2回―1

文字数 3,118文字

第2回 アクシデント・イン・フォレスト


 風がさらさらと流れる音、新鮮な空気、聞いたことのない野鳥の声。解放感溢れる森の中、ここにいるのは俺と最愛のパートナーだけ。
 二人っきりの森林デートだなんて、贅沢がすぎるんじゃないか。溢れんばかりのマイナスイオンを浴びるだけでも疲れが吹っ飛ぶくらいなのに、隣には世界一可愛い男もいる。俺は今、最っ高に幸せだ。

「ねぇマイヤ。帰り道、どっちだろうね」

 ヒナは「晩ご飯は何がいい?」みたいなテンションで聞いてくる。うぅ、せっかく考えないようにしてたのに、また現実に逆戻りだ。きらきらと輝いていた景色は、一瞬で恐怖映像に変わった。
 日の暮れかけた薄暗い視界、体温をじわじわ奪うひんやりとした空気、不安を煽るような野鳥の雄叫び。誰もいない森の中、俺達は右も左も分からず彷徨っている訳で。

 簡単に言うと迷子。ド直球で言うと、遭難ってやつだ。

「うわああああぁ! こんな所で死にたくねぇよおおおおおぉぉ‼」

 俺の叫びと熊避けの鈴の音が混ざり合い、虚しく木霊する。野鳥の飛び立つ音がするばかりで、帰り道なんか分かるはずもなかった。


――――
 事の発端は先週の生放送。俺がパーソナリティを務めるラジオ番組、『DJマイヤの雑談室』に寄せられた投稿が全ての始まりだった。

「ここでお便りを紹介しましょー。ラジオネーム『壊れかけの充電器』さんから。『マイヤさんこんにちは。そろそろ山菜シーズンですね。お店にも並び始めましたが、マイヤさんはもう食べましたか?』……へぇー、山菜かぁ。この辺って山菜が有名なの?」

 リスナーに呼びかけると、ノートパソコンに表示したSNSが一気に動き出した。
 ほんの数秒で、番組タグのついた呟きは有力情報で賑わう。ちょっとした疑問でもすぐに答えてくれて、ありがたいんだよなぁ。

「えーと……『島棚(しまだな)市は県内有数の山菜王国ですよ!』、『産直でもスーパーでも買えるよ!』。なるほど、教えてくれてありがとね。後で道の駅に寄ってみよっかな」

 そういえば、ご近所さんからたまに山菜のお裾分けもらってたっけ。ヒナも山菜好きって言ってたし、買ってったら喜ぶかな?
 すると、ある呟きに目がとまった。

「ん? なになに……『山に採りに行く人も多いから、恋人さんと一緒に出掛けてみたらどうですか?』。はぁー、それもいいな! ハイキングついでに山菜採りとか、絶対楽しいに決まってる!」

 タイムラインも大いに盛り上がり、山菜採りのマナーや注意点が山ほど流れる。時間がなくてこれ以上聞けなかったけど、また後で読み返そう。
 きっとヒナも聴いてるだろうから、もしかしたらもう調べ始めてるかもしれない。山菜採りデートかぁ……想像するだけでもわくわくする!

 まだ行くと決まった訳じゃないのに、SNSのリスナー達は『お土産話待ってます!』と口々に叫んでいる。俺も頭の中であれこれ計画しながら、番組を進行した。


――
「マイヤおかえり! 山菜採りのことなんだけど……」

 帰宅早々その話かよ。ヒナは弁当箱の入った鞄を引ったくり、キッチンに猛ダッシュした。

()っちゃが持ってた山のこと覚えてる? そこだったら許可取りもいらないし、二人っきりで楽しめると思うんだけど」

 弁当箱を洗いながら、ヒナは嬉しそうに提案する。俺は記憶を辿りつつ「その手があったか」と唸った。

 ヒナのお祖父(じい)さんが亡くなる前、色んな相続の手続きをしたことを思い出す。このでかい家や家庭菜園で使っている畑の他にも、白峰(しらみね)高原付近の山もそうだ。
 とは言っても使い道はないし、管理も大変だから誰かに買い取ってもらうか、と話をしたばかりだった。でも山菜採りができるんなら、使わない手はない。

