1回―2

文字数 2,067文字

 俺が住んでいるのは島棚市東部の郊外。FMしまだなから車で十分離れた、閑静な集落だ。ショッピングモールや住宅街で賑わう西部と違って、この辺りは田んぼや畑がどこまでも広がっている。

 家の前の駐車スペースには、青い車が停まっている。平日だったら仕事でいないはずだが、今日は土曜日だもんなー。そりゃあいるに決まってるよなー。
 その隣に停めて外に出ると、玄関から見慣れた姿が飛んできた。

「マイヤ、お帰り!」

 正面から勢い良く抱きつかれる。俺は慌てて玄関に飛びこみ、ドアを閉めた。

「おいヒナ、さすがに外で抱きつくのは止めてくれよ」
「えー、いいじゃない。やっと交際宣言出してくれたんだしさぁ」
「ばっ、ちょ、おまっ……、やっぱり聞いてたのか!」

 えへへ、と無邪気に笑う姿はやっぱり可愛い。俺は文句を飲みこみ、その唇を塞いだ。

 こいつが俺の恋人。小野寺(おのでら)陽向(ひなた)、ニックネームは『ヒナ』だ。俺より四歳年下の二十六歳。くるんくるんでふわっふわの髪の毛に、きらきらした目元。己の愛らしさを分かっているのか、ここぞという時に甘えてくる魔性の男だ。
 その顔の良さを見てると、幼い頃から『声は良いけど顔はイマイチ』と言われ続けた俺が惨めに思えてくる。キスの後もぴったりしがみつくヒナを引き剥がし、俺はリビングに向かった。

 この家は、ヒナの実家だ。こいつは首都圏の大学に進学するまでここで暮らしていて、親父さんとお祖父(じい)さんとの三人暮らしだった(お袋さん、お祖母(ばあ)さんは既に亡くなっている)。
 俺達が出逢ったのは六年前。去年まで向こうで同棲してたけど、ヒナの親父さんが急逝して、お祖父さんも闘病中だったから島棚市に帰らなきゃならなくなったんだ。

 両親を亡くしたヒナを、放っておくなんてできない。だから俺達は仕事を辞め、一緒に島棚市にやってきた。
 お祖父さんを看取ったのは確か、半年前だったかな。向こうに戻ることも考えたけど、俺達はここに残った。それで正解だった、と今なら思える。

「ヒナ。お前とのこと、ラジオで暴露しちまって……本当にごめん」
「何で謝るの? 僕は嬉しかったよ、マイヤにとって僕は大切な存在なんだなあって、ほっこりしちゃった」

 俺の動きを止めるように後ろから抱きつかれ、体をまさぐられる。おいおい冗談だろ、昼間っからこれ以上煽られると、取り返しがつかなくなるぞ。

「待て待て待て、今日はまだ話すことがあるんだよ。来週から新コーナーが始まることになってな、お前が作った弁当の中身を紹介しろって言われたんだけど断っても良」
「そっかぁ! だったら今まで以上に、美味しいもの作らなきゃね!」

 断る選択肢はないのかよ。ていうかこっちもそろそろ限界だ。でも俺、もう二十代じゃないんだぞ。体力だって落ちてきてるし、明日動けなくなったらどうするんだ。

「ヒナ……せめて、弁当箱だけは……洗わせてくれ……」
「だーめ。明日も休みなんだし、ゆっくりしよ?」

 くそう。後悔しても知らないからな。俺は心の中で捨て台詞を吐き、ヒナを担ぎ上げて寝室に向かった。


――
 前回の放送から一週間経ち、今週の放送日がやってきた。
 ちなみに、『DJマイヤの雑談室』はネットでも同時配信している。先週はSNSのトレンドに載るんじゃないかと心配してたけど、どうやらそんなことはなかったらしい。声優としての知名度が微妙で良かったやら悔しいやら。

 弁当持参でラジオブースに入り、資料やパソコンと一緒にデスクに並べる。時間が時間だから腹が減ってきた。
 窓の向こうでは、重田さんとスタッフ達がにこにこと笑っている。番組のテーマソングも流れ始めた。もう後戻りはできない。

「えー……島棚市の皆さん、こんにちはー。『DJマイヤの雑談室』、室長の生方舞也でーす。先週の放送ではたくさんの温かい反応をいただき、ありがとうございました。でも最初に言っておきますけどね、俺は結婚してませんから。『結婚おめでとう!』じゃないから!」

 SNS上は相変わらず、電報で溢れている。俺はパソコンの画面を半分閉じ、気を取り直して番組の進行を続けた。
 そして放送スタートから五十分。他のコーナーでもリスナーから散々イジられ、もう何が何だか分からないまま新コーナーの時間がやってきた。

「続きまして新コーナー、『DJマイヤの愛妻弁当』でーす。うわっ、これ自分で言うの恥ずかしいな」

 結婚式でよく使われるポップスが流され、SNSでは『待ってました!』の大洪水。先週のうちに、スタッフが番組アカウントで宣伝しまくったらしい。皆、人の惚気話をそんなに聞きたいのか? 言う側はめっちゃ恥ずかしいんだぞ。

「先週聴いていない皆さんのために、軽く説明します。俺は番組の後、恋人が作ってくれた弁当を食べてます。それを先週ぽろっと言っちゃったので、弁当紹介のコーナーができてしまった、という訳です。言っとくけど、俺は企画してないからな」

 窓の向こうのスタッフは皆、声を押し殺して笑っている。こうなったらヤケだ。ヒナの手料理を島棚市全体、いや、全国に向けて自慢してやる。


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