から人見知りせず、誰とでも仲良くなれる性格だったため友人にも恵まれた。こう羅列すると、私は文武両道の優等生で、友達も多い模範的な児童のように見えるだろう。いや、担任教師から見ると本当にそう見えていたのかもしれない。対して、兄・大幹は勉強では理系科目が得意だったがそれ以外は普通だった。スポーツは剣道の少年倶楽部に入っていたが、大きな実績は残せなかった。大人しい性格と話下手でさらに吃弁が気になった。さらに小学校の中学年になる頃には女の子の同級生どころか一・二学年下の女子児童とも話せなくなっていった。友達は近所に住む、同じゲームが好きな同い年の男の子ひとりのみで、クラス内でも浮いていたと聞いている。年の近い兄妹が同じ学校に通うと、ひとたび兄妹であることが周囲に筒抜けになるが、私たちは兄妹ということに驚かれることすらあった。幼いながらも、私と兄は兄妹には見えないぐらい大きな違いがあるのだと感じた。私と兄、それぞれ個々の能力の違い、個性、性格の違いが明らかになってきたその頃、私は家庭に、特に母との関係性に違和感を覚え始めた。母が私を邪険にし始めたような気がしたのだ。はじめは扱いが雑だなとしか思わなかったが、それが日増しにエスカレートしていった。私が小学三年生、兄が小学五年生の時だ。私がスイミングで一着を獲って表彰された時に母に報告をしたときに母は「そう。よかったね。」とだけ呟いた。しかし、兄が算数の小テストで満点を取った時には大げさに兄を褒めた。どう考えても努力の量が違う。私の方がたくさん時間をかけて努力している。得た結果の大きさも断然違う。子供ながら評価の差に異変を感じていた。既に家庭内での差別は始まっていた。それからも差別はエスカレートし、母は私に対して、何をしようが、何を言おうが、親の言うことを聞かない親不孝者だと罵った。私は母と兄に近寄らなくなった。この差はなんだ?違和感と差異に謎が深まるばかりだった。そうこうするうちに兄は中学生になった。中学生になった兄には、もう友人と呼べる人はいなかった。兄の変化は、兄を遠ざける私でも明らかに分かる程だった。中学生の兄は、剣道部に入部したはずだったが、部活動に精を出している様子はなく、しかし、姿を見る度に身体が大きくなっていった。さらに、小学生だった私よりも帰宅が早く休日はずっと家に居た。ずんぐり体型で、分厚い眼鏡をかけ、思春期特有のニキビ顔が酷く、フケが肩に積もっていた。いかにも不潔そうで、身体が大きいくせに常にびくびくしているような小心者だった。さらに進級して、私が中学生、兄が高校生になった頃だった。兄は県内でも上位五位内に入る進学校へ進んだ。勉強ができたのは変わらずだったようだ。しかし、その頃、兄について学校側から母親が呼び出されることが数回あった。私は母に何事か?と何度も訪ねたが回答はもらえなかった。だが、私には察しがついていた。いつしか兄は不登校気味になった。もうその頃には、私と兄の間に会話はなかった。私と母は事務的な連絡のみで、少しでも交流を試みても母の機嫌は悪く、結局喧嘩へ発展する。そのパターンが見えていると交流する気もなくなるが、母は私が今どこで誰と何をしていて何時に帰宅するのか、学校ではどんな友人と仲がいいのか、どんな会話をするのか、周囲の友人には彼氏がいるのか、担任の先生はどんな人なのか、こうやって書き連ねてみると至って普通の、親としては知りたい情報のいくつかなのだろうが、母はこの同じ質問の羅列を毎日聞いてきた。鬱陶しいということではなく、私の話を聞いていないのではないのか?話したことを一つも覚える気がないのではないのか?という具合に毎日幾度も同じ質問をしつこく聞いてくるのだ。食卓が辛くたまらない。なんて失礼な母親だろう。そう思っていた。私が詳しく答えずいると、「あんたっていつもそうね。親の気にもなってみなさいよ。生意気な。」と捨て台詞を吐く。居心地のいい食卓はもう叶わない、直感でそう思った。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み