3回―1

文字数 3,202文字

第3回 ファイティング・アフター・ケア


「えー……島棚(しまだな)市の皆さん、全国の皆さんこんにちはー。『DJマイヤの雑談室』、室長の生方(うぶかた)舞也(まいや)でーす。今週もどうぞ、よろしくお願いしまーす……」

 挨拶の直後、SNS上のリスナーは『マイヤどうした?』と一斉に呟いた。うわぁ、やっぱりばれちまったか。いつものテンションで喋ったつもりだったのに、出てきた声はめっちゃどんよりしてたもんな。俺だってびっくりだよ。
 パソコンに映るタイムラインはいつも以上にざわついている。憶測が飛び交う前に、俺は大袈裟に咳払いした。

「実は昨日ちょっと飲みすぎちゃってさ。声はこんなだけど、体調はわりと大丈夫だからこの話はおしまい! ではでは、メッセージをいくつか紹介しましょー」

 無理やり話を閉じて、ピックアップしたメッセージを読み上げる。タイムラインをちらりと見ても、皆これ以上詮索する様子はなさそうだ。
 ふぅ、助かった。二日酔いの理由(ワケ)がばれたら放送事故になりかねない。もし公共の電波に乗っちまったら、今度こそ番組の終わり……いや、俺の人生が終わるかもしれないんだ。

 レギュラーコーナーを一通りこなし、残るは『愛妻弁当』だけ。俺はコーナーの紹介をしながら、デスク横のバッグから弁当箱を取り出した。うげっ、心なしかいつもより軽い気がする。どうしよう。ここまでは順調だったけど、急に不安になってきた。ヒナの奴、いったいどんな弁当を用意したんだ?

「で、では、早速中身を……、え?」

 蓋を開けた瞬間、頭が真っ白になってしまった。真っ白なのは俺の頭の中だけじゃない。弁当箱におかずの姿はなく、白米『だけ』が敷き詰められている。やばい。目の前がぼやけてきた。今朝弁当箱が用意されてたからもしかして、と思ったけど、そうじゃなかった。ヒナはまだ、これっぽっちも許してなかったんだ!

 ふと視線を上げると、ラジオブースの窓から『なした?』というカンペが見えた。タイムラインもまたざわつき始めている。もう終わりだ。俺は箸を引っ掴み、白米を掻っ込んだ。

「うおあああぁ、うまい! ご近所さんからもらった島棚産のお米はっ、噛めば噛むほど、甘味が滲み出る! おかずがなくても、これさえあれば……っ、ご飯何杯でもいけそうだ! ご近所さん、いつもありがとうございます! あと……ヒナ、まじでごめん……俺が悪かったよおおおおおぉ‼」

 必死に食レポを続けようとしたけど、涙が止まらなくなってもうそれどころではない。俺は無意識に、謝罪の叫びを公共の電波に流してしまった。


――
 放送事故寸前になったものの、何とか番組を締める。いつもなら次週の打ち合わせをしてる頃だけど、スタッフ全員から『早く謝ってこい!』って追い出されて、俺は急いで帰宅した。
 キッチンには誰もいない。リビングにも、寝室にも、ヒナの姿はなかった。車や靴はあったから家にはいるはず。だとすると、自分の部屋にいるんだろうか。俺は寝室のある二階を横切り、ヒナの部屋の前で足を止める。恐る恐るノックしても反応はない。

「ヒナ、いるのか?」

 ドアノブを回そうとすると、鍵がかかってるのか開けられない。やっぱりヒナは部屋にいるんだ。俺はドアを拳で叩きつけながら、大声で呼びかけた。

「その……昨日は約束を破っちまって、ほんとごめん。次からは絶対やらかさないようにするから、そろそろ許してくれねぇかな……?」

 一秒、二秒。十秒以上経っても、ヒナは返事すら寄越さない。俺達はわりと喧嘩する方だけど、ここまで長引いたことはなかった。俺が必死に謝れば、ヒナはいつだって笑って許してくれるはずなのに。それだけ、俺のやらかしが重罪すぎたってことだ。