「お祖父さんも、そこで山菜採ってたのか?」
「うん、体が悪くなる前はね。……でも、僕も父さんも連れて行ってもらえなかったんだ」

 ヒナは蛇口を閉め、寂しそうに弁当箱の水を切る。

「この辺りの年配の人はね、たとえ身内でも山菜の採れる場所を教えないの。だから、どの場所に何が多いかも分からない。父さんも山には行かなかったし……」
「だったら、今度は俺達で穴場を見つければいい。これからは長い時間、ここで暮らすんだからな」

 布巾を手に取り、ヒナの横に並ぶ。法律上でパートナーになれなくても、俺はヒナの家族だ。一緒にできることなら、何だってチャレンジしたい。
 ヒナはにやにやと笑い、抱きついてくる。俺は照れ隠しに弁当箱を拭きまくりながら、されるままになっていた。


――
 俺達はその後、人生初の山菜採りに向けて準備を始めた。
 SNSの番組タグを追いかけて情報を集めたり、山登りに必要な道具を揃えたり。肝心な日程は翌週の半ば。ちょうど俺もヒナも休日だし、天気も良さそうだ。

 そして山菜採り当日。俺達は早朝、車で出発した。車道を走っていると、横道に侵入禁止の看板がついた柵が見えてくる。その前に停車すると、ヒナは真っ先に降りて看板に駆け寄った。

「ここで合ってるみたい!」

 ヒナはそのまま柵を開け、手招きする。ゆっくりと車を進めると、その先はぽっかりとした空地だった。草ぼうぼうにも関わらず木は生えていない。きっと、駐車するために整地したんだろうな。

「なんか、ここでキャンプもできそうだよね?」

 柵を閉め終わったヒナも追いつき、俺達は荷物の準備をする。確かに草さえ刈れば、ここは最高の立地じゃないか。最近は山を買ってソロキャンプするのが流行ってるって言うし、年中混み合ってるキャンプ場に行くより快適かもな。

「まぁ水場はなさそうだけど……それらしいことはできそうだな」
「決まりだね! 次来る時は草刈り機持ってこなきゃ」
「おいおい、まだ始まってもないのに次の話かよ」

 ツッコミを入れると、ヒナは「えへへ」と笑う。ちくしょう、可愛すぎる。正直山菜取りそっちのけで(自主規制)したいけど、我慢我慢。
 携行食と水筒の入ったリュックを背負うと、取りつけた熊避けの鈴がカランカランと鳴る。つばの広い帽子と軍手も身につけて、準備万端。俺達は空地の脇道から出発した。

「あっ! マイヤ、川があるよ!」

 歩いて早々、ヒナは嬉しそうにはしゃぐ。指差す先には小さな川。なーんだ、水場もすぐ傍にあったのか。こりゃますます「ここでキャンプしろ」って言われてるようなもんだな。
 川の周辺にはミズ、ワラビ、ヤマウドといった美味い山菜が目白押しだ。俺達は採りすぎないようにそれらをいただき、先に進む。有名な山菜があったのはラッキーだが、今日の目的は別物だ。しばらく散策すると、ようやくお目当ての品が姿を現した。

「あった!」

 ヒナは真っ先に地面に屈み、一心不乱に採り始める。見た目はタケノコに似てるけど、俺の知ってるタケノコより随分と細い。『笹竹』『根曲がり竹』と呼ばれる笹の仲間らしい。ヒナが言うには『この辺ではこれがタケノコ』なんだとか。
 俺もヒナに倣って土を掻き分け、タケノコの根元から折る。おおっ、簡単に採れた。形も分かりやすいし道具いらずだなんて、山菜採り初心者にうってつけじゃないか。

「ふぅ……結構採れたな」
「ここだけでもどっさりだったね」

 だいぶ残したとはいえ、それぞれの手持ち袋にはもう半分くらい収まっている。二人で食べるならこれだけでも充分だけど、ヒナ的にはまだまだらしい。

「まだお昼前だし、もうちょっと探そっか。今週の『愛妻弁当』にも使いたいんだよね」

 ヒナはスマホで時刻を確認し、俺の手を取ってずんずん歩き始めた。タケノコが大好物って言ってたし、せっかくの山菜採りデートだ。思う存分楽しまないとな。俺達は袋が満杯になるまで、タケノコ採りを満喫した。


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