 昨日は俺の誕生日だった。付き合い始めた時から『どんなに仕事が忙しくても、誕生日は一緒に過ごそう』って約束して、俺達はこれまでに何回もお互いを祝ってきた。
 当時は関係を隠してたから、パーティー会場はもっぱら自宅。ヒナが腕を振るったご馳走と、ちょっと高級なパティスリーのホールケーキを堪能した後は、シャンパンに酔いしれつつベッドで『二次会』に明け暮れる。俺もヒナも、毎年の誕生日を楽しみにしていた。

 でも、最近はラジオのおかげで外部の仕事も増えてきて、飲み会に誘われることも多くなった。昨日は島棚市外のテレビ局でナレーションの収録があったけど、スタッフの皆さんがサプライズで祝ってくれて、その流れで居酒屋に連れられてしまった。
 断りたいのはやまやまだが、番組スタッフ総出だし重役もいるしで泣く泣くヒナに電話したら『じゃあ仕方ないね』と言ってくれた。その代わり『あんまり遅くならないこと』と念を押されて、スタッフの皆さんにも「二時間くらいで帰ります」と伝えた。

 そこまでは良かったし、飲み会もきっかり二時間で終わった。だがあろうことか、俺は盛大に酔っぱらってしまったんだ。
 代行を頼んで片道二時間ちょい、家に着いたのはだいたい午後九時くらい(だった気がする)。約束を充分果たせる時間帯なのに、俺は玄関に入るなりその場で寝てしまったらしい。気がついたら朝で、しかもミーティングの時間ぎりぎり。玄関(俺の目と鼻の先)に弁当箱入りのバッグが放置されてたから、慌てて引っ掴んで家を飛び出した。という訳だ。

 番組終了前にもざっと白状したけど、SNS上のリスナーは『これはマイヤが悪い』と口を揃えた。うん。そうだよな。俺だってそう思うし自分自身をぶん殴ってやりてぇよ。番組の最後は謝罪会見みたいになっちまったが、ヒナは聴いてたのかな。……いや。こんなに怒ってるんだ。そもそも聴いてないかもしれないし、もし聴いてたとしても、許してもらえるかは別問題だ。

 その時、俺の腹が大きく鳴った。そういえば、今日は白米しか食べてないっけ。腹が減りすぎて頭がふらふらしてきた。白米弁当も半分残ってるし、倒れる前に一旦腹ごしらえしよう。
 俺は鳴りやまない腹を押さえつつ、一階に退却した。



 リビングに戻り、テーブルに投げたバッグから弁当箱を取り出す。時刻はまだ午後一時。さっきは「おかずがなくても」って言ったけど、さすがに白米だけじゃ足りないよな。確か冷蔵庫に作り置きのおかずがあったはず。

 ふらつく足でキッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。すると、視界に見慣れない物が目に飛び込んできた。真っ白な箱に金色の印字。間違いない。これは、最近オープンしたパティスリーのケーキだ。
 箱の周辺には、ラップのかかった大皿も鎮座している。ローストポークや色とりどりの野菜を使ったサラダボウル、更にはデミグラスソースのシチューが入った鍋まである。どれもこれも、ヒナが用意してくれたご馳走じゃないか。

 冷蔵庫を閉じる。今の俺には、ご馳走を食べる資格なんてない。

 諦めて戻ろうと振り返った時、シンクに目が留まった。水を溜めた炊飯器の釜に、しゃもじが無造作に突っ込まれている。そうか。白米弁当を作るために、ヒナはいつものように早起きしたんだ。たとえおかずが全くなくても、大切な約束を破った大馬鹿野郎が相手でも。弁当を作ってくれたことに変わりはない。

 ふと目線を上げると、リビングが散らかっていることに気付いた。そういえば、ヒナは土曜日に溜まった家事をやっつけてる、って言ってたような。俺が帰ってくるのはいつも夕方頃だ。全っ然気付かなかったけど、ヒナは休日も、休みなく働いてくれてたんだな。
 見た限り、今日は何ひとつ手がつけられていない。それなら、少しでもヒナの負担を減らすためにも、ここは俺が頑張るべきじゃないか!

 再び冷蔵庫と向き合い、中からタッパーをいくつか出した。根菜とちくわの煮物、おとといの残りの肉団子を白米弁当に載せ、電子レンジにかける。家事をたくさんこなすなら、しっかり食べて力をつけないと。俺は決意を胸に、ちょっと遅めのランチタイムを始めた。


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